臨淄をたずねて

  臨淄(りんし)は春秋戦国時代の斉の都。晏子や管仲を
生んだところ。青島からバスで3時間半ほどで行ける距離
でそれほど遠くないものの、今回は済南・聊城からの帰り
ということになり、時間がなかったのが残念。

 齊国歴史博物館
 右の碑には臨淄齊国故城とある

  模型で見る昔の臨淄の町

 臨淄に行くには、隣の淄博から東へ20〜30kmほど行かなければ ならない。夕方6時から7時にかけて、もう暗闇の中を路線バスで疲れ きって到着。夕食もそこそこに早めに就寝、朝は7時半からいよいよ行動を 起こす。

 旅遊路線バスに乗り、舗装のない道を走って埃の中にまず到着したの は齊国歴史博物館。あいまいな地図しか資料がない身には、博物館はもっけ の幸い。1990年代にできた新しい博物館だが、よくまとまっている。桓公が 管仲の助けで会盟した時のものや昔の臨淄の町が模型で展示されてい て、誰にも分かりやすいものになっている。「揮汗成雨」になるほどに 臨淄の町はにぎわっていた……というのも模型で分かりやすい。 また様々な陶磁器も展示されている。

 資料入手……ということで、早速、パンフレットにある「石刻館」を めざそうと館員に聞くと、「歩いていって十字路にぶつかったら南へ行けば すぐ」という。しかし、歩いても歩いても十字路は見つからず、しかも砂埃 の中の歩きには疲れて、引き返す。


    殉馬坑
発見された所に博物館を建てるのは
西安兵馬俑と同じ

 そこで、殉馬坑をめざす。また路線バスに乗り、「殉馬坑」というと 「ここ。向こうが殉馬坑」というのでその「向こう」に歩き出す。辺りは、 一面の農村でそれらしいものは歩いても歩いてもなかなか見つからない。 土をレンガのように高くした3mほどの高さの廃墟風のものが畑にずっと 広がっている。??の思いでよくよく見ると、ハウス栽培だった。なるほど こんな風に土を生かすことができるんだなぁ〜と感心しつつ歩けど歩けどたどり 着けない。
  600匹以上の馬が埋められていたという

 すると、荷台をつけたバイクに乗ったほぼ同世代のおじさんが、おじさん に声をかけてくれた。「殉馬坑、のんな」ということで、細い畑の間の道を 荷台にゆられて20分、「おまえはどこの人間か?」「東京人です」といった 会話をするうち、殉馬坑に到着。せめて一元でも受け取ってもらおうとする がどうしても受け取らない。あぁ、老百姓(lao bai xing)という人はこういう人 なんだなぁ、と嬉しかった。地図を片手に尋ねても教えてくれない青島人と、 この人とは全く違う。都市の人間はどこでも冷たい。

 で、その殉馬坑は、あの景公の墓の一部とのこと。思わず 興奮!景公之馬という一節が思い出される。
「馬係の役人が馬を殺したということで、景公は怒りの余りその役人を 殺そうとしていた。そこで晏子が言う。『それでは自分の罪を知らずに死ぬ ことになります。私がその罪を知らしめて殺しましょう。おまえは主君のため に馬を育て殺してしまった。おまえの罪は死に当たる。また、おまえは馬 くらいのために、主君におまえを殺させようとしている。おまえの罪はまた 死に当たる。その上おまえは主君に馬くらいのことで人を殺害させ、その 悪い評判を四隣の諸侯にまで広めさせようとしている。そこまでしたのだから おまえの罪は当然死刑だ』すると、景公は『晏子よ、彼を許してやってくれ。 私の仁を傷つけないでくれ』と語る」(『戦国策』・『史記』)

 晏子の頭のよさ、「人を見て法を説く」という説得術がよく分かる短い 文章だった。愛馬を殺した役人を殺害する不合理性を直截に指摘しても景公 には分からないだろう、とふんだ晏子は世評を最終的な武器にして暗に景公 に迫っていた。

 しかし、ここで購入したパンフレット類には「景公━馬」との関係の 中に晏子は登場していない。「景公はたいへん馬を愛した」という点が強調 され、彼の暗君ぶりは指摘されない。


   管仲墓遠景
   何も無いから全てがある?

      管仲墓近景

 入手した資料には、その晏子の墓もあるし、なんと「韓信宅」もある。 そこで、殉馬坑の前にいた人(係員?)に聞くと、「そんなの行ってもなぁ」と いうスタンス。土地の人からみると、すばらしく派手なのがいいところなの だろうか?と、思いつつも、時間の関係があり、管仲の墓にだけは行ってみる ことにした。

 管仲は、「管鮑之交」で有名。でもあれって、鮑叔牙は管仲の ために随分骨折ったのに、管仲は鮑叔牙のために何かしたのかしら? とはいえ、春秋時代、桓公を補佐し春秋五覇の一とした功績(『管子』)は 確固たる歴史的事実になっている。

 その墓のある村に入ると、「発揚管仲精神」といった垂れ幕がかかって いる。村おこしに管仲が一役買えれば、管仲もきっと喜ぶだろう。などと思い つつ、墓に到着。何もない。当然だ。無いからこそ、本物だ。そんな風に 勝手に思いながら墓の小山に登ってぼんやり辺りを見回す。あぁ、こんな風景 と風を感じながら管仲や晏子はこういった土地に生きていたのか!

 臨淄は、変に観光地化されていない。広い素朴な農村のなかに 点々と遺跡や博物館がある。今回は三箇所しか訪問できなかった。しかし、 必ずまた、ゆっくり来たいと思わせる土と歴史の香りが僕の中に残っている。
(2002.10.4訪問、10.7記)


戻る