| 斉長城をたずねて |
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斉長城は、秦の万里の長城よりも古いものだそうです。 このコーナーでは、斉の長城を追跡してみます。 |
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斉長城を追跡したい気持で、何度も自転車でアタックしたのだが、
ずっと見つからない。「求めるものは、見つからないからこそいいことだ」
などと慰藉していた。が、友人が来訪したので、思い切って
車をチャーターして探すことにした。
車でめざしたのは、膠南市・市美・李家前○(「大」の下に「川」という字)、
僕が自転車で尋ねながら、帰りのこともあって折り返すことになった50q
より先の無念の場所。おそらく70数qほどあるだろう。
もちろん運転手も知らない。何度も止まって尋ね、尋ね、やっとのことで
李家前○にたどりついた。聞くと、斉長城跡があるという。しかし、細い
山道の泥濘に車はたじろぎ、それ以上は進めない。
車を置いて、ズンズン登る。長城はその役割上、基本的に稜線になけれ
ばならないから、探すのも楽なはず。しかし、歩けどあるけど、それらしい
ものはない。あそこの稜線までいってなかったら、あきらめよう、という
気持をくりかえして、すっかりあきらめて戻った。天気は曇り、冷たい
北風が吹いている。「求めるものは、見つからないからこそいいことだ」
という思いも吹き飛んでいた。
引き返したところ、エンコしたはずの車が、来ていた。運転手さんだけ
でなく、土地の方二人の姿が見える。「見つかりましたか?斉長城?」
「だめです。ありませんでした」と答えて、聞くと道路のすぐそばの何気
ない盛り土がその遺跡だという。
「二千年もたっていますから」という土地の人の言葉が、耳を通って
心にズシンときた。
(2004.1.7訪問、1.7記)
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| 立派な外観 |
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| しっかりとした建造物 |
住んでいる所の詳細地図を見ると斉長城というのがある。それはここへ 来る前から気になっていて、8月から何度も付近を自転車で流して探していた。 バス停にも「斉長城」とあるのに、遺跡は見つからず、おかしいなぁ〜と首を かしげていた。ところが、国慶節の休みに済南・梁山・陽谷・聊城・淄博 ・臨淄を訪れた帰りのバスから、思いがけず斉長城烽火台を発見した。
眼の位置が問題だったようだ。自転車では低位置に視点があり主観的に 風景把握ができるものの、客観的な広い風景把握はし難い?……ということで、 マイルームから北へ3qと卑近な場所にありながら見逃していた斉長城烽火台 へブラリと出かけてみた。
かなりしっかりした建造物だ。保税区がその南に位置し、東側はすぐ海 である。中の碑文にはこのようにある。(拙訳)
斉の長城は、BC550年以前の斉の桓公時代に作り始め、
斉の霊公・斉の威王時代に増修され、斉の宣王時代に基本的に完成した。
その間、約四百年以上にまたがる。秦の万里の長城に比べ、歴史的にはその
五百年も前であり、中国に現存している最古の長城である。考証によれば、
伝わる孟姜女が長城で泣く話は斉の長城で発生したとのことである。
斉の長城は、西は長清県孝里鎮東の障村の平陰古城から始まり、東は
青島経済技術開発区(青島市黄島区)徐山より東に至り、東は家河村以北のこの烽火台
から海に入り、全長618.9qである。当時、この地域は、この烽火台と西に続く
斉の長城を以て、南は魯国、北は斉国と分けられていた。
青島技術開発区は、開放と発展を推進する中、歴史文物の保護を非常に重視
している。青島市文物管理・建設計画部門の指導の下、開発区管委会の投資により、
斉長城入海処烽火台遺址の保護と建設を行った。この工事は、1998年末より開始、
1999年11月に竣工した。
保護・修復後の斉長城入海処烽火台は、敷地面積3,570u、海抜22mである。
青島経済技術開発区管理委員会
青島市黄島区人民政府
1999年11月建立
孟姜女伝説は秦の長城ではなく、斉の長城が舞台になっていたとは初耳。 秦の始皇帝の暴政に対して孟姜女伝説は生まれたと思っていた。ならば、山東省の 地図を見ても、至る所に記されている斉長城遺跡のどこかに孟姜女関係の遺跡が ある筈。
斉長城の東端の烽火台への訪問は、これから斉長城遺跡を求める旅の出発点
になるかもしれない。
(2002.10.26訪問、10.27記)