折節の移りかわり

 ■2004年7月6日、

今日でこの青島開発区ともおわかれ。ということで、やはり一番なじみの 牛肉麺でしめくくろうと、最後の一品をいただく。
 その店の外観を撮ってみると、どうしてなかなかのものではないか。
 夕食は卒業生と食べる。帰りに黄昏の中、蝉の鳴く馬壕公園を散歩。 すると柳並木に並んで、芙蓉が美しく咲いている。ふだん自転車でサッと 通り過ぎてしまい、気づくことはなかった。
 「あなたは十分見たと思っているかも知れませんが、今はじめて私を見 たように、見ていないものはたくさんあるのよ」と芙蓉の花が語っている 気がした。 (2004.7.6)

 ■2004年7月2日、


何日ぶりだろうか?今日はやっと晴れわたった。こんなにいい日和を 無駄にすごしてはもったいない、と自転車にまたがってどこへ行くとも なくポタリング。
 最近の曇り空に萎えてしまった足腰が、自転車を踏むに従って、元の 昔のそれをとりもどしていく感じが心地よい。
 空を見ながら走っていて気づいたのは、最近建設されたマンション。 ただ「住めればいい」という感じではなくて、「住みたいな」と思わせる 建物がどんどんできているのだ。そのうちから二枚の画像をのせてみた。 おしゃれで素敵な感じ。 (2004.7.2)

 ■2004年6月30日、今日もガスがかって、 視界200mという朝から始まった。
 でも、昼ごろには、いくらか晴れ渡って、自転車でちょっと走り回る。 「風を感じるために自転車に乗る」という名言があるけど、まったくその 通り。自転車で走ることによって、風を巻き起こすのだ。
 帰ってきて、待っているのはレイシ(ライチ)。冷蔵庫で冷やしても、そ の硬い殻によってスイカのように味が落ちることはない。プチッと割って 口に入れるその時のこころよさ。
 そんなレイシに魅惑されている日々を過ごすうちに、心なしか、肌が スベスベしてきたような気がする。僕って楊貴妃? (2004.6.30)

 ■2004年6月29日、風がないと蚊が出る のか。ちょうど、蚊取り線香(こちらでは「蚊香」という)を切らしたため、 朝の4時ごろから集中攻撃をくらう。
 よって、20分ほど蚊との攻防戦。1匹は、すぐ平手打ちで退治したも のの、もう1匹がなかなかしたたかなのだ。ふつうは、同じコースを数分 おいて通るものなのだが、彼は(彼女は?)いくらかコースを変えて来る。 だから、恥ずかしながら20分もの持久戦を強いられてしまった。
 思うに、こういった蚊との戦闘に時を費やしたのは、記憶にはあっても 最近はない。いったい、いつごろまでのことだろうか?蚊帳(かや)は今も 入手できるのだろうか?などと思っているうちに、夜が明けてしまった。 (2004.6.29)

 ■2004年6月27日、東京は梅雨のまっさかり、 といった情報が届く。しかし、ここ青島は、朝晩涼しく(毛布が必要)晴天 の昼なら暑くて外に出るのが億劫という状況。
 大陸の中では、気候に恵まれ風の通りが良いはずの青島だが、それでも 朝晩はガスがかっている日々がつづき、デジカメをもって出る気になれな いでいる。 (2004.6.22)

 ■2004年6月19日、同僚の中国人の先生に 子供が誕生、その祝う会に参加してきた。
 「3年抗戦、那其間不抽煙、不喝酒(3年の戦いの間、タバコも酒もやらな かった)」という紹介・揶揄もおもしろかったけれど、一番、興味を引かれた のは座席だった。
 全体で二十数名、中華の大きな円卓が二つ、ひとりでにというか、いつの まにかといったらいいのか、男性群と女性軍が分かれて円卓をそれぞれ囲む ことになった。(日本人もそれに沿う形だったのが面白い)
 しかも、宴たけなわとなり歌やカラオケが入りはじめると、歌が お上手な一人の女性を残して、女性軍はまもなく帰り始めてしまったのだ。 性差は、この国においても然り、と痛感。
 なお、僕は、カラオケにない「月光仮面」をがなったり、中国語で歌って いるそばで、懸命に中国語学習のため怒鳴っていたことを申し添えておく。 (2004.6.19)

 ■2004年6月13日、一挙に夏が来た!
 そんな中、淮安というところへ行ってきた。青島と上海のちょうど中間 位に位置する江蘇省の農村都市、約500キロをバスで南下した。
 運が良いことに、そのバスは、浙江省の金華行きの長距離バス。1000 キロ以上走り抜くのだ。よって、バスは臥鋪車(寝台バス)。6時間、 ねっころがって、景色を眺めたり、昼寝したり、いい風がバス内を抜けて いくし、もう快適至極、極楽、天国。
 この寝台バス、どうなっているかというと……。普通の大型バスに3列の 寝台が14置かれ、それが2段になっている。つまり、計28名が寝られる というもの。
 ところで、バスで寝られるというのは、実は身体を伸ばせるとか睡眠欲を 満たせるといった点に限定できぬ隠れた長所があるのだ。普通のバスでは 座ることによって、下腹部を圧迫し無用の排泄欲に悩まされてしまう。 それを一挙に解決したのが、この臥鋪車である。
 生きるって耐えることなの!というあの下腹部圧迫の運命から解放され、 高速道路を突進するバスから見る空は、ともかく、最高であった! (2004.6.13)

 ■2004年6月8日、


たまたま窓から外を見ると、小鳥が窓際にいてこっちを見ている。あっ、 カメラ、カメラと戻って撮ろうとすると、向こう側の電線に逃げてしま った。

 電線にとまる姿しか撮れなかったのが、なんとも残念。
 何という名前なのだろう。この二年間で初めて見かけた小鳥だ。スズメ よりは少し大きめで、さえずることもせず、ひたすら風景を眺めている かのようだった。 (2004.6.8)

 ■2004年5月30日、空はかすんでいながらも 良い天気。なじみの海岸線を2時間ほど走ってきた。
 海水浴場は、もう夏のムード。まださすがに泳いでいる人はいないが、 家族連れやカップルでにぎわっている。砂浜に面した公園には、嬉しくて たまらない子供の声がこだまする。
 ただ一つ不思議なのは、「磯の香り」というのか、「潮の香り」という のか、あ!海だ、というその匂いがしないことだ。ふりかえってみると、 海を見ながら走っても、いつも海の匂いがしていなかった。なぜなのだろう。 (2004.5.30)

 ■2004年5月26日、蒸し暑い。それでも 今日はいくらか風があるのがせめてもの救い。
 しっとりした重い空気がシャツにかかると、気分までも湿ってくる。 そして、思うのだ。ホータンのあの乾ききった空を。 (2004.5.26)

 ■2004年5月18日、ゴールデンウィークに 新疆へ旅行して、8日に帰ると青島の寒さに 風をひいてしまった。しばらくして、夏が空を数日おおい、そして今日は、 すさまじい一瞬の夕立と強風だった。
 確実に、夏がそこまできている。しかし、 ホータンのあの空は、まったく別の世界のもの。中国は広い、あらため て思う。 (2004.5.18)

 ■2004年4月20日、一日中雨が降った 日曜日。快晴の昨日の月曜日。そして霧の一日だった今日。確かに春になりつつ あることは分かっても、天気はこちらの思うようになるものではない。
 しかし、どうであれ温度の差は確実に感じられる。足が、もう靴下はいら ない、というのだ。やっとこの季節が来た。靴下から解放される!これは 東京で仕事人をしていたときも痛切に感じたこと。
 で、今日から、靴下をはかないようにした。この快感。じかに足が世界を 感じる!それに、靴下を洗濯しないでも済む!
 そんな嬉しさで、夕刻、自転車で飛び出す。と、見かけたのは交通事故。 「公安」(警察)が日本と同じように写真を撮ったりして事故調査をしていた。大型 トラックの側に横倒しになっていたのは、二台の自転車。どうやら、横並び の二台の自転車が走行中、後から来たトラックに引っ掛けられたようだ。
 こちらが日本以上に危険であるわけではない。しかし、日本とは違う車の 走り方が(こちらは車が右車線=アメリカ風)気になる。そして、車もやたら 素人っぽい運転がおおいのだ。
 はだしで世界を味わいながらも、15kmレベルの走行で、そこそこに引き返 して来た。 (2004.4.20)

 ■2004年4月16日、昼の日差しに浮か れて薄着で外に出れば、夕方の冷え込みに身体をすぼめて帰ってくるよ うな日が続いた。
 それでも、今日は穏かな一日。夜8時から断水になるという知らせが あったので、それにかこつけて、早めに餃子屋へ足を伸ばす。ここは、 今週から、生ビールを飲めるようになったのだ。
 生ビールを飲みながら、餃子屋の息子と「会話練習」。彼は、ピッカピカ の小学一年生。今日は早い時間のせいか、胸に名札をつけている。「劉臣」 とあるので、「liu2 chen2」と呼びかける。すると、その劉臣くんは、「臣」 の発音がおかしいと、口をあけて説明してくれた。口の中の舌は、巻舌 音の位置から、きちんと「n」音へと正しく移行している。ふだん わんぱくで親をてこずらせている少年なのに、うれしかった。

 そのあとぼんやり……。イラクのことだ。すぐ後に中国人も拘束され ながら、すぐに解放された。日本の若い魅力的な三人の解放が遅れたのは、 なぜ?中国政府はアメリカ政府にお願いしなかった。が、日本政府 はアメリカ政府にお願いした。戦争を引き起こした当事者に対して、 それに対抗する勢力が拘束した人質の解放をお願いするというのは、 どう考えても訳が分からない。
 混沌とした状況にあっては、たとえば、「付かず離れず」といった処世術 がある。僕個人としては賛成はできない。しかし、現在の「日本国」 の枠内で考えるなら、過渡的な最低のありようとして、考えられてもいい。
 なのに、日本政府は「付く」ばかりで、アメリカ政府に お願いした。これは、しっかり記憶しておかねばならない。拘束された 三人の生命を見捨てる可能性があったからだ。やたら、「外務省が警告を 出していながら、そのイラクへ行くのは自己責任だ」などといいう言論が 目につくが、ならば、「国」などというものはいらないことになる。
 その時代の「国」の意志などは一時のもの。「国」を越えて人が動くのが この時代だ。

 ……などと、ぼんやり思っていると、ひたすらスープをすすっていた 劉臣くんと目が合った。小さな細長い顔に、澄んだ眼。拘束された三人 のうちの一人の女性は、家を失ったこういう少年達にできるだけのこと をしていたのだろう。そう思うと、目が潤んだ。その行為のどこが、な ぜ、いけないのか? (2004.4.16)

 ■2004年4月11日、

     水辺の小鳥1

    水辺の小鳥2
朝四時に眼が覚め、気になってラジオを聴き、ネットを見る。 イラクで捕らわれていた三人が解放される可能性が出てきたという。9日に、 こちらのTVで事件を知り、気になってならなかった。(こちらでは、ナイフを つきつけているシーンも放映されていた)
 「自衛隊は撤退しません」と語る福田・小泉の理不尽さにくらべて、 犯行グループの方が理が通っている。政府を代表する彼らは、そもそも なぜ自衛隊がイラクに行くのか、そして、だいたいアメリカのイラク戦争が 何故正義なのかについて、本質的には何も説明してこなかった。 犯行グループは、「日本政府は日本の人々を代表していない」「日本の人々 は日本政府に対して、自衛隊を撤退するよう圧力をかけるべきだ」との声明 を出したという。この話の方がずっと理にかなっている。
 人種・民族によって、属する「国」と一体化して判断すること、され ることは、とんでもない。人々がいてたまたま「なんじゃら国」を作る ものであって、さきに「国」があって人があるわけではない。それに、 この時代、「国」を作りたくない人だっているのだ。このあたりの事に 犯行グループは気づいたのだろうか。
 ならば、だれか人を捕まえて、その人が所属する「国」を脅すなどと いうことは断じてすべきではない。不合理には、徹底した合理(普遍性) こそが最大の武器になる。

 ……小珠山周辺をちょうど一回りしながら、そんなことを思った。途中、 このあたりでは珍しい風景を眼にしたのが、左右の画像。小さくて見にくい な、と思って近くへ寄っていったら飛び立っていってしまった。鳥の自由さ がうらやましい。 (2004.4.11)

 ■2004年4月4日、今日も風がおだやか、 昨日は山だったので、海辺を一回り。
 街を走って思うのは、いつのまにか、大通りができたり、トンネルで つながったりしているということだ。そして面白いのは、二年前に地図 を見ながら走っていると、道がなくて困惑したその道が造られていると いう点。
 先に地図があって、それから都市が建設される。それはそれで当然 なのだが、その地図が建設に先行して一般に市販されているというのが 何ともいえない。 (2004.4.4)

 ■2003年4月3日、

      鶏犬相聞

   計画出産の看板
太陽はグッと力を増してきたというのに、風が強くてなかなか自転車で 走れないでいた。今日になって少しやわらいだので、しめしめ、とばかり 自転車にまたがる。といっても、セーターの上にダウンジャケットを まとわないと寒い。
 何度か走ったことのある小珠山の裏手の山村をめざした。「野生動物園」 とか、「珠山風景区」といった観光地めいたものは避け、その上の山村に 向かって自転車をひきずる。今まで上にあった景色が徐々に目線と同じ 高さになり、そしてだんだん見下ろすようにっていくのが、心地よい。
 所々にポツンと植えられた小さな桜の木は、ほぼ満開。おもわず目が ゆるみ、その気持が足に伝わるのか、ズンズンズンとどこまでも登って 行きたくなる。
 鶏の鳴声がにぎやかな家を撮ったのが左の画像。レンガではなく石造り の家だ。さんさんと注ぐ陽光を浴びて、ニワトリたちは元気一杯。 何羽いるのかな、と数えてみると、80羽はゆうにいる。
 ゆったりした気持を引き締めて、山道を一気にくだって下の道路に出る と、右上のような看板があった。田舎になればなるほど、こういった計画 出産のアピールを目にすることは多い。しかし、具体的に報奨金の金額 を前面に押し出したものは初めて。
 ニワトリのように「生めよ増やせよ」という風にいかないのが、人間な のだなぁ、と帰りの道で思った。 (2004.4.3)

 ■2004年3月28日、朝から身体がうずき、 海岸を一走りしてきた。
 帰りに昨日の猿回しが気になったので、立ち寄ってみる。すると、 しっかりとやっているではないか。いいぞ!へこたれるな!とカメラで 一枚撮影(下に掲載)。すると、やにわに男が寄ってきて5元取 られてしまった。せちがらいのは、公安だけではないようだ。 (2004.3.28)

 ■2004年3月27日、

      猿回し
土曜日ということもあってか、街は人が多い。
 家佳源という比較的大きなデパートの近くには、人の大きな輪があった。 なんだろう、と自転車を止めてのぞくと、猿回し。3匹の猿に 「跪下(ひざまずけ)」とか「立正(気をつけ)」と命令するのだが、 猿の方は、全然違うことをやったり、芸人に悪戯をしたりする、という 芸のようだ。
 こういう大道芸は、取り囲んでいる人々の顔を見るのもまた面白い。 子供は、満面の笑みを浮かべているし、ちょっと強面の男もいつのまにか 顔が緩んでいたりする。春の日差しが人々の笑顔を浮き立たせている。
 だが、それも束の間、「去、去」と汚いものを蹴散らすかのような 公安(警察)の一語で、猿回しの一団は姿を消し、人々の輪もくずれ、 広場は、ただの歩道になってしまった。
 法律は大切だ。でも、その「法治」というものは、庶民のささやかな 楽しみを奪うことなのだろうか。
 日本とそっくりな光景を垣間見て、数年前、同じ3月末にいたことの あるパリを思い出した。そこでは、街の中に大道芸が溶け込んでいたし、 大道芸が街に輝きをあたえていた。 (2004.3.27)

 ■2004年3月26日、

 近くのメインストリート
春の兆しは街にもあらわれている。
 風は強くても、ひざしは春。歩いて20分ほどの開発区メインストリート ・香江路に出てみた。街路樹として植えられているこの木はなんというの だろう。枝は、上に伸びようはとしない。ただ、横に、しかも曲がりくねる 形で未来に自分を放っている。現在の自分に対しては、自制的だ。

 まるで、それは高山にひっそり生息するハイ松のようだ。生きぬくこと が全てであるように。
 厳しい気候の中で身に着けた知恵なのか。僕には、世界に向かって大胆 に描いた自然の絵画のように思われた。 (2004.3.26)

 ■2004年3月23日、暖寒の激しさのため か、柄にもなく風邪にかかってしまった。
 3月20日、東京では三万人の「自衛隊イラク派遣反対デモ」があった という。東京・日比谷公園には冷たい雨が降っていたらしい。雨にやら れた訳でもないのに、僕はベッドで寝込んでしまっていた。 (2004.3.23)

 ■2004年3月16日、サイクルメーターが やっと3,000kmを越えた。
芭蕉はあの「奥の細道」2,500kmを、5ヶ月で歩いたという。  こちらは、昨年8月31日に2,000km、そして通算1年半、しかも自転車 で3,000kmと悲しいほどに少ない。ま、仕事があるからと言い訳しつつも、 何とか7月までにキリのいい5,000kmと行きたいものだ。 (2004.3.16)

 ■2004年3月14日、この週末には、煙台 へ、一週間前には即墨へ行ってきた。即墨では、身体の芯まで冷え込 んだが、もっと北で黄海に面する煙台は、暖かかった。
 春は、地理的な位置よりもその時々の気まぐれさによることが多いようで、 その点は日本とかわらない。ただ違うのは、昼と夜の温度差が激しいこと。 帰ってきた今日も、昼はうららかな日差しだったのに、夕方には寒い風が 吹いている。 (2004.3.14)

 ■2004年3月5日、やはり春はすぐに来ない。 一昨日の朝は、軽い雪の化粧が一面に見られたし、今日も冷たい風が、わが 髪を鍛え、しかも時折、ちらりほらりと雪が舞う天気だった。
 あなどるなかれ、ここは大陸。
 自転車で走りたくてウズウズする気持で、部屋から外を見ながら指を くわえていた。 (2004.3.5)

 ■2004年2月19日、青島にもどって5日ほど 経過。とても暖かな日々がつづいている。
 いつのまにか、煙突を見て、その煙のたなびく方向でだいたい判断する ようになったが、ここへ来てずっと、南風。日差しも春のそれで、心も身体 もゆったり、のんびり。 (2004.2.19)

 ■2004年1月9日、今年は暖冬。朝起きて 外を見渡しても、霜はそれほど降りていないし、雪らしい雪は降らない。 時折北風が吹く日があっても、ほとんど無風か穏かな南風。
 体の芯から冷え切って、白い息をハーハーさせて部屋に立ち戻る、という ことはめったになかった。寒さに身を固めることも必要なのだが。 (2004.1.9)

 ■2004年1月6日、

 干潮のゴールデンビーチ
日本から知り合いが来訪し、バスでゴールデンビーチにでかける。自転車 ではおなじみの海岸だけど、自転車を置いてのんびり砂浜を歩くことは、 これまでなかった。
 残念ながら、曇天で水平線が描く永遠は見えなかったけれど、たまたま 干潮だったので、広〜い砂浜をどこまでもどこまでも歩き回る。
 人の姿は散見するだけで、干潮でうちあげられたヒトデの数の方が多い。 ひさしぶりに見る様々な形のヒトデに見ほれた。星とそっくりなのは、 もしかして初めて見たのかもしれない。
 たっぷり半時間歩いても、身体は少しも冷えることはない。今年は、 暖かい冬のようだ。 (2004.1.6)

 ■2003年12月25日、学院の院長招待 の宴があった。外国人教員すべてを呼んでの宴会。そこでも、そして 昼間も、行き会う人にも聞かれるのは、きまって「いつ、帰国しま すか」という質問。
う〜ん
  人がいう 帰国するのは いつですか 聞かれて思う 困ったなぁ
……という思い。 (2003.12.25)

 ■2003年12月22日、今日は、冬至。 こちらでは、餃子を食べるのが習わし。ということで、久しぶりに 行きつけの餃子の店に顔を出した。こちらに住むと、暦、それも旧暦 がなぜか生活サイクルに合う。
 今日も暖かな一日だった。昨年より暖冬のようだ。
 ただ、帰ってきて、上の奥の歯に被せていたものが取れてしまった ことに気づき、口の中に急に風が吹き始めた気がする。外は穏かなのに。 (2003.12.22)

 ■2003年12月21日、

  芝生で仕事をする人たち

    芝生養生中
ゴールデンビーチへ向かう道は、マンションがどんどん建って、ごらんの ようにある種の美観が漂っている。手前のも、奥のも、いずれもこの一年 の間に建設されたもの。特に、奥のマンションは、すぐ左手がゴールデン ビーチなので、部屋からはなかなかの眺望が拝めると思う。
 ところで、そのマンションに沿ってずっと続く芝生の上で、働く人々が いる。いったい、何をしているのだろう。
 と、近寄ってみる。養分のありそうな黒土を芝生の上にかけているのだ。 右の画像が、その近景(ただし、道路の反対側を反対方向から撮影)。あの 黄土のように干からびた土ではなく、比較的湿り気のある黒土だ。
 冬に向けて、芝生を守る作業なのだろう、と納得した。 (2003.12.21)

 ■2003年12月19日、

    朝の開発区
早朝、眼が覚めてカメラを手に外へ出た。昨夜強風が吹きまくったので、 すっきりした風景が見えるはず。
 頭の上に下弦の月と明けの明星が冴えた光を見せ、学生たちは、6時半 からのジョギングを開始しようと整列しはじめている。
 冷たくひきしまった空気の中、東方を見つめるが、高さのせいもあって、 地平線から出る太陽の姿は見えない。向こうに見えるのは、開発区の電波 タワー。 (2003.12.19)

 ■2003年12月15日、ちょっと外を 歩くと店の前などで、練炭に火をつけていたりする。暖房用というより は、お湯をわかしたりするのに使っているようだ。
 日本の練炭よりは小振りで、二段、三段重ねにしている点に魅せられて じって見つめてしまった。
 豆炭と練炭は、1960年代の高度成長までは燃料の王様だったのに、あっ というまに姿を消してしまった。小学校時代、練炭に火をつけるのが日課 だった僕は、新聞紙に火をつけて盛んに燃える炎がすぐに消えてしまう のによく見とれていたものだ。
 豆炭は、まだここでも見かけない。 (2003.12.15)

 ■2003年12月7日、

 建設中の高層マンション

   レンガを運ぶ
昨日は曇り空の寒風が吹きすさぶ一日だったが、うって変わって今日は朝 から風もなく晴れわたる。ならば、これだと、自転車にまたがり今日は北側 へずっと走ってみた。
 いつも良くあることなのだが、レンガを積んだトラクターが排気ガスを 撒きながら前を走っている。さりげなく追い越して、撮ってみた。(画像右)
 バインドは何もなく、ただレンガを積み重ねたままで、しかもギリギリに 積まれているのだ。これで落ちることはないのだろうか、と常々、心配して は密かに老婆心を作動してきた。卓越した経験則によるのだろうか、これま で、失敗した例は見たことがない。
 ところで、そのレンガは何に使われるのか、と言えば、あらゆるビル・ マンションに使われているのだ。左のマンションは、当地では「花園」と いわれる比較的高級なもの。普通は、6階くらいなのだが、これは20階建て のようで、建設中の雰囲気がわかると思う。香港辺りでは、建設中用の支柱 に竹が使われるとのことだが、ここでは日本と同様、鉄パイプだ。広告が あるのも似ていて、すぐ傍に販売所がある点も共通している。
 広さは、100u以上が多く、分譲価格は二・三十万元(300万〜450万日本円) が多いようだ。ただし、土地は国有なので、日本でいえば借地権と住みかを 買うことになるのだろう。マンションブームで、中国人同僚もかなり購入し ているようだ。 (2003.12.07)

 ■2003年11月29日、

 寒に向かって咲く花
このところ数日、朝はガスがかった天気がつづいている。お昼になって、 やっと期待の太陽が顔を見せてくれて、のんびり海岸沿いを一走りして してきた。
 みえない水平線を見つめてもしようがないので、ひとりでに視界は近い ところに向く。海岸線から切り立った崖の、きっと風が強いだろうと思わ れるこんなところに、まばらではあるが群生する花が目に入る。
 すでに開ききったのもあるけれども、つぼみの花もある。寒さにむかっ て、咲こうとする花の一群。その、けなげなさに、じっと見つめてみるが、 名前はわからない。野菊の一種なのだろうか?伊藤左千夫の『野菊の墓』 をふと思い起こす。あれは、確か陰暦九月十三日(後の月)、すると今のこ んな時期ではない。
 野生ではない筈。だれかが何かを思って植えたに違いない。いったいど んな思いで植えたのだろうか、と思いつつ引き返す。行きには気づかなかっ た風に向かうことになったが、想いの強さのせいか、寒くはなかった。 (2003.11.29)

 ■2003年11月27日、昨年からすると、 そろそろ霜が降りる頃だと思いながら、朝、外を見るのだが白いものは ない。今年は暖かいのだろうか?去年が寒かったのだろうか?ともかく、 風さえなければ過ごしやすい。
 学院は、今週初めからスチームが入った。とはいえ、僕の部屋は広く て、なかなか暖まらない。で、昨年購入した400W×2の電気ストーブ が頼りだったのだが、故障して点かなくなってしまっていた。
 そこで、買った店へ持って行き、少し値切って他のストーブを購入しよう と思っていたら、修理可能だと言う。10元(約150日本円)。 「また壊れたらいらっしゃい」という言葉が壊れる必然性を予感させて不安 をかりたてるものだったが、ま、修理システムがあることが嬉しくて、 今、腰を暖めつつ書いている。 (2003.11.27)

 ■2003年11月22日、

 頂きの岩が面白い山
今日は走りに走った。102kmは、ここでの一日走行距離としては最高 だろう。快晴で風もなく、自転車も先へ先へと行きたがった。
 目標地点は、11月1日にもめざした斉の長城跡。40kmまでいった所で、 探し始めるが、今日も見当たらない。「地図にあっても、ないのが多いん です。文化大革命で古いものは壊されたらしいです」と、当地育ちの学生 がそういえば言っていた。崩れかけた城壁、乾ききった壁。それは、 幻なのか。ただただ走り、探しまくったのだが。
 ヤギの群、牛の群、のどかな農村風景が広がる。朝食時に手に入れてお いた包子(肉まん)とジャスミン茶が力を与えてくれた。  左の画像は、途中で見かけた小高い山。頂きの岩が丸く風化していて、 とても面白く思った。その頂きまでは段々畑がずっとつづいていた。 (2003.11.22)

 ■2003年11月17日、

 すっきりそびえる小珠山
昨日の天気予報では、青島は3℃/13℃ということだったが、実際はもっと暖かに 思える一日だった。部屋の窓から朝には、左のような小珠山が見える。
 そういえば、昨年はこの時期に登ったのだった。 小珠山のページが、「来ないのかい?」と呼びかけている気もするので、 ぼちぼちアクションを起こそうかと思っている。
 ところで、昨日、ダスティ・ホフマンの『レインマン』をテレビで観た。 アリゾナの砂漠を車で走る風景があったが、あの山がこの小珠山とよく似ている。 荒れて岩だらけ。生命の息吹は感じられない。
 西部劇の舞台なのだ。と、すると、「西部開拓」などという言葉も同じよう に語られていて、中国とアメリカは、とっても共通項が多いと感じられ、もし かして、中国の西部にも『帰らざる河』なんて形で、モンローばりの人がいる のかな……なんて、勝手に想像してニヤニヤ笑ってしまった。 (2003.11.17)

 ■2003年11月1日、

   膠南市隠珠鎮広場
暖かな日差しに誘われて、膠南へ出かけることにした。膠南市は、南西に位置する 隣町。何度も海岸沿いの道路を走って行ったことがある。だが今日は、その奥にある 筈の斉の長城遺跡をめざそうではないか。朝食時、「包子」(肉まん)を二個包んでも らって、決意も固まる。
 だが、自転車が不調だ。右のペダルを踏むたびに音がする。最近、ちょっと御無沙汰 していたので、ご機嫌斜めなのか。音だけが問題のようだが、どうも、身体との一体感 が損なわれる。
 やかましい膠南の市街を通過すると、農村がひろがる。舗装道路が、ところどころ 途切れる。むきだしの乾いた土はでこぼこなのだが、気持はほどける。
 しかし、肝心の「斉の長城遺跡」には行かずじまい。サイクルメーターが50kmと 表示した辺りで引き返すことにした。帰ってから、地図としっかり相談し、また自転車 の気持をいたわってから、いさぎよく再挑戦しよう。
 帰り道、「大きな手」像が眼に入る。とっても大きなな遊び心がいいなぁ、 デジカメ持参も、無駄にはならなかった。なお、「手」の右側にある像は「朱雀」で、 その右側の岩には「隠珠広場」と書かれてあり、この広場には他に青龍・白虎・玄武像 もしっかり設置されていた。 (2003.11.01)

 ■2003年10月25日、

   銀沙ビーチ全景
二週間ほど、天気が安定して秋晴れが続いている。このところ、青空文庫に入りびたりで、中国にいながら、日本の小説ばかり読ん でいたので、久しぶりに銀沙ビーチへ行ってみた。
 学校を二分するように、片道三車線の道路が貫通したので、東方面へ行くのも楽にな った。これまで、この閑静なビーチまで15qはあったのが12qで行ける。ともかく、 道路がどんどん造られている。しかも、速い。2・3ヶ月で、そこにあった筈の家も含 めて新しいアスファルト道路が完成している、といった具合だ。
 といって、無計画ではない。というのは、昨年に来た時、当地の地図を入手し「道路 がない!」と頭をひねっていたのが、その地図通りに現在はなったからだ。地図では、 学校は二つの大通りに面していた。しかし、その一つはなかった。それが、先ほどのよ うに、学校を二分するように片道三車線の道路が貫通し、もう一つの大通りと面するよ うになったのだ。
 道路地図が、未来の(おそらく計画中の)道路をも描いていたことになる。ウッ!
 ……などと、風に乗ってペダルを踏みつつ思って、ビーチ全景を見下ろせる所に到着。 何度も来ながら、カメラがなくて写せずにいたが、今日やっと全景をシャッターオン。 (2003.10.25)

 ■2003年9月20日、

   実は雷達塔
朝から快晴、空気が澄み渡って遠景が見える。ならば、人生やり残したことがあった、 と朝食をすますや、一路、あの謎の怪奇建造物へと自転車は進む。
 位置は、薛家島フェリーターミナルの傍、大澗山山頂である。といっても、標高176m と地図にはあるから、小高い丘とでも形容した方がよさそうだ。少しひんやりした風に 乗りながら、工事現場に到着する。
 しかし、現場そのものに立ち入ることはできない。日本のその手の建設現場にあるの と同様に、「施工標志牌」なる看板が掲示してあり、そこに工事の概要が述べられている。 青島気象局の「新一代天気雷達站雷達塔」とある。どうやらレーダータワーのようだ。
 それにしても高い。百メートルはありそうだ。一番下が細く、しかも角度によるせいか ピサの斜塔のような気がする。
「このタワーは何?」と、汗を流している作業員に聞いてみると、「この開発区で一番 美しいタワーだ」と胸を張って答えてくれた。あと二ヶ月で完成との事。 (2003.9.20)

 ■2003年9月15日、さっき停電があった。パソコンで 仕事をしていて、急にあたりが暗くなって、でもノートパソコンなのでそのまま仕事は 続行。
 20分ほどして、電気はついた。アッと驚くほどの部屋の明るさ。むろん、それでも 東京の僕の所よりずっと暗いのだけど、あの停電の闇からみると、まったく驚くべき 明るさだ。
 その時、思った。昔の日本、僕の子供の頃は停電はしょっちゅうだった。しばしば 訪れる暗闇、ロウソクをおばあちゃんのとこへ行ってもらって、点けて見える世界は 違うものだった。家族の一人一人の顔までが、とっても怪しげに見えたものだ。
 ここでは、停電も断水も日常的。でも、「遅れているから」とは思わないし、腹も 立てることもない。そもそも、怒っても無駄なのだ。
 ただ、闇から物を見たり考えたりすることは、明るさからそうするのとは全然違う と思った。
(2003.9.15)

 ■2003年9月10日、

午後5時54分、沈みゆく太陽
久しぶりに拝む輝く太陽。なつかしいと言うよりも、太陽ってこんな風だったんだなと 思う気持の方が強い。それほどに、久しぶりだった。小珠山を、朝から晩まで見られた のも、今日が初めてだ。
 太陽が元気な姿を現すと、こちらまで元気になる。せっせと掃除したり、洗濯したり、 自転車にまたがったり、仕事もガンガンやろうという気になる。内向きだったのが一変、 外向きになるのだ。
 しかもこちらでは、今日は『教師節』ということで、学生から月餅を頂戴して甘さに しびれた。8月24日に戻って以来、はじめて見ることのできた夕陽は、5月12日、6月24日 と比べると、ずっと南側に寄っていることが分かるだろう。部屋の窓から見られる夕陽も あと少しの期間だ。 (2003.9.10)

 ■2003年9月5日、行きつけの牛肉麺の店に行っても、 なじみの娘さんがいない。
 一週間ほど通って、ずっといないので聞いてみると、故郷へ 帰ってしまいもう来ないかもしれないとのこと。SARSのためか、すいていたお店で、 あれこれ話したことが、もうそれきり……ということなのか。今は店も大繁盛で、 テキパキ動き回る女性が代って働いている。そのテピパキさが、すべてを失わせている ように思えてしまう。
 牛肉ラーメンを食べ、タバコを買って帰るのが日々のコースだったので、自然その コースをたどるのだが、スーパーにいつもいて、僕のタバコを「紅梅」ときちんと知って いてくれた娘さんもいなくなってしまった。ある時は、良く似たお母さんが坐っていて、 同じように対応してくれたのだが、その母もいない。二人とも、いい眼をした上品な感じ の人だった。
 31日以来ずっと、雨・曇り・霧の日々、今日の午後、やっと開けた外の風景の中に 入っても、随分かわってしまったことに、たじろぐ。 (2003.9.05)

 ■2003年8月31日、

  これって何?
一週間前の24日にこちらに戻る。 その二日ばかりは暑くて、青島生ビールが恋しくてたまらなかったものの、それからず っと冷たい雨がつづく。夜には毛布を引き出すありさま。
 今朝やっと見えた太陽。うづく気持で自転車にまたがり遠出、サイクルメーターが やっと2000kを超えた!
 たった二月前に建設中だった道路やビルやマンションがその姿を現しはじめている。 昨日とは違う今日が連綿とつづいていくのだろう。昨日にこだわる人は捨て去られ 忘れ去られ、今日を明日を生きようとする人が重宝がられ、幅を利かし、世にのさばる のだろう。
 ……と、我が物顔に警笛を鳴らしまくる車が多くて、いらいら思った。
 いつものゴールデンビーチ方面をのんびり回遊し、いい汗に身体がほてりはじめたら、 向こうに妙な建造物が目についた。小高い山の上に、重力の法則に反するかのように 建設中のあれはなに?
 さっそく、近寄って撮影。しかし、お腹も、足も、帰ろうよと言うので今日はここま でとなってしまった。なんだろう?これは? (2003.8.31)

 ■2003年6月24日、

午後7時11分、沈みゆく太陽
今日はトンボが目に付いた。それも、すごい量で、外で口をあけていると、食べて しまいそうな量。赤とんぼでもないし、麦わらトンボでもない。鬼ヤンマでもない。 むろん、銀ヤンマでもない。いったい、なんだろう……、と思って、草花に止まって じっとしているトンボを探しても、いない。
 振り返ってみると、一昨日は、ガスが蔓延、なのに夜になると凄まじい「傾盆大雨」 が数時間にわたって降りまくり、昨日はガスというか、霧というか十メートル先も見 えない一日だった。
 それが、今日は朝から小珠山がくっきりと浮き上がり、すばらしい一日。そういった 気候の変化にトンボは敏感なのか?ともあれ、こんな日には夕陽を撮らなければ一日が 終わらない、ということで撮ったのが左の画像。夏至から二日が経過している。 5月12日の画像と比較してみると、ずっと、太陽の一日だと分かっていただけると思う。 (2003.6.24)

 ■2003年6月17日、夕食前の1時間余、いつものよう に外で学生との会話練習、強い日差しがまぶしい。「先生、こんなに暑いのに長袖なん ですか」と学生は言うけれども、大陸の気候はあなどれない。案の定、日暮れが近づいて 来ると、グッと涼しくなった。
 ところで、今日は初めて「尻取り」をやってみた。真剣に考え悩む姿がほほえましい。 「と」で回ってきて「トマト」で回したり、「し」で回ってきて「しるし」で回したり したので、隣の女学生が顔を真っ赤にしていた。僕ってけっこう、意地悪なのかな、 とすら思った。 (2003.6.17)

 ■2003年6月14日、5月は、自転車の季節

それはこちらでも変わりはなくて、走れる限り、サイクリングにいそしんで、ほぼ 一月が経過した。表に、サイクルメーター(自転車距離計)を表示したこともあるけど、 やはり今の季節、太陽に誘われ、風の音を聞く楽しさにつられて出たくなる。
 自転車が行きたがるのは、やはり、海辺。花に目を奪われ、風と波の音の手前に、 鳥の鳴き声が響く。ところが、そういうときに限って、カメラもボイスレコーダーも 持っていない。これも、行き当たりバッタリの人生のせい、何とかしないといけない、 と、今日は意を決して、万全の装備を整えて出かけた。
 しかし、草花は、昨日の落雷と大雨のせいか、あるいは、6月中旬という時期のせいか、 精彩を欠いている。それに、たくさん聞こえた鳥の声も、今日は聞こえない。
 ある一瞬、その一瞬にしか、何かは立ち現れないのだと実感。 (2003.6.14)

 ■2003年6月4日、数日前から、学院の食堂でも外の お店でも粽(ちまき)が目に付くようになった。今日は、旧暦5月5日、端午節。粽と 言っても、色々な種類がある。一番、身近なのは紅棗粽か。もち米(糯米)の中に棗が 一つ入って笹、あるいは葦の葉で巻いてある。ちょっと甘いのが玉に瑕。 (2003.6.4)

 ■2003年5月26日、暑い日ざしを避けて会話練習を 学生たちとしているうちに、話題が、食べられるもの──になっていった。すると、 「あれは食べられる!」といって走って取ってきてくれたのが、槐(えんじゅ)の花。
 中国の小説でいつかどこかで見かけたことがあった。定かでないので学生諸君に対し 話題にもできず恥じ入るところ。
 真っ白で、「おいしいですよ」と行動隊長・王○○はムシャムシャと食べ始めている。 口に入れてみると、ちょっと甘さを感じさせる。
 しかし、槐には、薔薇のように棘がある。行動隊長は、その棘に刺されて親指が 赤くなっている。クラスメートの女学生達がそろって彼をいたわる姿に、ほのぼのした 思いを感じた。 (2003.5.26)

 ■2003年5月23日、なじみの牛肉麺の店にも生ビール が入り、季節は夏。夕方ふらっと行きジョッキを傾けていると、ニューヨークから来た英語 の先生が顔を見せる。「Hi!」と誘って、初めての同席。
 彼女は、後期(2月末)からの赴任。ときどき出会い、「Hi!」と挨拶すると、かわいらしく 答えてくれる愛嬌のある若い女性だ。
 ところが、こちらの口から出るのは、「What What……」といったたどたどしい英語。それでも、 彼女が少し分かる中国語と、僕が少し分かる英語で、つまりは、僕の頭の中では 滅茶苦茶で、それでも意思の疎通ができるというのが、天が与えてくれた恩恵。
 話題は、SARSの中での夏休み。「SARSはアンラッキーだけど、わたしの中 ではそんなに恐くないの。ボーイフレンドと一緒に昆明を旅行するつもり」と気楽に楽しそう に語る。彼女のメガネの中に一瞬、ボーイフレンドの姿が浮かんだ。 (2003.5.23)

 ■2003年5月20日、SARSのため学生は4月28日から 外出禁止になっている。そのためか、放課後のキャンパスは、バトミントンと建子が 花盛り。(「建子jianzi」は正しくは「毬」の「求」の部分に「建」の字がのったもの)その jianziというのは、羽根突きの羽に良く似たものを足で上に蹴って遊ぶ。平安時代の 蹴鞠は、こんな感じなのかな?と思ってやってみるが、とても彼らのように上手に思った 方へ蹴り上げることはできない。
 運動不足が身体の硬さへと進化したのかな、と思いつつも、学生らが無邪気に 興じている姿にほほえましさと同時に不安も覚える。
 そういえば、今日、「近い時期、(我々外教に対しても)外出を禁止する。週一度土曜日に 買物のための便宜を与える」といった官僚的文書が何の理由説明もなく机上に 置かれていた。「ふざけるな!」と『五分の魂』がむらむらと湧き上がった。
 晴天の下、無邪気に戯れている若い人たちは、こんな思いをどうしているのだろう ……と、その課外での自主会話練習時にそれとなくほのめかしてはみるが、 いらだたしさ・嫌悪感は抱きつつも、反抗・抗議へと意識化されてはいないようだ。 (2003.5.20)

 ■2003年5月18日、夏の暑さが一挙にやって来た。 午前中から燦々たる陽光が注ぐ。つられて自転車と共に外出。柄にもなくケンタッキー (こちらでは「肯徳基」と表記)に立ち寄り、「香脆鶏腿漢堡」とコーヒーで〆て14元也。 一度の食事としてはかなりの高額だ。それも「太陽のせい」か。
 日曜日なのに、街はいま一つ活気がない。5月8日から、SARSのため市全域の 网吧(Net-Cafe)・カラオケ・映画館・舞庁(ダンスホール)・ 夜総会(ナイトクラブ)などは一律営業中止となっているからだ。
 その徹底ぶりは敬服に値する。しかし、16日、ここから北に約30qの膠州で、SARS 患者が一名出たというニュースが走った。これ以上の拡大がないよう祈るばかり。 (2003.5.18)

 ■2003年5月14日、昼休みに、学生とつれだって 学園の片隅で日本語の会話練習をする。うららかな陽射しの中で、話題は転々として いつのまにか、日本の結婚式になっていた。
 ちょうどその時、綿のようなものがふんわりと空に漂い、そしてゆっくりと落ちてくる。 よく見ると、あちらにも、こちらにも……。柳絮だ!『柳絮飛ぶ頃』だったか、中国 の小説で目にしたことはあっても、まのあたりにするのは初めて。なんともいえず 妙に心がうきうきして、急に饒舌になったためか、三人の学生はちょっと不思議な顔を していた。 (2003.5.14)

 ■2003年5月12日、

午後6時36分、沈みゆく太陽
太陽というのは、すばらしい──としみじみ思う。
 西の部屋に面している僕の部屋、冬にはまったく日が差すことはなかった のが、一日一日少しずつ移動し、今は夕刻4時以降、日没まで僕の部屋を 占拠するまでになった。
 とっくりと沈み行く夕陽をながめつつ、ビールを飲む心地よさ、それは 文字通り何物にも換えがたい。嬉しさ、せつなさ、困惑……あらゆる人間の 感情を受けとめ、それらをやわらかくいたわり包み込むようだ。慈愛という 言葉は、太陽のその恩恵から生まれたのだろう。
 物思いにふけりつつ、ゆったりと夕陽に見とれていたら、いつのまにか 午後6時36分。夕食を忘れていた。 (2003.5.12)

 ■2003年5月10日、昨日・今日と晴天。 とはいえ風が強くて、外に小一時間もいるとけっこう冷える。
 しかし、太陽がいっぱいなので、これは生ビールの季節とこじつけざるを得ない。 ということで、外へ出て、めざとく見つけた店で、生ビール2斤(1リットル弱) と水餃子を頼む。
 来るまでの時間、ぼんやりと昨日の夜のことを思い起こしていた。 最近坊主(五厘)になった学生がいて、彼に、その理由を尋ねたっけ…… でも、すぐには答えにくそうなので、挑発:「男が五厘になるのは、失恋した 時と、悪さした時だけだろ!」  その虎○○いわく:「学校が余りに厳しいので、坊主にしたんです」
 うーん、わかるなぁ。でも、矛を収めるわけには行かないので、一緒に来た 女学生達に尋ねる:「自分が坊主になることで、抗議になりますか?」、口を合わせて 答えはNo!
 そうなんだなぁ。なぁんにも効果や結果がもたらされなくても、やりたくなる のが若さなんだ!大切なのは、おかしいものをおかしいと思う感性。効果や結果 とは、別問題。そういえば、その昔、僕は高校時代の盛夏、裸の上に黒い制服を まとい、なおかつ、黒の長靴をはいて通ったことがあった。その当時の映画の題 名にもあったけど、今思えば『馬鹿丸出し』(はな・はじめ)
 でも、馬鹿は決して悪くないぞ〜!と一人つぶやいているうちに、生ビールと 餃子が来て、馬鹿さと若さに乾杯! (2003.5.10)

 ■2003年5月7日、早朝からすごい雨と風。 昼ごろから、雨は止むが風は夜まで荒れ狂っている。
 思い出したのは、ヘルマン・ヘッセの『春の嵐』。これは、翻訳本によって 『ゲルトルート』という違う題名のものがあったかもしれない。とはいえ、 中身は「春の嵐」。その「嵐」は、ここのこの強風に脚色される嵐とは違って、 語義通り「春」を呼び起こすものだった。
 しかし、ここでは「春の嵐」は冬へと立ち帰らせる雰囲気を帯びている。二枚 来た長袖の上に、ウィンドブレーカーをはおり、美味しい焼きソバのお店へ夕食を 食べに行ったら、心まで冷えてしまった。 (2003.5.7)

 ■2003年5月4日、午後になり薄日がさしてきた。 ならばシーサイドを走ろう!と、ゴールデンビーチ とは逆方向の南方にあたる膠南方面へ自転車は行きたがる。
 ゴールデンビーチもいいのだが、膠南へ向かう道路も快適で、海水浴場も整備され つつある。ほんの1時間ほどで、サイクルメーターは25kmを指す。だが……、道路 サイドに立っている旗は、「追い風」。まずい!と、引き返すことにする。
 帽子をかぶり直し、身体を縮めてはみるが、かなりの風圧で、ダウンロードですら、 こぎまくらないといけない。ふっと、その昔、北海道を走っていた時を思い出す。 宗谷から紋別へ向かおうとするのに、すごい向かい風でクッチャロ湖までしか行けな かった。それは、1990年夏のこと。それから何年も経って、今ここを走っているけど、 これから先もそんな風に思いがけない所を走っているかなぁ。
 ……と思っているうちに帰着。それほど遠くないので、1.5倍の時間で帰って来られた。 しかし、「今日はどこに泊まることになるのだろう?」という、旅ならではの、あの 醍醐味を味わえぬのが何よりも寂しい。 (2003.5.4)

 ■2003年5月3日、土曜日なのでせっせとプリントを作成し、 印刷してもらって、ぼちぼち5月の風を浴びて走りたいな〜と思ったものの、 天気はよくない。断念して、部屋でぼんやりしていると、窓の外を素速く飛ぶものが いる。それも沢山。なんだコレは?
 つばめ(燕子)だった。スズメ(麻雀)やカササギ(喜鵲)はおなじみだけど、燕は初めて。 空をまるでワープするように飛ぶ姿が爽快だ。
 SARSがなければ、今頃、気ままに自転車で数泊の旅に出ていたかもしれないな、と 思うと、「つばめさん、僕の代りに飛び回ってね!」と妙に素直な気持になって、 曇りの空をじっと見つめた。 (2003.5.3)

 ■2003年4月30日、


 昨日は強風が荒れ狂い、外にでる気にもならない一日だった。しかし、今日は 打って変わって春らしいほのぼのとした天気。あの風で「花の命は……」どうなった かな、と柄にもなく気になって外へ。「うらうらと照れる春日に……」などと 思わせるほどに太陽が温かい。
 かなり散ってしまったが、しかし、まだまだ風景に彩りをもたらしている。 ここの桜は、八重桜系か山桜系なのか、可憐さを拒否するかのようにボテボテと 存在感を主張している。咲き始めの頃は、これは桜ではないなぁ、なんて感じた けど、大陸に生きるにためには、こんな姿であることも必要なのだろう。 すべての桜が染井吉野であることはないのだ──と当たり前のことを思いつつ、 二時間自転車で郊外を走り回り、久しぶりにいい汗をかいた。 (2003.4.30)

 ■2003年4月26日、SARSのため、23日以来 学校への出入りが厳しくなった。食料も門のところで食堂スタッフが受け取り、 食料搭載トラックの学内入りは難しくなった。学内に寄宿舎がある学生は、 日曜日のみ外出が許されていたが、それも、一ヶ月は外出不可になった由。 そんな中でも僕はかならず毎日外出していたが、今日は、門のところで初めて、 行き先・出発時刻などの記載を求められた。気まぐれさ が許されないので、自転車も走りたがらない。「外国人教師は帰国してもよい」との 通達が出たとも聞く。春めいた暖かな日なのに、心ははずまない。 (2003.4.26)

 ■2003年4月24日、部屋のすぐ西側にある畑から、 蛙の声が鳴り響く。ちょっと日本の蛙とちがう声 だが、確かにそれだ。大地の奥底から、絞り出るような声。 SARSにアタフタの人間をあざ笑っているようにも聞こえる。 (2003.4.24)

 ■2003年4月23日、昨日書いたように、「5・1節」 (5月の連休)が短縮されて3日とのことが、山東省からの通達で、それも変更され 休暇無しになった。法定休日は夏休みに繰り延べられるとのこと。人の動きを可能な かぎりすくなくしようとの考えなのだろう。学校の校門でも、外部人間の立ち入りが 厳しくなった。部屋に置かれた折り畳み自転車が、さびしげに腰を折っている。外には 靄がたちこめ、気が重くなる。 (2003.4.23)

 ■2003年4月22日、昼ごろから冷たい雨が降り出し、 寒くなる。寒さ、というと、一昨日の国務院決定を受けて、昨日、外国人教師全員 (米・加・独・韓・日)を集めて、SARS対策と5月の連休短縮に関しての説明があった。 SARS対策として、学内全ての消毒・予防対策への協力呼びかけ、連休は7日予定が3日 となったとのこと。学校に問題があるわけではないが、中国当局者による隠蔽工作が SARS汚染に手を貸したことは事実。春の冷雨がいやに寒く感じる以上に、人間の恣意的な 動きにくそ寒さを感ずる。 (2003.4.22)

 ■2003年4月20日、春風が呼ぶので素直にこたえて、

サイクリングにでる。斉の長城跡を探してみようと、西にそびえ立つ
小珠山を南側 から迂回して、その裏側に出る作戦。地図を見る限り、そこはかつての長城があった 筈。

 ところが、走れど走れど、それらしき跡は見つからない。「ま、それも人生!」、 とのんびり走っていると、カササギ(喜鵲)の声がするので見上げると木の上に巣がある。 あっ、こんなところに巣をつくっている……、と濁音の鳴き声にあまり好感をもってい なかった喜鵲がちょっぴりかわいくなった。
 この小珠山の裏側は、一帯が農村地帯。日曜日なのに、せっせと畑を耕したり、種を 撒いたりしているお百姓さんの姿が目につく。
 かわいらしい桃の花も咲いていた。もしも付近に川でもあって、ずっと桃花が咲いていると、 もう帰られない桃源郷にたどりつくのかな、などと思ったりしたけれど、川はなく桃の花 もチラリとしか見られず、つまりは桃源郷に行くこともなかったけれど、小珠山を丸く 一周する形で55q、4時間にわたる春の田園地帯サイクリングを終えた。 (2003.4.20)

 ■2003年4月18日、朝、窓をつく「ヒューヒュー」 という風の音で目を覚ます。窓がガタガタと音を立てるくらいの強風。風に向かって 歩くには相当な意志と努力が必要。結局、朝から夜までの丸一日、この風は吹きまくり、 授業以外には、部屋にこもることになった。とはいえ、その風によって遠景までクッキリ 見え、とりわけ夕陽はなかなかのものだった。 (2003.4.18)

 ■2003年4月17日、夕刻の食事時、ゴロゴロ雷がなり、 夕立。昨夏来てからはじめてだと思う。雨の少ない当地、相合傘姿を見るのも新鮮で、 ちょっとまぶしかった。 (2003.4.17)

 ■2003年4月10日、E-Mailで「東京は桜が咲いたよ」 などとメッセージをいただいてから10日余り、晴天につられて、中山公園の桜を見に行く。  ウーン、大陸の厳しさか? まだまだ、あでやかさのないものでした。 (2003.4.15)

 ■2003年3月26日、昨日午前中からの断水で、ちょっ と困る。「断水」は時折あり、たいていは事前に知らせがある。ところが、今回は突然の こと。
 僕は、朝が早いので、うまいことに直前に洗濯を終えていた。しかし、たまたま洗濯 機を動かしていた音が聞こえていた上の階の人はどうしたのだろう?  ……というようなことを感じさせる季節感覚でもあった。(結局、30時間ほどの断水だ った) (2003.3.26)

 ■2003年3月4日、夕刻、中国人同僚と牛肉麺を食べて いると、花火と爆竹が上がっている。その同僚は、箸を片手に「今日は、『初二』で、 春節の時に豚を殺して頭だけ残しておき、今日はその頭を食べる日なんですヨ」と説明 してくれる。たまたま、食べているのは牛肉麺だったのだが、一時、豚さんの顔が頭を かすめた。
 しかし、また寒さが戻ってきたようだ。2月に帰ってきた頃は、暖かな日々がつづき、 電気ストーブを箱詰めしたのに、この数日、また出す羽目になっている。 (2003.3.4)

 ■2003年2月15日、日本での冬休みから帰国。成田か らの飛行機はJAL。「日本、さようなら」と日本語でつぶやく中国人の若い女性の団 体と一緒する。どう見ても中国人だしか見えない乗客に向かって、なのに、英語でサー ビスしようとするスチュワーデス。日本からの便で、日本語ならまだ分かるのに、英語 で応対されてとまどっている姿が痛々しい。サービスというものを、このJALではど う思っているのだろうか?アメリカ語・エゲレス語ががスタンダードだと信じている根 性が、たまらない。
 青島についてみると、元宵節なので、夕刻から夜はずっと花火と爆竹の音ですごいこ とになっている。花火は、日本のように凝った華麗さは無いが、四方・八方からの絶え 間ない打ち上げに、びっくり。同僚からの「団圓」をいただきつつ楽しむ。一月余ぶり の青島ビールがうまい。 (2003.2.15)

 ■2003年1月6日、青島から大連にぬけて、日本に向 かう。青島からみると北の大連は、凍土の趣。飛行機から見る大連も、そして朝鮮半島も厳しい冬の寒 さに蔽われていた。東京が近くなり、富士山を飛行機からながめると、その厳しさがず いぶんやわらいで見える。成田について「緑」の多さにじっと見とれた。 (2003.1.6)

 ■2003年1月4日、

元旦・2日とちがって、昨日・今日は寒波が来襲したかのようなすさまじい 北西風が吹き荒れている。

風にまともに当たると、そのまま数メートルも吹き飛ばされそうなすごさだ。 こんな中では、身体をすくめて、かつかつの生活をいとなむのが精一杯だ。
 ……と思いつつ、昼に牛肉麺を食べて部屋に戻ると、小珠山のはずれ、緑の 比較的多い箇所が山火事になっている。 赤い炎が風にあおられてまいあがる。 「あっ!」と思いつつ、カメラを手にして撮影したのが左の画像。炎が広がら なかったのは良かった。右はその後(鎮火後=平常)の画像。 (2003.1.4)

 ■2002年12月31日、

軽い北西風が空の塵芥をふきながし、すっきりした快晴の一日。 前から気になっていたカササギ(鵲)を追う。カラスよりは少し小さめで鳩ほどの大きさ。 しかし、たった一羽で、スズメどころか鳩の群さえ追い払うような気の強い戦闘的な鳥だ。

しかも、甲高い濁音の鳴き声をたてる。肩から腹にかけての白さが精悍さを浮き立たせている のに、この鳴き声だけはごめんだ、やかましい、気持ちよくうたたねしてる時、 黒板にチョークで「キーッ」音を立てられるようなものだ。ロマンチィズムに水を さし、あらゆる夢想にひっかき傷をつけようとするものだ。……と嫌な印象しかもって いなかった。しかし、こちらでは「喜鵲」と呼ばれ、めでたいものだと言われて いるという。「喜鵲」の「鵲(que)」はカササギのその鳴き声からとられたとも言う。 もしかすると僕の勘違いかも……と、一時間ほどひそかに追跡。だが、時折聞こえる その鳴き声は、けっして「que」といったかわいいものではなく、やはり、表現しよう のない甲高い濁音でしかなかった。 (2002.12.31)

 ■2002年12月23日、朝起きてみると、外は雪で真っ白。 しかも、さらりとしたパウダースノー。そのまま降り続いたらいいな、という思いで 仕事に向かう。残念ながら、午後には湿気の多いボタ雪に変わったものの夕刻まで降 り続いた。新聞によると『老青島』も経験のない大雪だったため、飛行機はストップ、 車の被害も続出した由。クリスマスイブの翌24日は、 曇天だったが、夕刻からまた雪がぱらつきだす。ホワイトクリスマスは、中国人同僚と チンタオビールを飲み交わして夜がふけていった。明けて今日 25日は、一日中澄み渡る晴天。北西風が全ての雲を拭き取っているからだ。 しかし、寒い。「東北の気候と同じ」とのこと。リアリティというものは、寒さに人が 身をすくめるとき生まれるのかもしれない。 (2002.12.25)

 ■2002年12月15日、風がなく暖かな日曜日。昨夜軽い 雨があったようで地面に軽いお湿りがある。そこで自転車で50kほど海岸沿いを走る。 だが、靄がかかり視界は悪い。中国語ではすべて「霧」で表現する霧・靄は、 気象学的には視界が1q未満は霧、以上は靄というそうだ。しかし、実感的には、 しっとりと身体にまとわりついてくるのが霧で、そうでないのが靄である気がする。
 その実感からすると、こちらは靄が圧倒的に多い。ほんの50mほど先が見えないこと もよくあり、その中を歩いても身体は少しも濡れない。空気が乾燥しているのだ。 振り返ってみると、8月22日から雨らしい雨が降ったのは、二回か三回。土地は 乾燥しきっている。そばの畑の土は白っぽく、手でにぎってもこぼれやすい。低山 であっても、
山の風景のような自然の試練をまとも に受けたような形をしているのはそのことによるのだろう。
 海辺で二時間ほどのんびりしたのに、衣服も身体も潮風でべっとりとならなかった のがさびしい。 (2002.12.15)

 ■2002年11月26日、昨夜は淡い初雪が舞ったらしい。 そばの畑に白いものが点在している。とはいえ、ずっと雨はなく晴天が続いて いる。一月ほど前の寒さが嘘のようだ。このように余裕をもって言えるのも、 先週初めからスチームが入ったことによる。どんなに風が吹こうが雨が降ろうが 部屋にいる限り、ゆったりと温かく暮らせる。11月3日のところに書いた市は、 きちんと5日目毎に開かれている。買い物の「討價還價」(駆け引き)が おもしろくて、デパートよりも「ー集」することが多くなった。 (2002.11.26)

 ■2002年11月19日、この二週間ほど晴天がつづいた。 あの北西風が吹かぬかぎり、ここは温暖なすごしやすい気候だといえる。 そんな中、9日・16日と土曜日毎に西側にそびえ立つ 小珠山に登った。山の風は 海の潮風とまた違う。どちらも時には厳しく問いかけるようである点で共通し ている。しかし、海は過去へといざない、山は未来へと鞭打つような気がする。 (2002.11.19)

 ■2002年11月3日、秋晴れの一日。

とはいえ、北西の風が強く、外出にためらいを感ずる。しかし、西の窓から見ると、 いつもはただの広場の所が車や人で一杯。市場が開かれているようだ。 「ー集」すべく、冷たい風に向かって自転車で向かう。すごい混み様。 三輪車などで荷物を運んできて、そのまま露天で店開きしている。その数 数百軒にもおよぶだろう。およそ考えられるあらゆる食料品、衣料が立ち並んで いる。他に工具・ロープ・自転車のチューブといった住関係用品もある。 耳掻き(これが無くて二月苦労した)、セーター、マフラー、木ネジ等を 購入。市は午後にはお開きになった。朝市に当たるのだろうか。 (2002.11.4)

 ■2002年10月29日、先週は、冷たい北西の風が 吹きまくり、しかも冷たい雨が降り、何が「海との青島」だよ! と呪いの言葉もでかかってくる天気だった。ダウンジャケットや電気敷布の購入に 大騒ぎ。ところが今日は、朝からうってかわって秋晴れのいい天気。 掃除をして、布団を干して、スッキリした気持で夕食に挑戦! 日本の数倍の大きさもあるピーマンを入手。こんな大きなピーマンだと、昔お袋さん がピーマンに肉をつめた料理をよく作ってくれたけど、これがあったら沢山 肉が食べられて良かっただろうな──と食欲が精神に作用して思わずシンミリ。 親不孝で悪かったけど、帰ったら墓参りするからな……とつぶやいて、 しかし、おいしくいただいた。 (2002.10.29)

 ■2002年10月18日、秋も深まり、市場には 果物がふんだんに積まれている。リンゴは8月末からあったけれども、 ここへ来て、梨・みかん・柿・桃・ぶどうなどが出回っている。桃は小さいが、 いずれも昔の日本の果物のような素朴な味。リンゴは、国光に似ている。 ぶどうはかなり大粒でマスカット風。 (2002.10.18)

 ■2002年10月14日、旧暦の重陽節。日本では 何かやるの?というから、なんにも……、でこちらではどうですか?と聞く と、老人が山に登るだけで、特にないという。杜甫の「登高」っていう詩 がこの時のですよね、というと、きれいな中国語で朗読してくれた。
   風急天高猿嘯哀  渚清沙白鳥飛廻
   無辺落木蕭蕭下  不尽長江滾滾来
   万里悲秋常作客  百年多病独登台
   艱難苦恨繁霜鬢  潦倒新停濁酒杯
「蕭蕭」の中国音が心にしみる。 (2002.10.14)

 ■2002年10月9日、一週間の国慶節黄金周 も終り、夜はかなり冷えてくるようになった。しかし、晴天のつづく この数日、昼は夏スタイルでまだ十分通用する。でもビールの季節はボチボチ 終りかな、と西鳳酒を身近におくようになった。 (2002.10.9)

 ■2002年9月25日、残暑がぶりかえしている。 中秋節が終り、一挙に涼しくなるのかと秋物の衣類を購入に走った自分が 哀れ。半ズボン・半袖でないと暑い日が昨日・今日と続いた。しかし、夜 になると虫の声がかなりしている。 (2002.9.25)

 ■2002年9月21日、旧暦8月15日の中秋節。 昼頃まで雲がかかって少し寒い天気。自転車もあまり走りたがらない。 しかし午後3時ころから徐々に晴れてきて、深夜は、かぐや姫の昇天に ぴったりの月になった。 (2002.9.22)

  中秋節の月

 ■2002年9月17日、昨日の晴天を引き継いで、しかも今日は澄み切った空気に 心が軽くなる。仕事は午前中なので、自転車が黙っていない。促されて、 この周辺の景観を見るため走りまくる。ぼくのいる所から対岸にある青島の中心 都市がすぐそこだ──ということが良く分かる。海が見えるとなぜか心も軽く なり、人と話したくなると実感。やっと、『周辺の景観』を紹介することが できた。 (2002.9.17)

 ■2002年9月13日、一挙に涼しくなった。 とおもったら、14・15日には両日とも 午前中に冷たい雨が降り、北風が吹き始め、寒さすら覚えた。大陸には ゆっくりとした季節の変転というのはないのだろうか、もしかすると秋は 来ないで一挙に冬になるのだろうか……と布団にくるまって暖を取るありさま。
 ところが、今日、16日になってみると一転して暑い太陽が頭に のしかかってくる。あの三日間がまるで嘘のようだ。とはいえ、西日はその 力を失っている。部屋を占領するほどに差し込んでいた強い日差しは、今は、 遠慮がちにかぼそく差し込むだけ。
 街に出てみる。「超級市場」と派手な看板を掲げながら、中は薄暗い 店も少し雰囲気が違う。中秋節が近いのだ。店の前に、おみやげ用にする のだろう、化粧箱に入った酒類が積んである。店の中には、さまざまの 月餅が目立つところに置かれている。かぐや姫の「八月十五日ばかりの月」も 間近なのだなぁと、妙なことにこの地で実感が湧いてきた。 (2002.9.16)


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