折節の移りかわり/麗江(2011/02/25〜)
折節の移りかわり/麗江(2010/02/25〜)

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■2012年4月11日、 久しぶりにすっきりした玉龍雪山が部屋のベランダから見える。


  07:26に70mmで
  ほぼ一月ぶりの雪山。昼の時間も、それなりの玉龍雪山が 見えたが、夕刻にはやはり雲の中へ。

  朝、雪山がそこにあるだけで、一日は違う。というわけで、 夕食には、ほうれん草をしっかりいただいた。(CCTVでも日々 報道しているが、野菜が高騰。が、なんと立派な一束が1.5元だった のだ) これで、ポパイみたいになって、プルートーをやっつけられる! (2012.04.11)



■2012年4月9日、 ぼんやりした景色がつづく。

  春ならではのことで、しかたがないのだが、それでも、あの冬の 澄み渡った風景がなつかしい。

  ところで、最近、古歯ブラシを手に、部屋の隅を徘徊することが おおくなった。平素、部屋は水ぶきしているのだが、片隅のゴミは、 なかなか取れない。

  ふと、古ハブラシを思い起こし、ブラシでサッサッサ。これで、 OKなのだ。コンセントやスイッチの上のホコリ、ドアの凹凸部分など サッサッサで、見違えるようになる。

  ――ということで、これも、
おじちゃんの知恵袋入りとなった。(きれい好きな僕!) (2012.04.09)



■2012年4月1日、 ふと昔のことを思い浮かべた。

  土・日と清明節の振り替え授業で、明日から三日の休みとなって、 (たくさん仕事はあるのだけれど)ホッとした気持のためだろうか。

  僕がなぜ、もう10年も中国で仕事をしているのか、自分なりに 説明しておきたくなったのだ。

  小学5年のことだろうか、当時おおくの少年がしていたように、 僕は、短波ラジオに日々耳を傾けていた。それがこうじて、翌年には アマチュア無線にのめりこむのだが、それは置いて、VOA(アメリカ) とかBBC(イギリス)などの海外局が日本語放送をしていた。

  当時、そういった海外局に受信状況を送ると、べりカード(受信証) という綺麗な葉書(カード)を記念に送ってくれていた。それを蒐集するのが、 短波ファンだった。(BCLとか、SWLとか言っていた)

  そんな中に、中国の北京放送があった。きれいな日本語で話す アナウンサー、そして、もちろん受信報告をすると、たしか、北京・ 天安門風景のカードを送って来てくれた気がする。(もう昔のことで、 どこへいってしまったのか、北京放送も、BBCもVOAも、それから もっと聞きにくい局のカードもあったはずなのに、今はない)

  北京放送が、他の海外短波局とちがっていたのは、その後にも、 「北京週報」という日本語版の週報を送って来てくれたことだ。

  毎週、それが届くと僕は嬉しかった。ただで、こんな出版物を 送ってくれる! それだけで喜びだった。(他にそんな海外局は なかった)しかし、1960年代になると、「中ソ論争」という 何かすっごく難しい話が中心になり、毎週のようにきちんと送られて くる「北京週報」が、中学生だった僕には、うっとうしくなった。

  いったい、いつのことだろう。いつか、送られて来なくなった。 そして、……、大学時代。なぜか、今では「大学紛争の時代」と、 メディアでは「客観的に」のべられていて、それが後世、歴史として 叙述されると思うと、恐ろしい。悲しい。利益がぶつかりあうと いうような「紛争」ではなかった。不合理なことに対する闘いだった。

  中国での「文革」は、けっして中国だけでのものではなかった。 不合理なものは、アメリカのベトナム戦争をはじめとして、いたる ところにあった。

  そこで、僕は、中国にあらたに興味をいだき、勉強し始めた。 核心は「毛沢東思想」だった。

  ……結論は何も出ていない。そして、だからこそ、ここ中国で 仕事をつづけている。。

  この二か月前、仙台に行った。そして、26年仕事していた高校の 諸君が集まってくれた。あの時、よっぱらってしまった僕は、何も 語れなかった。もし語るとすれば、上述のようなことになるだろうと、 思って書きました。 (2012.04.01)



■2012年3月30日、 DVDでTV版『さんざしの木の恋』を購入。

  最初から最後まで、しっかり見終えた。こうしてみると。映画版とは また別の物語と思える。

  舞台は1974年から76年の文革末期。23歳の孫建新と 18歳の静秋は、なぜ、たがいに引きつけられあうのか?

  恋愛物語の要。この長く短い物語では、偶然の出会いを端緒と して、孫建新(高級幹部の息子。母親は文革の批判に遭い自殺)は、 貧しくもいつも前向きに生きようとする静秋を忘れられない。一方、 静秋(父は右派として批判を受け死去。母は退職教師)は、孫建新が 語り、そして手紙に書く激励に心打たれる。

  二人の間にある越え難い溝は、境遇、いや階層・階級であると いっていい。たとえば、こんなエピソードが詳細に描かれている。

  収入がないだけでなく、父親の負債を背負っている静秋は、母校 での臨時雇いの他に、日曜日に日雇いの仕事をする。重い荷物を 運ぶ肉体労働である。それを見かけた孫建新は、「こんな危ない仕事を しちゃいけない!」と止め、親方には「なんてひどいことをするんだ。 こんな若い娘に重労働をさせるとは。あんた、それでも人間か」と 食ってかかる。

  静秋がする日雇いの賃金は1日3.5元。中国での貨幣価値も変っているが、 現在の日本円で言えば、300円くらいだろう。禁書だったロマン・ロラン の「ジャン・クリストフ」を静秋に勧めたことのある孫建新にとっては、 「たかが3.5元」である。しかし、静秋にとってみれば、母と妹の一週間 の生活を支えられる「貴重な3.5元」である。

  この時代、社会の差別が問題にされていたにもかかわらずである。 静秋は、孫建新が親方に言いがかりをつけたため、もう日雇いもできなく なってしまう。

  二人を隔てる溝――相手を思ってしたことが、逆に相手を傷つける だけでなく、相手の現在をも失わさせる。

  これが、この物語をつらぬく基本。よって、静秋は、必然的に 孫建新を避ける。だが、この物語はまだ終わらないのだ。なぜか? 続けたいところだが、清明節で振り替え授業が明日あり、またの機会に 書くことにする。 (2012.03.30)



■2012年3月28日、 野菜が高い。

  端境期だからなのか? スーパーであれこれ買って、今日は 給料日なので、大学の会計課へ行くと、リュックから大根が半分 顔を出していた。

  「大根、高いねぇ。前はもっと大きなのが1元で買えたのに、 今は4元!」とつぶやいたら、笑われた。

  ほうれん草も高い。日本のそれよりは少し葉数は多いが、1.5元。 安い時は、0.5元くらいのものが。

  が、しかし、背に腹は代えられない。今日は、5個4元也の里芋 (小芋頭と表示されていた)も手に入ったので、「トン汁」としゃれて みた。日本から持ってきた味噌が「私を使って!」と冷蔵庫の中で つぶやいているのだ。

  味噌を使ったものは、その後いくども火を入れて食べるには ふさわしくない――と躊躇したのだが、ま、思い立ったが百年目。 せっせと作って、おいしくいただいた。まだ、あと5回ほどは食べられる。

  さて、ここ麗江の天候はすっかり春めいてきた。そのかわり、 朝はぼんやり霞むことが多いし、午後には、通り雨がいきなり襲う。 キャンパスの雲南桜も、もう枯れ始めた。

  とはいえ、春は身体が大きく広がるような気がする。そろそろ さまざまの植物に遭遇できると思うと、気持も大きくふくれあがる。 (2012.03.28)



■2012年3月22日、 TV版『さんざしの木の恋』にみとれる。


 王洛丹が演ずる静秋
  18歳の静秋の純愛、そして悲恋という映画版と基本的な設定は 同じ。が、このTV版のほうが、時代背景をふくめて、こまかい描写が されている。

  まず、相手の23歳になる地質測量隊の男性が、高級幹部の息子 であり、貧困にあえぐ静秋と家庭面での大きな隔たりが、二人の壁 として設定されている点だ。

  次に、白血病という死にいたる病におかされていることを知った 静秋は、心中をも決意するという点。

  「君が死んでしまえば、僕という人間が生きていた証拠もなくなって しまう。僕は君の中に生きているんだ」といった言葉が心に訴えて くる。

  ほかに、二人だけでなく、多くの人が痩せているという点も、 1970年代という時代をよく物語っている。

  18歳の静秋を演ずる女優は、王洛丹。20歳後半ということ だが、この年頃特有の子供っぽさと、ひたむきさ、そして何よりも 真正面から物事を真剣に見すえようとする姿を、十分に演じきって いる。

  時代背景という問題があっても、日本で放映されたなら、感動の 渦を呼ぶのではないか。――そう思わせるに足る作品。 (2012.03.22)



■2012年3月19日、 映画『さんざしの木の恋』(一昨年9月22日掲載)(監督・張藝謀)がTVドラマ化された。


  画像は、昨日20時過ぎに放映されていた「江蘇TV」のもの。 主人公の女性・静秋が、なんとも可憐でかわいい。映画版もそうだったが、 このTV版もいい。

  数回見ただけだが、映画のストーリーを大きくふくらませた物に なっている。文化大革命の後期(1970年代か)が背景。

  麗江にもどってきてほぼ一月。ひかれたTVドラマは、 この他に、胸腔外科医者の奮闘と人生を描く『感動生命』(新作) や、ちょっと古いが、インターネットを駆使したスパイものの『密戦』 (2007年)。 (2012.03.19)



■2012年3月18日、 比較的、玉龍雪山が、はっきり見える。


   同左、38mmで

 13:30に、14mmで
  それでも霞んでいる雪山。だが、これでもずっと晴れていた 昨日よりも、またこの一週間よりまし。この状況なら、
課題の玉龍雪山・南峰をめざしてもよかったのかもしれない。

  しかし、すべては一回限りのチャンス。アパートへもどって、 せっせと流し場の清掃。きれいな流し場からは、すばらしい恋が、 いや、おいしい料理が生まれるに違いない。

  屋上の温水器から台所にも、温水が供給されるようになって いるので、台所はアッというまにきれいになった。 (画像は、どちらも13:30に、B地点でPENTAXにて撮影) (2012.03.18)



■2012年3月17日、 NHKの深夜番組(早朝番組)『明日へのことば』は、なかなかいい。

  今朝は、窪島誠一郎氏(71歳)が、無音館と父・水上勉について語って いた。無音館とは、70年ほど前、徴兵された画学生が残した絵画を 長野・上田に展示した私設美術館。「赤紙」が来て、懸命に絵筆を とった画学生の絵ばかりを身銭をきって展示しているという。

  昨年の3・11の時、議論があったという。「貴重な電気を、 一日に1人・2人しか訪れるひとのない美術館で、こうこうと照明を つかっていいのか?」という内容だったらしい。結論は、「あの若い 画学生たちの気持を、伝えるために、1人でも2人でも、訪れる人に 見てもらうために必要だ」といったものだったという。

  無音館の出口には、自由に書けるノートが置いてあるそうだ。 ある年配の婦人が、「震災で心の支えがなかったのですが、ここを 訪れて、しっかり生きていこうという気力が生まれました」と書いて 行ったという。

  日本時間午前4時(中国時間3時)からの番組。ぼんやりと 聞いていたので、もっと心を打つことばだったようにも思う。

  僕は、窪島氏という人を知らないでいた。そして、「(東京大空襲) のあと世田谷に立って見た情景と、3・11震災後の風景は全く同じ ように感じられた」といった言葉も、ぼんやりした頭の中で、今なお はっきり刻みつけられている。

  僕は、この番組について書き始める時、「仕事人に聞きやすい時間帯 に」という要望を添えたいと思っていた。が、書きながら、この時間 だからこそ、番組の命があるのかもしれないと思ってきた。

  麗江へもどる前の2月なかばに聞いた「最愛の妻の死を乗り越えて」 という垣添忠生(国立がんセンター名誉総長)の言葉も心に迫るものだった。

  さきほど、NHKのサイトを見たところ、この『明日へのことば』は、 1カ月以内なら、サイトで聴く事ができるようだ。(ここ麗江では、 転送速度が遅くて空白時間があって聴くにたえないのだが)

  おそらく日本では、数多くの良いラジオ番組・TV番組が日々 放送されているのだろう。が、海外で耳に(目に)できるのは、 一般的には、NHKの海外放送だけだ。
二年前の6月5日に書いたが、 TECSUNのPL-600は、時間によって周波数が変るNHKの海外放送を メモリーに記憶しておき、ダイアルで簡単に選局可能なので、とても楽。

  もしかすると、耳に訴えるラジオのほうが、視覚に訴えるTV よりいいのかもしれない。(と言っても、中国連続TVドラマは、ほぼ 毎日、欠かさず見ているのだが) (2012.03.17)



■2012年3月15日、 昨日、12時までの授業を終えて、部屋に戻ると、温家宝首相の記者会見が 生中継されていた。

  とても疲れている感じ。いつもの公式的な席で見せるニコッと した笑顔もなく、やつれている顔だけが目立った。学生が「温家宝さんて かわいい!」と言っていたが、全く違って、顔をゆがませている様子 ばかりがめだった。

  僕は、昼食を終え、そのままMTBのパンク修理にいそしみながら、 言葉をかみしめるように、ゆっくり記者の質問に答える温家宝首相の 姿を見ていた。「9年も首相を担当して、疲れたんだな」という印象 だった。

  今日、その発言を新華社が伝えたもので見た。かなり深刻な 内容といえる。(以下、引用は拙訳)

  「現在、改革は攻防戦の段階にある。政治体制改革の成功なしには、 経済体制改革は、まっとうできない。すでに得た改革と建設の成果も、 失う可能性がある。社会で新たに発生した問題も、また根本から解決 することはできない。『文化大革命』という歴史の悲劇もまた繰り返え されるかもしれない」

  僕には、この20年の改革開放が順調に進み、中国首脳部も、その上に、 どっかりとあぐらをかいているのではないか、と思えていた。が、この 温家宝首相の認識は、僕がどこかで感じているものと通じる。

  また、シンガポールの『聯合早報』記者の、「この数年、首相は さまざまな場面で、なんども政治体制改革についてのべていらっしゃる。 なぜそう何度もおっしゃるのか。また中国の政治改革の難しさはどこに あるのか」といった質問に対して、次のように答えている。

  「私が幾度となく政治改革について述べているのは、その通りだ。 なぜ、この点に私がこだわるかと言えば、責任を感じるからだ。『四人組』 打倒(筆者注:1976年)以後、我々共産党は建国以来のいくつかの歴史的 問題に関して決議をし、改革開放政策にふみきった。だが、『文化大革命』 の間違った負の遺産、また封建的な影響は、いまだ完全に消し去られていない。 経済発展にともない、また、不公平な所得分配・誠意の欠如・汚職腐敗 という問題が生まれた。わたしは、この問題を解決するためには、 経済体制改革だけでなく、政治体制の改革をすすめ、なかでも共産党と 国家の指導体制の改革に手を付けなければいけないと、心から思う」

  これらの発言から浮き上がってくるのは、温家宝首相の政治改革 にかける信念だ。「政治家は動機ではなく、結果で判定される」という 名言がある。よって、温家宝首相の発言について、さまざまの毀誉褒貶 があってしかるべきだ。

  だが、僕は、まったく別の観点から、政治家にこのような発言を させる場がない日本の現況のほうが気になっている。 (2012.03.15)



■2012年3月12日、 11:59、中央電視台国際チャンネルCCTV4で、不思議な画像を見た。

  軽い音楽と共に、中学生と思われる男女を描写したもの。雪の中 の風景もあり、中国東北地方で撮影したのかな、などと思って見ている と、学校の風景も出てきて、どうも中国の中学生ではないように、 思われた。学校の造りが中国式ではないのだ。

  30秒ほどして、最後に「福島」とだけ出て終了。説明も何も ない。言葉は一切ないのだ。

  すごい! これは、いわゆる公共広告の一つなのだろう。が、 外国で、福島を訴えるこのような公共広告が流れるとは、思いも しなかった。この福島公共広告を制作・放映しているCCTV 中央電視台の人々に「ありがとう」と心から言いたい。

  広告について言えば、市場経済下にある中国では、国営放送である CCTVも、頻繁に流す。が、都市CMは、国内に限ったもので、海外 都市のCMが放映されることはない。

  つまり、福島は、例外中の例外、格別な扱いの中で放送された のだ。そして、この福島公共広告は、3・11以後、初めて見るもの だった。

  ありがとう。 (2012.03.12)



■2012年3月11日、 3・11から一年。

  CCTV(中央電視台)ニュース専門チャンネルでは、午後1時から 二時間の特集番組「一年之后」を放映、東京での追悼式典も実況中継。

  式典中継の前後と間には、岩手・宮城・福島から同じく実況で中継 していた。内容は、心のこもったもので、眼がしらが熱くなった。 また、3・11がもたらした日本への影響のうち、文化としてTVドラマ 『家政婦は見た』をとりあげるというふうに、かなり目配りのされた 番組。

  不満だったのは、原発問題。その専門家がでてきて、「原発廃止 を決めたのは、ドイツ・イタリア・スウェーデンの三か国だけで、 主流は継続」「日本の福島原発などは旧型。中国は新型」と語り、 未解決の原発廃棄物問題などには触れることはなかったこと。この あたりは、日本の所謂「専門家」と、いい勝負だ。

  おそらく3・11の今日、ここ中国のように、多くの「良心的」 番組がTVで放映されているのだろう。だが、視覚に訴えるものでは なく、思考・思想面ではどうなのか。

  東京にもどっていた時、書店をさまよい、探し当てたのが、 辺見庸『瓦礫の中から言葉を』(NHK出版新書)。3・11を深層で とらえようとしている本の一冊。

  この本のすごいのは、個人的なものを普遍的なものへと昇華する ため、彼が蓄えて来た多くの思想家の著作を核心的に引用している 点だ。

  よって、この本は、3・11後の世界を考えるための大きな ヒントを提示していることになる。読書ガイドといっても、間違い はない。

  3・11を経て、思想面で考えようとしている書物は多いの だろうが、そのような本を是非、教えてほしい。(ここが、
メールアドレスです。)


  15:55に14mmで
  さて、ここ麗江は、春、いや夏とも言える暑い太陽が輝いている。 ほぼ毎日、天気予報を見ているが、中国でここ麗江ほど天気に恵まれて いる所はないようだ。TVを見た後、いつものように北方をMTBで 走り、東巴谷付近での画像が右。 (2012.03.11)



■2012年3月3日、 春霞がかかっていたり、雲が多かったりしたが、今日は太陽が暖かい。


     同左

   13:15に
  キャンパスから北へ2kmの所にあるライオン像が、変った。 以前のは、
11月24日に紹介したが、これは12月に大きなトレーラーに 載せられて何処へか運ばれてしまったのだ。

  麗江へ戻って来てみると、それに代って小ぶりのこのライオン像が 鎮座している。前のは売られたのか、一時的にどこかへ展覧されている のか? どうやら後者のようだ。画像左をよく見ると分かるが、向こう側の 玉龍雪山寄りに、大きなコンクリートの台座がある。そして新しい小ライオン は、手前の小さな台座に置かれている。ということは、大ライオンも、 いつか戻ってくると想像したほうがいいのだろう。

  二匹のライオンが玉龍雪山に向かって、吠える!


     14:00に
  東巴谷付近からの今日の画像。このあたりをMTBで流すのは、戻ってから 初めてだが、やはり目の醒めるような広々とした光景。1月2日に挑戦しよう とした峰も一番左(つまり南側)に、はっきり見える。山は、眺める だけでもいい。が、あそこへ登ってみようという気持にもさせるものだ。

  なお、今日、サイクルメーターは麗江走行27,000kmを越えた。 (画像はいずれも14mmワイドレンズで撮影) (2012.03.03)



■2012年2月28日、 電磁炉が届いた。

  大学が貸与してくれていたものだが、6年目、煮込み使用 頻度が高いためか、電源部分が壊れてしまったようなのだ。もし、 トランスを使っているのなら、それが焼けたようにも思われる。

  大学当局に言って、修理してもらえばいいのだが、この電磁炉、 今はかなり安価になっているので、ネットショッピングとしゃれて みた。
アマゾン中国である。

  149元(日本円で2千円弱)。先週金曜に注文、今日の昼に 届いた。雲南省という中国のはずれなのに、たった4日。中国の 物流もすごい速度で進化している。

  電磁炉は日本ではあまり普及していない。しかし、ガスと比較 しても、火力が強く(最大2000W)煮たきがすばやくできる。 しかも、火ではないので、ずっと安全。エネルギー危機の現在、 コスト方面から見たらどうなのか不明だが、中国人の同僚に聞いて みると、皆、もっているとのこと。普及率はガスをずっと越えている のではないか。 (2012.02.28)



■2012年2月22日、 麗江にもどる。

13:40に飛行機から

  いくども書くことだが、麗江は暖かい。今回、成都に二泊して もどる形をとった。成都からの国内線は、いくつかの沿海方面への フライトが天候のため遅延していた。が、むろん麗江はちがう。

  どんより曇った成都を飛び立つと、玉龍雪山の姿が見えてくる。 青い空、強い日差し。これが麗江。




  はじめての成都は、曇天だったが、地下鉄、バス、そして徒歩で 市内をあちこち歩き回った。古い建物(とくにアパート)と新しいビル が混在している。画像左がそれを象徴。映画館・スケートリンクも あるショッピング・モール(余りに大きくて全体を撮影不能)の はじにあるユニクロ、その横に建設されてからおそらく50余年は たっぷりたっているとおもわれるアパート。

  「陳麻婆豆腐」が有名だという。そこで、西玉龍街のその店へ。 メニューを見ると、肝心のマーボ豆腐はない。基本的なものだからか。 ともかく、老舗のマーボ豆腐を味わう。うん、なるほど。辛い。 そして、舌がしびれる。(中国語では、その「しびれ」を「麻」で しめす)なるほど……。

  成都は大都市だ。歩く人々もサクサク歩く。昨日、20数キロ つられて僕も歩いた。

  もどった麗江。人も多くない。そして、ゆったりのんびりして いる。それに、ここには成都にはなかった太陽が、そして雪山がある。 (画像は全てLUMIXで。成都画像は2月21日17時頃撮影) (2012.02.22)



■2012年1月13日、 曇天がつづく。

  晴れて、玉龍雪山・扇子陡に雲がなければ、すぐにでも
2日に登った所から、4000mを目指したい。または、7日の地点 から、新しいルートを探して扇子陡に近づき、撮影したい。

  そんな思いで部屋にたたずむ日々。実は、後者については、 11日にも試みたのだが、やはり曇天。

  やさしいようで、むずかしいのが、山だ。 (2012.01.13)



■2012年1月7日、 晴天。


  08:15に70mmで

  09:24にX地点で

    同左
  
2日と同じルートは積雪があり行けないとのことなので、扇子陡 を鋭角に撮影可能なA地点より先のへ。ここは、昨年1月3日、また一昨年1月3日に訪れながらも、 「これだ!」という一枚は撮れていない。

  ベランダからも主峰・扇子陡は、はっきり見えている。 そしてX地点でもそうだ。扇子陡は、たっぷり雪におおわれている。


  10:10にZ地点で

    同左

    同左
  10:10、Y地点より先、1.5kのZ地点でも、扇子陡は、たけだけしい 姿を現していた。そこで、すぐ北の小山に登り、そこから扇子陡 に接近し、撮影しようと考えた。

  だが、この小山、なかなか険しい。岩の上を歩き、灌木を くぐりぬけ、道なき道を歩き続けて2時間。しかも、小山の頂上 と思しき所(海抜2980m)にたどりついても、扇子陡は 見えぬ。


    13:55
  結局、このように歩き、扇子陡が見える位置(海抜2950m)に 来たものの、気になっていた下から湧きあがる雲が扇子陡を 完全に隠してしまっている。(そして、そのまま夕刻まで雲は扇子陡を 覆ったままだった)

  小山登攀に悩まされ、手間取ってしまった原因は、総じて言えば、 「山の難しさ」に尽きる。そこの山へ登れば、あの頂が見えるだろう ――と思いがちだが、いざ登ってみると、別の山が立ちはだかっていたり、 樹木が多くて景色が見えなかったりする。だが、三年目になっての この失敗は、昨年1月3日一昨年1月3日の経験を ふまえなかったことによるとも言える。


 13:04、2950mから

 13:40、珍しい松
  南方に広がる景観、そして、珍しい松が印象的だった。この松、 丸いものは鳥の巣だと思いきや、そうではなく松自身がこの形になった ものである。 (2012.01.07)



■2012年1月6日、 雪山の積雪がふえた。


  08:15に70mmで
  ベランダで日の出ない早朝から、玉龍雪山を眺める。もし、 主峰・扇子陡が姿を見せる気配があれば、2日と同じ道を たどって4000mに挑戦したい。が、昨日までの天候の影響が ありそうな気配。南は晴れわたってはいるものの、扇子陡 は、雲が覆っている。(ベランダから撮影)


      B

      A
  午後になっても、扇子陡は、雲におおわれたまま。予測 通りだ。15:25、
C地点で、撮った画像(LUMIX)でも、明確。(右のA画像)

  ところで、1月2日に述べたダムの位置がわかりにくいと思われる ので、補足しておこう。ベランダからは見えないが、このC地点からは ダムが見える。右のB画像の、左に小さく白いものがその一端。 (なお、右に高い峰が2つあるが、左が4000mの峰だ)

  さて、明日の天気はどうなるのだろう? 天候で決まる人生って 最高!

  ということで、北の玉龍雪山方面には雲がかかっていても、南の 市街地方面は快晴だったので、町へ出かけ、蒸し餃子を買ってきて、 5時半、いつものようにベランダで食べる。NHKのラジオ日本では、 小沢昭一などが出演。玉龍雪山を眺めつつ、橋幸夫の「いたこがさ」、 舟木一夫の「高校三年生」を聞いた30分。この時間、9750KHz、 外ならロッドアンテナでガンガン入る。 (2012.01.06)



■2012年1月5日、 未明に雨か雪が降った。

  アパートの前には、水たまりがあり、近くの山は、雪で薄化粧。 もちろん、玉龍雪山方面は、かなりの積雪。

  昨日・今日と基本的に曇天。思い出したかのように時折、陽射しが さす。今日の昼過ぎには、雪状のものがちらついた。雪山は、3日以来 雲の中に姿をかくしている。つまり、降雪しているのだ。

  こちらは、零下ではないものの、寒い部屋の中で、せっせと卒論 指導と成績処理。こちらも一段落、雪山も一段落となれば、めざすは やはり玉龍雪山! (2012.01.05)



■2012年1月3日、 雪山に、かなりの積雪がみられる。



  左は300mm、右は70mmで11:25に、ベランダから撮影した画像だが、 この画像でも、昨日の足跡がよくわかる。そこで、右画像に印を入れてみた。 ○は昼ごろたどりついた3650m地点。◎は目指していた雪山の一番 南側の頂点(4000m)。


  ○の下に、山が大きく崩れているのが見える。これは、昨日、 13:15に、3500m地点(△印)から見ると、右のように見えた。 (PENTAX+14mmワイドレンズで昨日撮影)なお、画像に「09.1.8」と 記入した地点は、昨日記した3年前に登った地点。

  ◎まで到達すれば、雪山主峰・扇子陡は、これまでにない 近距離で、しかも全く新しい角度で撮影できることが分かった。 (2012.01.03)



■2012年1月2日、 海抜3650mへ。

  時は正午を少し過ぎていた。あそこに見える山が4000m、 そこからは玉龍雪山主峰・扇子陡が見えるという。だが、 すさまじい強風、そして雲が覆いはじめ、雪が舞いはじめる。

  ことは、大晦日の小宴会で同僚の先生に、
玉水寨から玉龍雪山に登るコースを 知っていると聞いたことから始まった。

  考えてみると、下から眺望することばかりに腐心し、山登りは とんと忘れていたではないか? 3年前の1月に、玉湖から 登ったきりだ。

  そこで、さっそく、その先生に同伴をお願いし、暗闇の7時に北極星を 拝みつつキャンパスを出発、玉水寨の高山植物園の脇道から、ダムを 経て、ようやく3650m地点に到達したというわけである。

  さて、どうしようか? もう少しで、富士山の高さを越えられる。 だが、だがである。この風、雲、雪……。主峰・扇子陡は雲の中、 風と雪の危険もある。残念。撤去することにした。


13:15にLUMIXワイド端で
  南の麗江市街地も、雲におおわれている。3500m地点で麗江 を鳥瞰した画像だけが掲載できた一枚。

  しかし、あの3650mの決断は正しかった。下は小雨。 無理せずによかった。それに、このルートを知ったことが、最大の収穫。 高山植物園の脇道から、ダムまでの道は石段がつづく登り1時間半。 5月ころは、きっと高山植物を見ながら歩けるだろう。

  明日がある! (2012.01.02)



■2011年12月31日、 同僚の先生の結婚披露宴に出席。

  今年の4月ごろ、「今年中に結婚するので」と彼女から声が かかっていたのだが、ぎりぎりの今日となった。先週、請柬(招待状)を、 わざわざお二人が届けに来てくれ、感激!

  宴席は、麗江市内のホテル。10人の卓が20はあったので、 二百人くらいが臨席。すごい。が、正午ということもあって、 1時間ほどで終了。祝辞やアトラクションもなく、簡素でいい。

  彼女は、少数民族で、
高山市へ研修で1年ほど派遣されたこともあり、 日本語は堪能。昨年、選択科目で「日本の芸者」というのを担当して いたので、ずいぶん冷やかしたっけ。


    300mmで

ワイドレンズ14mmで
  夜、男性教師とわが部屋で宴会。腕によりをかけ、鳥肉・大根・ 人参の煮込みを大量にしこんでいたのだが、僕を入れて4人だった はずが、くだんの披露宴で受付担当をした1人が、担当スタッフ向け の白酒でダウン、三人だけの会になってしまったのが残念。

  それでも、めったにない機会。話がはずんで、11時(日本の0時)。 ラジオニッポン(NHKの海外放送)で、除夜の鐘でも聞こうかと 思ったが、この時間、電波状況が悪くてダメ。早朝4時ころが今の 時期、フェージングも雑音もなく、聞こえるようだ。 (画像は、披露宴参席前の10:45にA地点付近で撮影) (2011.12.31)



■2011年12月30日、 『新亮剣』を放映している。


    新・李雲龍
  TVドラマ『亮剣』については、
昨年9月21日に紹介した。 それが、数年のうちに新しい版となって登場。しかも、現在、浙江TV だけの放映で、AMAZON.CNでDVDを購入しようとしたが、あと2・3週間 かかるということで、あきらめた。

  4話しか観ていないが、どうやら基本的なストーリーは同じ。 細部では、李雲龍が女性にもてる――という点が大きく違う。また、 ドイツ装備の日本軍機動部隊隊長に日本人俳優を抜擢、日本語も当然、 しっかりしたものとなっている。(この俳優、中国語も堪能。また、 他の日本軍将校などは全て中国語で話す形式なので、前に指摘したような、 「中国語字幕を見なければ分からない妙な日本語」ということは なくなった)

  年末のこの時期、新しいTVドラマは新年か春節に回すのが 普通で、ほとんど新作放映はない。浙江TVは、その隙をねらって 放送しているのだろう。

  焼き直しのようで、前の李雲龍が目に焼き付いているため、 逆に目を奪われる。(画像は昨夜、LUMIXでTV画像から撮影) (2011.12.30)



■2011年12月28日、 一昨日は曇天だったが、雪山に積雪はない。


15:40にLUMIXズーム端で
  先週で授業は終了したのだが、卒論指導でおもしろい日々が続く。 一所懸命取り組もうとする学生ほど、悩み、なかなか完成しない。 若い人の悩む姿は美しい。小器用に済まそうとする学生は、お決まりの インターネットからのコピペ(コピー&ペースト)。

  日本語で1万字程度――論文の要求する所はかなり高度だ。 振り返ってみると、10月末から卒論指導は始まったわけだが、 最初に完成度の高かったものほど、丸ごとコピー。

  このあたり、現在の中国人若者模様を見るようだ。これを書いて いる今、8回目のノートを提出しに来た学生がいる。彼の日本語は、 ひどく、分からないほどだ。しかし、材料は、志賀直哉の『和解』 からヒントを得て、現代中国の父子の不和を解決する手がかりを 得ようとする高度なものだ。

  できなくてもいい。悩むことだ。自分で考えることだ。この 一点で迫る日々。(画像は、
X・Yの中間で撮影) (2011.12.28)



■2011年12月25日、 雲が出た。それが雪山を演出している。


     14:00
  どうも今年の冬は妙に暖かい。例年なら、キャンパスの白樺は 落葉して丸裸になっているのだが、今年は、まだ落葉しきっていない。

  夜や早朝も比較的暖かい。これも例年なら、ももしき(パッチ)を はき、頭に毛糸の帽子(?)をかぶるところだ。それが、そうではないので、 「若さ」が復活したか、と思っていたが、どうやらそうではないらしい。

  この雲が、低気圧の前ぶれで、ぐっと冷え込み、雪山の降雪を 祈るばかりだ。(画像は、
C地点で撮影)


    14:45
  さて、最近、市内の南北をつなぐ道路(これまでは、基本的に シャングリラ大道だけだったのだが)を建設中である。画像は、 中済海・文筆海の中間で北方面を撮影したものだが、片側4車線の堂々とした道路。 もしかすると、この道路建設のため、中済海は無くなってしまったかも しれない。移転を迫られた家屋もあるかもしれないが、それは少ない だろう。なぜなら、カーブが多く、記憶では新道路の10数キロは、 菜の花などが咲く農地か、荒地だったのだから。

  いったい、この麗江、どういう道路計画、都市計画があるのか、 全貌を知りたくなる。 (画像はどちらもLUMIXで撮影) (2011.12.25)



■2011年12月24日、 クリスマス・イブ。

  今年も、大学のクリスマス・イベントが行われた。6年目の この大学で、5回目の参加。(期末試験問題作成のため、確か、 一昨年どうしても参加できなかったのだ)

  年ごとに内容がすばらしくなっている。外国語学部が中心で、 「サイレント・ナイト」で始まり、チベット族、イ族といった 少数民族の舞踊が目を引く。

  授業で接している学生の別の側面を知れるのが、この種のイベント の楽しみ。授業では全然知ることができなかっただろう張君の役者 ぶり、3年生の合唱『風になる』(わが自転車愛好者の歌!)、 担当してはいないが1年生が真剣に歌う合唱……。いつも思うこと だが、遠い日本に興味を抱き、舞台で緊張しながら演ずる彼女・ 彼らのことを思うと、「ありがたい」という気持でいっぱいだ。

  残念なのは、会場が狭く、外国語学部の学生全ては入れないこと。 そして、天井が低いため、音響効果が悪いこと。

  しかし、おそらく、多くの中国の大学で、こういったイベントを やっていることだろう。それは、すごいことだ。 (2011.12.24)



■2011年12月23日、 快晴。ひさしぶりに午前中、MTB走行。


10:46にPENTAX+300mで
  太陽は輝いているが、この時間、まだそれほど強くはない。 そのかわりに、風が吹きまくっていて、身体がぐっとひきしまる。

  
X・Yの中間で、撮ったのがこの一枚。積雪がどんどん少なくなっている のが分かる。昨年同時期と比較しても、せつない雪山である。

  寒くなってもいい。このあたりで、低気圧が吹き荒れ、一面 雪におおわれた玉龍雪山を見たいものだ。 (2011.12.23)



■2011年12月22日、 快晴。

  風呂に入ると、今日の湯は熱すぎるほど。冷水を加えないと 入れない。ということは、
19日に書いたのとは違って、同じ快晴でも、 日射量の強弱に差があるようだ。

  確かに、風があるとはいえ、今日の陽射しは強かった。冬至なので、 餃子を買いに行ったら、若い男がTシャツで颯爽と闊歩していた。


  ところで、ここのところ時間があれば観ていた35回TVドラマ 『玉砕』が昨日終った。記憶では、2年ほど前の作品だと思う。 1920年代後半から、1931年11月までを背景に、天津を舞台にして展開 する。

  玉(ぎょく。ヒスイ・碧玉など宝石の一種)の販売を生業として 成功している主人公(画像)には、三人の娘がいる。長女は、青幇の 一員で港をしきっているイナセな男に嫁いでいる。次女は、学生で 抗日デモにも果敢に参加する女性。三女は、日本軍協力者(売国奴) となる日本語通訳と恋愛。

  そのような設定で、溥儀(そして太監=宦官も)、青幇の親方など が日本軍将校と共に周囲にうごめき、そして日本軍将校の首をはねよう と狙うテロリストが……。しかも、そのテロリストに次女は魅かれる。

  そんな状況に追い込まれていく主人公の悩みは尽きない。妻は 若くして死に、ひそかに京劇の女優を想っていたものの、女優は 日本軍の手によって殺害されてしまう。彼の演技は、せつなさ・ 辛さばかりが要求される。

  最終回、一挙にドラマは収束。人間の高貴さが高らかに謳われる。 それは主人公だけではない。平たく言えば、「男が男になる」シーン が続くのだ。(こう表現すると語弊があるかもしれない。女性もすっごく 女性らしいのだが。しかし、こう表現すると意味が異なってしまう ところに、現代日本語の限界がある)

  ちなみに、くだんのテロリストとは、共産党員ではない。東北軍 の兵士。1931年の9・18がドンと背景にある。

  丁寧に作られたTVドラマだった。(画像は、昨日19:30撮影) (2011.12.22)



■2011年12月21日、 快晴。風がつよいので、追い風を受けて昨日の地点へ快走。


15:05にPENTAX+300mで

15:07にLUMIXで
  PENTAXとLUMIXの画像比較をしてみた。(LUMIXはズーム端で撮影) 生画像では格段の相違があっても、ウエブ上で縮小画像で見る限り、 LUMIXもひけをとらない。コンパクトデジカメもすごい進化だ!  QV10の時代には考えられもしなかった。

  ところで、昨日の地点といっても、
A地点から北4.5kmというこの画像地図では分かりにくい。 そこで、北方雪山地区画像地図を新しく作成した。このXがA地点から北2kmにあり、 Yがそこからまた北へ2.5km行ったところ。つまり、Yまで行って 撮影した画像ということだ。東巴谷付近から撮ったため、角度の関係でわかりにくいが、 X→Yは、北上することに、玉龍雪山に30度〜45度の角度をとって 接近することになる。

  高い位置から、この北方雪山地区画像地図を作成すれば、一目瞭然。 が、そばの山は、急峻このうえないため、できないのが無念。 (2011.12.21)



■2011年12月20日、 快晴がつづく。


  15:42に300mで
  
17日と同じA地点から北4.5kmでの一枚。こちらはPENTAXに望遠レンズをつけての画像。 LUMIXも馬鹿にはできない。時間のせいもあるが、LUMIXのほうがいい かもしれない。 (2011.12.20)



■2011年12月19日、 今日も快晴。

  しかも、雲量ゼロ。が、お風呂に入ると、温水全開なのに、ちょうど よいくらい。これが、11月だったら、熱くて冷水を補給せねば ならないところなのだが。

  屋上設置の温水器の限界か。それにしても、冬だ。さすがに 太陽の力が弱まっているのだろう。

  そういえば、MTB走行用にしているジャンバーのチャック (ジッパー)の手で引くものが取れてしまった。針金を使って いろいろ工作してみたが、はたと思いついたクリップで決まり。 アメリカブランドのジャンバーだが、今の日本製品にはありえない 欠陥。が、それもクリップ一つで解。これも、
おじちゃんの知恵袋 入りかな?

  今年は、春節が早いため(1月23日)、授業は今週まで。 今日、文学の試験問題を提出してスッキリ! 金・土に会話の試験 を終えれば、一応、仕事納めとなる。あっ、卒論指導もあるのだが。 (ほうれん草をゆでながら) (2011.12.19)



■2011年12月17日、 ビートルズと、その解散後のジョン・レノンの曲はずいぶん違う。


  14:56にLUMIXで
  
A地点から北4.5kmまで、MTBでMP3を聞きながら走り、思った。

  ビートルズは、やはり青春の歌。若さ、汗を感じる部分がある。 そんな「抱きしめたい」や「ハーディズ・ナイト」を聞くと、MTB に一段と力がはいる。でも、「イエスタデイ」とか、「ミッシェル」 とか、なんであんなメロディーを作れたんだろ、と思う。内省的なのだ。

  解散後のジョン・レノン。CDでも、MP3でも、今一つ分からなかった。 どこか、別の世界の音楽のようにしか思えなかった。

  ところが、今日聞いていて、心の中にすんなりとしみ込んできた。 空と山の世界に一人いるからか。

  すごい精神性。まるで、彼岸の世界から奏でる音楽のようだ。 (この数日、空に雲が多く、やっと晴れわたった一日だった) (2011.12.17)



■2011年12月8日、 あの二重釜方式はマズイ!と思った。


  あれでは、どうしても、湯があふれでて、破れ靴下とはいえ、 何足もビショビショになってしまう。マズイ。

  そこで、はたと思い当ったのは、蒸し鍋である。そう、
昨年の 11月28日、納豆を作るため、大豆を蒸す必要があり、購入した ものだ。


  それからは、餃子を蒸すために使う程度で、台所に眠っていた。 取り出して、電磁炉にかけてみると、カレー鍋とぴったりサイズ! なんだ。これを使えば、湯も溢れ出ることもなかったのに。

  たいしたことのないこんなアイディアを阻んでいたのは、二重鍋 なら、下の鍋は上よりずっと大きくなければいけないという固定観念だ。

  考えてみると、世の中、なんと固定観念が多いことか? 原発に して然り……。大胆に固定観念を打破せねばならぬ。そのためには、 やわらかい頭が必要だ。

  ……というわけで、今日も食生活改善にいそしむ一日だった。 そして、作って一週間目のおいしい鶏カレーを頂戴したのでありました。

  なお、今日、サイクルメーターは麗江走行26,000kmを越えた。 (2011.12.08)



■2011年12月6日、 快晴。

  アメリカからうれしいEーMailが入った。卒業生からである。 といっても、中国のではなく、昔、東京で教師をしていた時の人から。 返信してから、ベランダで太陽を浴びながら、餃子とビールで健康を 願い、一人、乾杯!

  便利になったものだ。インターネットの普及により、検索して なんとかたどりつけ、そしてメールが出せる。

  先日の、
12月3日の麗江駅についても、ネット検索してみた。すると、 今年の8月18日から開業、麗江東駅は貨物専用駅になったとのこと。

  そこで、日本に帰国する際、航空券をいつも昆明の旅行社に依頼して いたのだが、今回は、「qunar(どこへ行くの)」というサイトを覗いて みた。安い。そして、いつもの昆明経由ではなく、成都経由のほうが 安いことに気が付いた。

  麗江で、これまで手に入れられた上海製KIKKOMAN醤油が入手でき なくなり、AMAZON中国で、注文もできる。いや、KIKKOMANはなかった けれど、先週、したところだ。

  こうしてみると、インターネットにより、どこにいても便利な 生活を享受できるかのようにみえる。だが、そこで失われていくのは、 人類の本能、野生、逆境を乗り越える力、そして……? (2011.12.06)



■2011年12月3日、 鉄道の麗江駅ができた。


     麗江駅
  麗江東駅については、一昨年の
9月20日に掲載したのだが、はたして、麗江駅がどこに設置されるのか、疑問だった。

  なんと、文筆湖東の玉龍県である。この付近は、アパートや商店街が新たに 開発されていて、「?」という気持ちだったのだが、これで分かった。

  なるほど、この位置なら、西側(画像地図では右側)へ抜けて、 シャングリラ(中甸)方面への(ひいてはチベットへの)レール敷設 が容易だ。

  りっぱな駅外観を見て分かるように、最近建設されたばかりのようだ。 おそらく、二ヶ月前の国慶節から開業したのだろう。 (画像は、15:20にLUMIXで撮影) (2011.12.03)



■2011年11月29日、 曇り。ひさしぶりに、厚い雲が空をおおった。

  こんな時には、熱い湯もないので、おもいきりMTBで走り まくり、蒸しタオルで身体を拭くに限る。

  で、その蒸しタオルだが、お湯を沸かして……はめんどう、 お皿の上に濡れタオルをのせて、電子レンジでチンが手っ取り早い。

  あっ、こんなアイデア、結構あるので、ちらっとまとめてみよう。 「おばあちゃんの知恵袋」ならぬ「おじちゃんの知恵袋」!

  使用済み歯ブラシは、そのままで、自転車掃除に使える。特に ギア回りは埃とゴミがたまりやすいので、これで一発解消。むろん、 台所でちょっとしたものを洗う際に、手を濡らすこともないので、 便利この上ない。まっすぐで具合が悪ければ、ライターなどで、 30度、45度にまげれば、使い勝手も抜群に向上。ブラシ部分が ダメになったら、その部分をカットして、カッターで削れば、鋭利な キリになる。

  
5月12日掲載の二重鍋であるが、鍋のそばにおいてあるのは、使用済み 靴下。湯や汁の飛び散り防止。ダメになった肌着でもいいが、肌着の 方はいい綿なので、細く切って、これまた自転車掃除用には最高品質 のウエスとなる。こうしてみると、捨てるのが惜しくなる人生だ。


  ところで、ベランダだが、これも相当な使用価値がある。アパート の中でも、僕のところは、西の太陽が昼過ぎから差し込む。広さは、 2m×1.5m=3平米。しかも画像のように洗濯機も置かれて広くは ないのだが、それでも洗濯物はもちろん、布団干しもできるし、最近は キャンピング用の折畳椅子を置いて、昼寝もするようになった。ここで 食べる餃子とビールも最高。

  まったく、この人生、ベランダさま様なのである。東京のわが 集合住宅ではこうはいかない。面積はここより広くとも、細長いため、 昼寝など許されない。

  こうしてみると、日本の庶民用集合住宅の画一性と貧困さが 頭に浮かぶ。ここ麗江のアパートは、造りは粗悪でも、こと間取り に関しては優れている。ベランダに出るのは、午後の太陽を浴びながら 料理ができる台所から。外も見えるし、窓から顔を出せば、玉龍雪山 だって拝めるのだ。

  部屋の中に台所がある僕の東京の部屋。あそこでは、料理をする 気にもならない。 (2011.11.29)



■2011年11月25日、 アメリカの感謝祭。

  アパートのビル夫妻に呼ばれてごちそうになる。すごいなぁと 思ったことがいくつも。サラダが出ていること。生のサラダ。おいしい。 生野菜は中国で食べないことを鉄則にしている僕からすれば、すごい としか言いようがない。

  バックサウンドで、カントリーミュージックを流していたので、 いきなり「ローハイド」をがなってみた。やはり、同世代、きちんと 知っている。

  もっとすごいな、と思ったのは、壁にTVや映画で見るように 家族の写真を(しかも沢山)はっていて、そのうちの二人がどう見ても 東洋系の子供。聞いてみると、中国人の子供を引き取って育てて いるとのこと。

  ビルさんは、66歳。別のアメリカ人の方は、明日、ボランティア 活動があるという。

  風船のように風にまかせてきままに飛んでいきたい――などと 言っていた自分が、少し情けない。

  それにしても、アメリカ人教師の方々、それぞれ志を抱いて この中国に来ているように思う。若い人は、中国語を学び将来への 飛躍を。年配の人は、自分ができることを人々に。

  初めて体験した感謝祭。これは、きっとそういう儀式なのだろう が、最後の方で、「一人ひとり、感謝の言葉をのべましょう」とビルさん が言って、「私は妻に感謝を」……。6人が一人づつ語る中、僕の 番になって、(外事の人に通訳をたのんで)「私が中国人なら、 毛主席に感謝します」と言ってしまった……。

  いやはや、情けない。冗談の場ではなかったのだ。よって、 不真面目このうえない発言だった。 (2011.11.25)



■2011年11月24日、 ライオンがよみがえった。


  
5月10日に報告したライオンである。位置はC地点近く。

  10月末にもどってきた時、ライオンは取り払われていた。りっぱな 木彫りなので、きっとお金持ちが買って行ってしまったのか、と 思い込んでいた。10万元くらいかな、それとも1ケタ上?

  ほぼ毎日のトレーニングコースなので、気になっていた。すると、 先週、大きな土台を造り始めた。こんどは何を、大型だからゾウ?  などと想像をふくらませていた。

  今日、ライオンはめでたくまいもどった。よく見ると、綿密に上塗り され、いっそうたくましくなった。顔もいい。雪山もいい。 (画像は、15:30にLUMIXで撮影) (2011.11.24)



■2011年11月21日、 "Beautiful Day" が続いている。

  そこで、今日は
周大福で手に入れて来たニラ入りの蒸し餃子二籠をベランダで 頂戴する。

  むろん、昨日つくり、第一食目をいただいた豚カレーが冷蔵庫に あるのだが、食はバライアティーが大切ということで、あえて寝かせて 今日は食べないことにした。

  で、ベランダでの餃子。五時半開始の晩餐であるが、西向きで太陽が さんさんと輝き、Tシャツで、大理ビールとナイス・マッチ。

  考えてみると、六年目の麗江にして、初めてのベランダでの食事。 ひと月前もどってきて、ベランダを活用していなかったことに気づき、 昼寝などを開始するようにはなっていたのだが。

  ここ麗江の陽射しは今でも、冬でも強い。そしてこの期間は、 完全な雨季であり、太陽と共に生活する日々。となると、この陽光、 活用できないか? と思うのは至極当然。すでに浴室などに使用する 温水器は普及しているのだが、発電用のパネルは見かけない。そこで、 今日もMTBで走って来た北の荒野に、太陽電池が張りめぐらされた景色を想定 してみたりする。

  が、それはよくない。草を食む牛・馬・羊たちにはいい迷惑だ。 そこで、思い出した。以下のべるのは、独創的な僕だけのアイデアだ。

  アスファルト道路を生かすのだ。いたるところに張りめぐらされ ている道路を使うのだ。ただし、これには「粉末X」が必要だ。 そっとお教えしよう。アスファルトに「粉末X」を混ぜると、その 「粉末X」の効用により、太陽光を蓄電することになり、また、 「粉末X」よって、導電作用も持つことになり、道路1Kmごとに 一個の出力端子を設置することによって、そこから、電気を獲得できる ことになる。

  まさに、ノーベル科学賞もののすばらしいアイディアではないか?  かくも全てが微細に考えられているのだが、残念、ただ「粉末X」 の一点だけが「謎」として残されてしまっている……。

  そんな話を、アマチュア無線からエレクトロニクス、PCまで 広く扱っていたラジオ部の夏合宿で話したことがあった。

  生徒・OB諸君の反応は、「よっぱらい教師!」ではあったの だが。

  しかし、あらゆる食材が放射能に犯されていると考えるのが穏当 な今日、核発電に頼らぬ発電を捨てねばならぬ今日、こういった アイディアは、研究の対象になるのではないか?

  ……玉龍雪山を北にながめつつ、餃子とビールをおいしくいただき、 そんなことを思った三〇分だった。 (2011.11.21)



■2011年11月20日、 僕は、バレーボールが好きだ。

  昨日、午後3時頃まで、CCTV5(スポーツチャンネル)で、 ワールドカップ女子日米戦を放送していた。これは、生中継なのか、 それとも放送に合わせての録画中継なのか? 今でも分からないのだが、 いい勝負だった。

  中国人のアナウンサーだけによる放送(解説者は無し)だった。 「ムーツン、ムーツン」と木村選手の活躍を褒めていた。このあたり、 偏見なしに、いいプレーをほめ(当たり前のことだが)ているのが、 気持よかった。

  アメリカチームに対し、これだけの戦いができるのだから、 相当のものだ。
11月18日の対独戦の時は、ハラハラしていたのだが、 今回は、ゆったりして観戦できた。

  バレーボールは、「身長と力」、そして細かなプレーが鍵。 前者ではアメリカチームが圧倒したが、後者では日本チームの方が 明らかに勝っていた。

  CCTV5では、この日米戦の前に、中独戦を録画放送して いた。中国チームは、「身長と力」と細かなプレーの両方で、 ドイツを相手にもしなかった。

  日中戦をみそこなってしまったが、日本・中国・韓国の今後に 期待したい。

  で、なぜ女子バレーなのか? といえば、「ひたむきさ」が、 手に取るように感じられるからだと思う。男子バレーは、10分と 見ていられない。また、サッカーでも、男子は明らかに卓越した プレーに目を見張るのだが、女子は「ひたむき」な走りに注目する ことが多い。

  自身の運動能力が低いということにもよるのかもしれないが、 女子スポーツのほうが分かりやすいようにも思える。何か、自分にも できそうな幻想を与えてくれるのだ。 (2011.11.20)



■2011年11月19日、 高村薫について書いておきたい。


  07:55に300mmで
  この作家の作品は、この長かった夏休みに初めて目にし、
10月25日にも触れたのだが、今もなお頭の中に余韻が残っている。そして、 そこでも触れた『閑人生生』は、ここでも、睡眠前の必読書である。

  これは、『AERA』2007.8.13〜2009.7.27に掲載された時事 評論集である。制約された字数の中での、時事を見る目は寸分の隙も ない。まるで、鍛え抜かれた職人が、自身の身を切りつつ、一刀一刀 細心の目配りの中で書いたかのようだ。

  今も『AERA』で掲載中なのだろうか。もしそうならば、 冬休みにもどった時、合田雄一郎シリーズの最新作と共に、まっ先に 手にしたい本の一冊である。(なお、同じようなエッセイ集として 『半眼訥訥』もあるが、こちらは、自由な筆致が散漫な印象を与えて しまっている) (画像はベランダから撮影) (2011.11.19)



■2011年11月18日、 わがベランダから玉龍雪山が見えるようになった。


   11:55に70mmで
  この二年間というもの、アパート近くの樹木を剪伐せずにいたため、 昨年
11月26日の画像のように、ベランダからの雪山は遮られていた。

  それが、昨日、せっせと手作業で大木となった木を剪伐して くれたので、今はすっきりとこのように見えるようになった。 (女子バレー・ワールドカップ日独戦の終盤に撮影)

  それにしても、日が経つのがはやい。『呂梁英雄伝』最終回は、予想に反して 日本軍を「こっぱみじんに」とはいかず、追随する人々を暴き逮捕する ところで終り、あとは1945年の日本軍投降をほのめかす形で 終っていた。

  これは、戦さならずとも基本中の基本。身辺をきちんと固める ところから、全ては始まるのだろう。ということで、洗濯をし、 しっかり部屋掃除を終えたところである。 (2011.11.18)



■2011年11月13日、 大根は、太くてながいものがいい。小ぶりのものはダメ。


  15:23に300mmで
  トマトも、にっこり微笑みかけた大ぶりのものがいい。落花生と きたら、山東省産に限る。……というわけで、
一昨日紹介したおいしかった鶏カレー の第2弾に突入。ま、落花生は関係ないのだが、今回は、いかにも 育ちのいい堂々たる鶏の脚6本22元也を用意しての豪華版である。

  まだ第一段階の醤油味鶏スープであるが、終段の鶏カレーを 彷彿させるにたる魅力たっぷりの奥行きの深い味であった。今や まったく形を消した玉ねぎとトマトのスープの中、すきっとした 歯切れのいい大根、絶妙のコンビである。

  さて、くだんのTVドラマ『呂梁英雄伝』(全22回)は、今日が最終回。 八路軍民兵が日本軍とその追随者をこっぱみじんに……。と思って いたら、CCTV4では、ニュースが長引いたためか、急遽、ワールド・ カップ卓球男子決勝戦(中韓)の録画が差し込まれてしまった。よくある ことだが、おあずけとあいなった。

  画像は、A地点から北2.5kmで撮影。昨日より、500m南の位置からである。 (2011.11.13)



■2011年11月12日、 そういえば、俳優・江守徹がNHK・BSに出ていたのを思い出した。


  15:36に300mmで
  1冊の本を紹介しながら、自分を語る――といった趣旨のTV番組 である。彼が取り出したのは、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』。

  この小説は、僕が高校時代、何度も読み、そして、大切だと 思われた所を、ノートに写したものだ。人生を、人間の生き方を 感じさせるものとして、直接には『チボー家の人々』につながり、 また、違った角度からは、ヘルマン・ヘッセの一連の小説と共に 読みふけった。

  このような人生を考えさせる小説は、現在、必要とされていない のだろうか?

  また、昔は、「世界文学全集」なるものがあって、誰もがきそって 読んだものだ。『ジャン・クリストフ』について言えば、丸山真男も、 武谷三男もファンだったという。そして、同じ小説を読んだことで、 同じ世界を共有していたような気がする。ところが、現在、「世界文学全集」が 書店の書棚から姿を消して久しい。

  一方には、あふれかえる新刊書の山があるのだが……。

  今日も快晴。画像は、
A地点から北3kmで撮影。風が身体に突き刺さった。 (2011.11.12)



■2011年11月11日、 絶妙の鶏カレーライスを堪能! むろん自家製。仕込から一週間目の味である。

  というのは、週末に料理を作っておき、平日にはそれを食べる 方式を取っているからだ。

  だが、四つの秘訣が隠れている。まず、カレー・ルー使用の前に、 醤油で味付けをしたこと。これは、プロの料理人であるかつての同僚 に密かに極秘教授を受けたもの。この段階では、カレーは一切使わず、 とまと・玉ねぎをベースにニンジンと大根を入れている。つまりは、 醤油味・鶏の大根スープといったもの。(これで二食いただいた)

  次の秘訣は、「両雄並び立たず」。つまり、大根とジャガイモ は混在できないのである。よって前の段階において、大根は食べつくし、 醤油味スープとはおさらば。大胆に路線変更して、カレー・ルーの 使用に踏み切る。鍋一杯作ったので、まだまだ三分の二もある。

  第三の秘訣は、「寝かす」こと。大学時代通った門前仲町のカレー店 では、作って一週間、冷凍庫で寝かすとのことだった。FM放送で、 ジェット・ストリームが流れる中、味わったあのカレーライスもいい味 だった。その朗読(確か城卓也?)を思い出しながら、火を通し、 冷えた頃、まめに冷蔵庫へ収納。

  最後の秘訣。これは、たまたま、そうせざるを得ないということ から生まれた結果ではある。すなわち、とことん煮込むことである。 冷蔵庫から取り出し、ゆっくり煮込む。むろん、
5月12日に書いたように二重鍋 にしなければならない。

  かくして、醤油味・鶏の大根スープから姿を変えた我が鶏カレーは、 はるかにC&Cカレーショップの味を越え、おそらくは、日本のどこでも 味わえないだろ最高級のものとなったのであった。 (2011.11.11)



■2011年11月9日、 夜の日本語コーナーでのワンシーン。

  「最近、何かしましたか?」「映画『ノールウエーの森』を 見ました。でも、分かりませんでした」「あれ、性描写が多いですねぇ、 先生」「
『1Q84』も、そうですね、先生。私、翻訳で読んだんです」……。

  昔、高校時代、モーパッサンの『女の一生』を読んで、「興奮」 した僕としては、どうこの自由会話を展開していったらいいのか、一瞬 とまどった。(くだんの『女の一生』のシーンとは、結婚初夜、男の 毛脛が主人公の女性の脚に触れるというだけのものだったのだが)

  確かに、村上春樹の作品には、性描写が多い。そういったシーンに なると退屈になるのは、僕個人の歳のせいか? だが、余華の『兄弟』にも多く、 退屈さを感じた。しかしながら、おそらく性描写シーンもあったはずの高村薫や村上龍の作品 では、なにも違和感を感じないまま読んだ気がする。

  これは、どういうことなのか? かつて、若かりし大江健三郎は、 「人間描写で欠かせないのは、性描写」「性の問題が文学に欠けている」 というふうに考え、『われらの時代』などを書いたのではなかったか。

  それから50年、「性」は過剰なほどに、情報として溢れかえって いる。「性」を神秘的な奥深いものとして直感的に感じていた時代、 (それは僕の高校時代でもある)それはどうなったのか。 (2011.11.09)



■2011年11月7日、 昨日書いた『呂梁英雄伝』につけ足しておきたい。


  そういった状況の中でくずれていく人間的なるもの、それを あくまで守り続けようとする人間の高貴さ――という点だ。そう 考えると、反日ドラマとしてレッテルをはられ無視されかねない 作品も、実は高い質をもっていることが分かる。少なくとも、 BOOK3までの『1Q84』よりは。 (画像は、授業直前の07:53、キャンパスよりlumixで撮影) (2011.11.07)



■2011年11月6日、 安定した晴天がつづいているものの、「これだ!」という玉龍雪山は 撮れないでいる。

  大学2年生の会話授業では、アクセントに重きを置いているため、 かなりの苦労。縦横無尽に変化するかのような日本語アクセントを、 なんとか法則性の下に紹介したいという苦労だ。また、大学4年生の卒論を 担当しはじめたので、こちらも(面白いのだが)時間がかかる。

  ところで、
『呂梁英雄伝』を見つづけていて、いくらか分かった。普遍的 に言えば、不合理な暴力を前にして、危険の中でいかに抵抗するか? ――ということだ。しかも、圧倒的な無関心の中、暴力に屈し、 また暴力の奴隷・守護者となった人々の中でどうするか?――という ことだ。

  表の皮を剥ぎとってみれば、ハリウッド映画『ダイハード』と 変らぬ構図が見えてくる。ただ、あちらは個人だが、こちらは、 人々ということか。 (2011.11.06)



■2011年11月3日、 晴れ。授業直前のキャンパスから見た玉龍雪山である。


  07:55に300mmで
  夜には、三日月が輝いている。
『1Q84』を読んだせいか、月を見上げる ことも多い。裸眼では、左目で二つの月が、右目で四つの月が見える。 近視の度合いが急ピッチで進んでいるのが、なんとも気にかかる。

  それにしても、村上春樹氏は近視で、月が二つに見えることから、 このアイディアを得たのだろうか。

  とはいえ、この小説、J・オーウェルの『1984』の濃厚さと 比べようもない。「物語」としてはできていても、重複説明が多すぎる。 最も致命的なのは、全体として何を語りたいのか不鮮明であるという 点だ。 (2011.11.03)



■2011年10月30日、 晴れ。完全に乾季に入ったようだ。


      70mmで

     300mmで
  玉龍雪山を撮るべく
福国寺の下まで行ってみる。だが、雲が浮き上がり 始めたなと思ったら、主峰・扇子陡を覆いはじめてしまった。

  現在、空が赤らみはじめるのは、7時10分。9時25分という 撮影時刻は、山を撮るには遅い。何度も思うことだが、一瞬の時、 それが全てだ。 (2011.10.30)



■2011年10月29日、 一方、帰って来た麗江では、こんなTVドラマをCCTV4で放映中。


     呂梁
  『呂梁英雄伝』である。馬烽・西戎の合作で1944年に小説として発表、 2004年、TVドラマ化された。抗日戦争ドラマとして古典中の古典。 顔の長いのが特徴の于震をはじめ、よくTVで見かける俳優が出演。

  内容は、日本軍の侵略を受けた呂梁の人々の戦いである。それは もちろん、「団結できる全ての人々と団結し、侵略者をはねのける」 ――という毛沢東の軍事戦略によるもの。

  宣伝ドラマの側面は、なくもない。が、面白いのだ。山西の 呂梁という山地の厳しい風景をロケでふんだんに使っているという 点はあるが、なぜ、面白いのか?

  抗日戦勝利60周年を記念して制作されたという。馬烽・西戎が小説を 書き上げたその時は、まさに「必要性」があったからだということは、 よくわかる。しかし、現在、数多くある抗日ドラマに加える「必要性」 はあるのか? 未来を考え、現在を知るために、過去をふまえることの 「必要性」は認めても、TVドラマには、現在・未来の問題をリアルに 見すえた作品が少なすぎる。(数年前には、繁栄した沿海地域と貧しい 内陸との格差を背景にしたドラマがあった)すると、もしかして、現在、 人民戦争の「必要性」を訴えるためなのか? その場合、敵は誰か?

  わからないことばかりだ。(この作品は、、
ここで観ることができます。また、右上の画像は、このサイトからのもので画質はよくありません。しかし、山西省呂梁という山地が、緑あふれる日本のそれと全く異なることが分かっていただけると思います)

  なお、今日、サイクルメーターは麗江走行25,000kmを越えた。(2011.10.29)



■2011年10月26日、 14:15、B地点 での玉龍雪山である。(14mmワイドレンズを使用)


  そういえば、中国の現代小説もこの間に読んだので、昨日の つづきとして書き留めておく。史鉄生の『わが遥かなる清平湾』、 余華の『兄弟』、鄭義の『神樹』の3作。

  『わが遥かなる清平湾』は、自身の文革時代の下放体験を回想しながら 書いたもの。まるで彫り込むかのように書かれた落ち着いた筆致が、 何度読んでも心をなごませる。

  一方、『兄弟』は、「文革編」と「改革開放編」と時代別に書かれ、 文革はもちろん、改革開放時代も、人間の醜悪面から存分に描く。主人公の 二人の義理の兄弟は、兄は高潔さを、弟は醜悪さを代表し、一見、 アベルとカインのようではあるが、そこまで徹底しているわけではなく、 弟の可愛い姿が描かれているのが救いと言えば救いだ。とにかく、弟は、 村上龍のように才気にまかせた筆の運びでトコトン描かれ、飽きさせない。 が、結末が何ともあっけなく終わってしまっている。


大江と鄭義の小説
  『神樹』の作者・鄭義は、確か10年ほど前に、朝日新聞紙上で、 大江健三郎と往復書簡をやりとりしたのではないか? 右画像の大江の 作品とどこか似ている――と思いながら読み進んだ。土俗めいたもの というか、地方の香りが漂ってくるのだ。大江のそれが、水であり、 緑であるのに対して、鄭義のそれは、土であるという違いがあっても。 そして、大江の作品と異なるのは、鄭義が歴史的スケールで人間の 退廃を描いている点だ。

  こうして振り返ると中国の現代文学も読者に読み飽きさせない 力を持っていると思う。(ここにあげた3作は、いずれも日本語訳 され、出版されています) (2011.10.26)



■2011年10月25日、 今日も快晴。


  玉龍雪山
  昨日と同じキャンパス内、アパート付近から同様に300mm望遠で、 08:13の画像。「不動如山」というが、まさしくその山が、玉龍雪山 である。いっさいの退廃を許さないかのように、そこに立ちはだかって いる。

  ところで、帰る前は、思いがけぬ空白時間があったので、現代日本 小説を読みふけった3ヶ月だった。池澤夏樹のあれこれ、新作ではない 長編小説として高村薫のほとんど、村上龍の3作品、村上春樹の新作……。

  退廃――
『いつでも夢を』にまるで描かれなかったことを、(池澤夏樹を のぞけば)この3人の作家は真正面に描いている。

  高村薫の作品に登場する人のほとんどは、そうである。『神の火』、 『地を這う虫』、『黄金を抱いて翔べ』、『李歐』、『照柿』、 『レディ・ジョーカー』……。合田雄一郎という警察官がいくつかの 作品に登場しているが、彼も退廃の闇をかかえつつ、職責との間で逡巡 している。しかし、高村薫の凄さは、なんといっても綿密・繊細な描写に ある。いったい、この作家はどんな頭の構造をしているのか? と思って、 『閑人生生』というエッセイ集も読んだが、これもすばらしい切れ味。 社会を見る目を感じた。

  村上龍の作品のうち、『希望の国のエクソダス』は、退廃ではなく、 一つの夢を与える小説。それに対して、『愛と幻想のファシズム』、 『半島を出よ』は、退廃が正面に。そして、息も尽かさず読者に次を 読ませる筆力がすごい。

  村上春樹の新作といえば、『1Q84』。うちBOOK3だけ暇にまかせて 中国語訳で読んだ。この作品も次の展開を読者が急ぎ求めるように 書かれている。しかも、読者のその心情に、水をかけるかのごとく、 反復、繰り返しの描写が多い。しかし、これも作者の技巧か?  が、まず気になったのは、「エホバの証人」という実在する宗教団体を、 「証人会」として登場させ、オウムと似た組織として描いている点だった。 「エホバの証人」の源流は、灯台社、明石順三という近代史上、良心的 兵役拒否を貫いた団体として記憶すべき存在。また、中野に居住していた時、 小説のように訪問を受け、幾度か話したこともある。しかも、高校教師時代、 その信徒がいたこともあった。

  そういった違和感から始まり、BOOK3まで読む限り、何も解決されて いないことが、目に付いた。『アンダーグラウンド』から、彼は何を体得 したのだろう。現代を掘り起こし、小説の世界に新しい何かを賦与するの ではないか? ――と思ったのは誤りか? 売れる小説の書き手としての 堕落が、退廃が彼にあるのではないか?

  そんなふうにあれやこれやと読みふけって、とはいえ、とても楽しい 空白時間であったことは確かだ。人間はいつも、追われている。そして、 それが有意義だと錯覚している。小説は、違った世界へといざなって くれた。

  なお、一番先にあげた池澤夏樹は、退廃の逆の世界を追って 生きているようだ。池澤夏樹といえば、ハワイ、沖縄、パリ。 いいなぁ。すごいなぁ。だが、『楽しい終末』を読んで一変。退廃 を凝視しているからこその行動にちがいない。小説では、『すばらしい新世界』 が良かった。楽しかった。退廃ではない夢を、まるで映画『いつでも夢を』 のように示していた。

  今日は、退廃をめぐっての読書報告となってしまったが、 このシリーズは続けることになるでしょう。 (2011.10.25)



■2011年10月24日、 8時から始まる授業。始まってすぐ玉龍雪山が見え始めた。


  玉龍雪山
  終了して10:07、雲がだいぶ出始めたところだが、やっと撮影。 玉龍雪山、雪山があるからこその麗江だ。その存在感が麗江から 離れられずにいる。(望遠、300mmで撮影)

  快晴の下、MTBを流すと、長くなってしまった東京生活が心に 浮かんでくる。核発電(原発)の危うさへの危機意識が全体的に薄い のが、まず気になった。

  「脱原発を唱える人は感情的になりすぎている」といった論調 までもが、ぬけぬけと聞こえるようになっていた。「感情的」「非理性的」 「非現実的」といった言葉は、そのまま核発電(原発)推進者に お返ししたい。

  それにしても、核発電(原発)推進CMに出ていた芸能人どもが 知らぬ顔の半兵衛をきめこみ、エヘラエヘラ顔をしてTVのバラエティー 番組に出ているのには、正直まいった。あの東電CM、――ピザの種類が 円グラフにしてあり、「いろいろなピザがありますが、やはりミックス ピザがいいですね」と言っていた芸能人である。このCMは、かなりの 影響力があったとみえて、現在、民主党政治家諸君までもが、「ベストミックス」 と言いだす始末。

  退廃の極みである。が、芸能人の中で、光っていた人もいた。 山本太郎氏。僕は、体育会系の(汗が香る)芸能人くらいの認識しか もっていなかったが、「脱原発」めざして、すごい活躍。そのため、 TVなどの出演も拒否され、冷遇の中にあるという。それは、東京新聞 の「こちら特報部」という記事で紹介されていたが、この東京新聞は、 マスメディアの中、唯一良質な報道を保っていると思った。

  退廃の中、いかに風穴をあけるか? 思いつくことを、できるだけ 書いていこうと思う。 (2011.10.24)



■2011年10月21日、 黎明3時半、麗江にもどる。

  本来は二か月前に戻る予定が、「想定外」のことが起こったため。 この間、毎週のように戻る日程を変更。予定は常に未定、将来は全く 不明という事態がまるまる続いた。

  よって、「そうだ、○○へ行こう」と旅に出ることもままならないまま。 ひたすら待機を余儀なくされ、くさった気持の日々。


  9・11集会
  とはいえ、吉永小百合の『いつでも夢を』も観れたし、9・19 「反・核発電」集会に参加できたという良さもあった。1963年のこの映画は、 日本のものとはとても思えないもの。多くの物を得ながら、数多くのものを 失って来たのが、半世紀の日本だったのだ。

  こちら麗江は、冷たい雨が断続的に降っている。今年は雨が多いとの こと。しかし、そろそろ玉龍雪山の季節が待ちかまえている。 (2011.10.21)



■2011年7月8日、 孫紅雷という役者は、なかなかの演技派だ。


    孫紅雷
  ヒット作の『潜伏』、他に『刀鋒1937』、『人間正道是滄桑』、 『黒社会老大2』というTVドラマを、雨季のあいまに観た。

  なかでも『人間正道是滄桑(移り変わりこそ世の常)』がいい。 1925年〜1949年を背景に、黄埔軍官学校の友情、家、恋愛を 描いている。(50回ドラマ)

  1925・6年の広州の革命的高揚、1927・4・12の 反共クーデタ、12月の広東コミューン、1945年からの国共内戦 という凄まじい歴史の転回の中、友人も兄弟も引き裂かれ、また恋愛は 夢のように消えて行く。

  楊立青というノンポリ青年を主人公にしたことによって、政治色 に流されずに人生を考えさせるものとなった。そして、題名のように 無常観めいたものが全編をつらぬいているのが、興味深い。

  中国TV界も、これほどの作品を制作できると、刮目した。 (2011.07.08)



■2011年7月6日、 飛騨・高山の市長が大学に来訪。学生を含めての小さな集いが催される。

  高山市は麗江市と姉妹都市。来年で10周年になるとのこと。

  毎年、麗江市から研修という形で一年間、日本語関係者を高山に 招いている。これは特筆すべきこと。僕の大学からも、3人の日本語 の先生がお世話になっている。

  国政よりも、自治体、それも、東京・大阪といった大きな自治体 よりも、小さな地方の自治体のほうがすばらしいのではないか。

  高山市長の挨拶も心を打った。「中国は昔から日本のお兄さん。 若い学生の皆は、どうか、中国と日本の架け橋になってください」 (2011.07.06)



■2011年7月5日、 「○は、『ν』・『レ』と書いてください」と言われる。

  ×は同じでも、○の付け方が、日中では異なる。日本では、 ×とも捉えられる「ν・レ(チェック印)」が○なのである。

  「文化の相違を押しつけるな!」と大いにむくれて言い返す。 「もし僕が中国語を教えているなら、中国文化に沿って採点もする が、担当しているのは日本語関係。ならば日本式採点方法を尊重 すべきだ」

  どうやら教育局の「評估(評価)」を控えて、指定された方法 を言ったにすぎないようだ。ならば、それを最初に語ればいい。 だが、どう言ったかというと……

  「レ・×が国際標準ではないでしょうか?」「同じ日本人の先生 もそうしてくれました」「アメリカ人の先生は若いからでしょうか、 すぐ納得してくれました」……

  自国文化への妄信と、他者をとり上げての説得。思わず笑って しまった。まったく日本的ではないか。多民族国家中国でも、 島国的発想があるとは。これは個人だけの問題なのだろうか。

  僕の答。「外国でどう採点しているのか、調べましたか?」 「人は人、僕は僕」「年寄で悪かったね」。
(2011.07.05)



■2011年6月24日、 植物の生命力には、頭が下がる。


    14:55に
  人は、その感情によって、やる気も活力も左右される。が、 植物は、この2500mという海抜にあっても、黙々と生命力を絶やす ことはない。画像左は、植樹された広葉樹で、6月上旬の多雨も あって、みごとに根付いた。昨年
5月17日に同じ位置で 撮影した画像と見比べると、一目瞭然。


      同左

    15:40に
  たしかに、今年は、6月になって本格的な雨季に入り、昨年と は大きな違いだった。だが、植樹はお天道様だけに頼ってはいられ ない。一週間に数度、放水車が出動している。こちらにも頭が下がる。

  昨年、昨年6月26日に書いたエーデルワイスも、見事に 天を衝いている。こちらは放水車の恩恵をこうむってはいない。 諸事にめげたり、しょげたりしている自分とは大違い。(これは、 A地点そば のエーデルワイス繁殖地で撮影。背景は玉龍雪山。)


 南方面、15:55に
  長く書かず、時は流れてしまっていた。久しぶりの快晴。太陽が まぶしい。授業は来週までだが、期末試験問題をほぼ出し終えて、 気持が半分だけ軽くなっている。(画像は、すべてlumixで撮影) (2011.06.24)



■2011年5月12日、 物価が急激に上がっている。


  
人民医院そばの餃子屋は、周大福という中国では名の知れた 老舗。ほんの半年前には、一籠(10個)4元だったのが、3月には、 4.5元、そして5月の労働節明けには5元となってしまった。

  半年で25%値上げとは、すごい! といって全ての食材が 高くなったわけではない。東京で「大きい」と感じるニンジンは、 4本で1.1元。平たいが直径10cmの玉ねぎは1個1元。 ジャガイモは、今日スーパーで買って来たシールによると、1キロ 1.6元。

  周大福の蒸し餃子はおいしいのだが、やはりうまいものは手を 動かして作るにかぎる――と、最近はカレーも画像のように二重鍋 にしたりして工夫している。カレーの敵は、なによりも「焦げつき」 なのである。

  ということで、今もカレーを煮込みながらの記事書き。当たり前 のことなのだが、一回一回、どのカレーの味も違うことになる。 奥が深い。「Mida's」という舶来カレー粉も、業務用1キロの「ジャワ カレー」(ルー)もあるのだが、決定的なのは、やはり「腕」のようだ。

  こちらのラジオ・テレビは3年前の四川大地震を復興に 重点をおいて報道している。日本の3・11といい、中国の5・12 といい、いずれも弱い立場の人々が命を失っていることがつらい。 (画像はlumixiで撮影)

  なお、今日、サイクルメーターは麗江走行24,000kmを越えた。 (2011.05.12)



■2011年5月10日、 太陽直下40℃を越える暑さ。


  
C地点手前に木工場ができた。一月前、突如、大きなライオン像が置かれ、なにか と思っていたら、木工場で、まだ正式に始まってはいないが、展示販売 を兼ねるようだ。

  吠えているライオンは大きい。下の日陰で休んでいる作業員と 比べると、その大きさは分かるはず。たいしたものだ。玉龍雪山・ 五星紅旗・ライオンの組合せもなかなかのもの。ちなみに、旗の下に あるのは、羽を広げた孔雀。他に勇壮な鷹も外に飾ってある。

  手を動かして作りあげるものには、興味がある。最近は、料理 一点張りだが、鑿で彫るというのには、創作欲を駆り立てられる。 これまでここは、団体観光客向けのくだらない土産店だったが、 本格的木工場として開業したら、門をたたいてみたい。 (画像は14mmワイドレンズで16:00に撮影) (2011.05.10)



■2011年5月8日、 日本は、核放棄宣言をすべきではないか。


  憲法第9条「戦争の放棄」と共に日本の国是とするのだ。 核兵器はもちろん、核発電所も持たない。それが、最も現実的な 道だ。

  それは理想だ。現実に電気をどうするのか? ――という素朴な 質問には、「では、福島核発電所の現実をどう見るのか」と反問する ほかない。人間が扱いきれない科学技術に身をまかせるか、確実な 科学技術に期待するか、どちらかしかないのだ。

  福島核発電所の現実は、事態がSF的でいつでもメルトダウンの 可能性がある。今の「英雄的な」対応も、根本解決にはなりえない。 天気予報と並んで、放射能予報がこれから何十年もなされていく だろう。魚介類には、放射能が蓄積していくので、数多くの生体検査 をしていかねばならぬ。何十年も……。

  それが現実。ならば、取りうる道は最も現実的な一つ。―― 核発電所の廃棄。そして核放棄宣言。御前崎の浜岡核発電所の停止 依頼をした菅首相は正しい。「雇用が不安」と言った御前崎市長は、 一つの現実だけを見て、福島核発電所の現実を直視していない点から 言って、指導者失格。

  そして、取り組まねばならぬことがある。まず、計画中の核発電所、 点検中および作動中の核発電所を停止していくこと。また核発電体制 にからむ利権を廃絶させること。そして、すべての能力を、クリーンエネルギー 開発に傾けること。大学の「原子力」関係学部・学科は縮小し、太陽光 発電など自然エネルギー開発関係を充実させること。

  10年、20年の過渡的な段階。実際的に電気をどうしたらいい のか?

  1、家庭などの太陽光発電にたいする優遇政策を取れ。

  2、使えば使うほど安くなるという大量消費優遇政策を廃止せよ。

  3、待機電力を消費するすべての家電を禁止し、スイッチオンで作動するようにせよ。

  4、一般家庭の消費電力が多いようなら、20Aでブレーカーが落ちるようにせよ。

  5、石原都知事が偉そうに言った自動販売機は、注文後3分して(加熱したものや冷やしたもの)になるようにせよ。(若干のコストはかかっても、こちらのほうが現実的だ)

  以上。画像は70mm望遠レンズでキャンパスから08:50に撮った玉龍雪山。 このところ、3日曇天(あるいは雨)、3日晴天の日々が続いている。 (2011.05.08)



■2011年4月28日、 B地点付近の、矮生黄華


50mmマクロで14:00に
  キャンパスでは3週間ほど前に姿を見せていたが、ほんの5キロ 北へいっただけで、高度もいくらか高くなり、寒さも一段きびしくなる せいか、やっと姿を見せはじめた。

  ここ麗江は、昨年とちがって、雨が多くなった。雨季らしい季節 の到来。曇天が多くなり、午後、あるいは夜間、雨が多くなった。 雨となれば、3月より寒く、風呂も湯はない。

  が、今年はこの機会を逃さず、見たことのない高山植物をこの 眼でとらえたいと思う。 (2011.04.28)



■2011年4月23日、 小川未明の『眠い町』は、すばらしい。


50mmマクロで10:30に
  文明滅亡後、世界は砂漠化する。その砂漠の砂が、文明の進展 にブレーキをかける「疲労の砂」として作用するというアイデア―― 百年も前に発表された作品だが、今でも斬新な考えだ。

  核文明下、メルトダウンの危機をぬぐえぬ現在、小川未明のいう 「疲労の砂」とは「放射能」かもしれない。

  すでに撒かれてしまった「放射能」、放出されてしまった「放射能」、 それは、今後、数十年、あるいは人間の時間感覚とはかけ離れた宇宙 時間によって、「疲労の砂」として人間に作用するにちがいない。

  「国破山河在 城春草木深」。杜甫の詩は現実を前提にしたもの だが、日本の現在的状況は、想像力をふまえねばならぬだけに、事は 複雑だ。

  画像は、
東巴谷付近で撮影。昨年、5月13日と同じ花だ。同じ季節に 同じ場所で必ず見られるというのは、くりかえしのようだが、花の 生命力を感じる。

  (注)日本語の表現が気になってたまらない。「原子力発電所」は、 中国語では「核電站」、「放射能漏れ」は中国語では「核泄漏」。 日本語では、「核」という表現を避けている。これらは、「敗戦」 を「終戦」といいかえたと同様、ジョージ・オーウェルが、小説 『1984年』で提示した権力による欺瞞的用語法だ。 (2011.04.23)



■2011年4月8日、 いい人はいるものだ。



個人情報で拡大不可
  授業外のグループ活動で、黒龍潭へ。ところが、着いたとたん に、パンク。いや、パンクではなく、タイヤの一部分に亀裂が走って いるという重傷。
2年半前の11月12日に交換したものだ。

  黒龍潭を散策して、立て札の内容をどう言うのかとか、「しりとり」 とかをしてグループ活動は楽しく終了。

  MTBを購入したGIANT特約店へ、引いて行く。が、あいにく 内装工事中で、閉店。困った……。だが、特約店の元主人が、付近で 庶民食堂を経営していることを思い起こし、気を取り直して、 そこへ向かう。

  奥さんがいて、すぐ連絡。僕の名前も覚えていてくれているのに 感激。まもなく来てくれて、一緒にショップへ。さすがに、業界を 知っているだけに、すぐ手配してくれ、しかも値引きまで……。

  思えば、僕がMTBを購入してからもう、5年弱の年月が経って いる。それなのに、この温かさ。

  時間も遅かったので、MTBはショップに置いてきた。よって、 部屋にはいない。僕にとって、MTBは同志。ガランとした部屋だが、 人の温かさに触れた嬉しさを感じている。。

  なお、今日、サイクルメーターは麗江走行23,000kmを越えた。 (2011.04.08)



■2011年4月7日、 快走・快汗・快食・快眠をつづけている。

  身体だけでなく、頭もいくらかすっきりしてきた。

  そこで、思うのは、統一地方選。
「天罰」発言の主は、原発推進者でもある。 彼にだけは、東京都民は投票すべきではない。 (2011.04.07)



■2011年4月4日、 暑い。


    300mm
  直射日光下、たぶん40℃におよぶだろう。まぶしい太陽、 垂れ落ちる汗。今日もMTBがよく走った。(画像は昨日と同一 地点で、同一時刻に撮影) (2011.04.04)



■2011年4月3日、 黙々とMTBをころがす。


14mmワイドで

   120mmで
  噴き出る汗。汗を流す心地よさ。身体、全開放。 (画像は
A地点より北2kmで、11:10に撮影) (2011.04.03)





■2011年3月27日、 涙は乾いても、心は癒されない。


50mmマクロで15:00に
  亡くなった人を、いったいどう追悼できるのか。
東巴谷付近に、小さなリンドウ たちが花を開いていた。ただただ、彼らをたむけるばかり。

  帰り、涙のような雨。また眼がしらが熱くなった。 (2011.03.27)



■2011年3月22日、 天も鬱々としているのか、このところ曇天が多く、寒い。

  一万におよぶ亡くなった方々に心から哀悼の意を捧げたい。 また、一万を越える行方不明者の方々が一刻も早く見つかるよう 祈る。

  ひさしぶりの太陽を見ながら、MTBで流し、思った。

  まず、原発事故についての楽観的見方が日本では多すぎると いう点。CCTVで、あるいはインターネットでは、現在の 放水作業は根本的解決とはならず、メルトダウン、あるいは、 数十年にわたって放射能災害がつづく可能性があるとの情報がある。 いったいどうなのか。

  つぎに、脱原発は当然のこと。どうするか、という点。大量消費 をなくすことだ。昔、一般家庭では10Aが普通、今は40・50A が普通。電力料金も、使用量が多いほど安くなるという奇妙な体系。 家電も待機電力を要するものが多くなった。身近な無駄をなくすこと が誰でも可能な第一歩ではないか。

  また、ふと思ったのは、避難所のこと。電気水道が未だ通って いないという。ならば、船はどうか。米国の航空母艦が向かった という情報があったが、あれは本来戦争用。人々が住居として住む ために、仮設住宅ができるまで、客船を使うという手がある。 停泊できる港さえあれば、大なら一万人が、小でも数百人が、避難所 以上に快適な生活をすごすことができる。熱い物を食べ、暖かい中、 風呂にも入れる。時折動き、錨泊すれば、放射能の危険も避けられる し、また燃料もそう食わない。

  ……。たいした提案もできない。しかし、今、この事態は、 「核時代の想像力」を問われているのだ。大江健三郎氏がフランス 紙に答えていたが、今、誰もが日常の生活の中から、想像力を働かせ、 声をあげていく必要があるのではないか。特定の人ではない。 ふつうの人、ただの人、ひらの人間。素朴であり真摯な発言こそが、 時代を救えるとするなら、可能なただ一つのものではないか。 (2011.03.22)



■2011年3月15日、 午後、駐日中国大使館は、災害地区の中国公民の帰国を呼びかけた。

  速い対応。理由は、原発事故の危険性と不確実性によるというもの。

  枝野官房長官が、逐一、福島原発について記者会見をし、その内容は ほとんど同時通訳でCCTVで報道されてきた。しかし、「安全」を 強調しすぎている印象がずっとした。

  そもそも素人である枝野氏が、なぜ原発の動向について説明可能 なのか。東電のメッセンジャーボーイになるだけだ。

  原発は、即座に停止すべきだ。安全性を絶対的に確保できぬものを 作ることのおかしさは、子供にでもわかること。

  ところで、「日本、がんばれ!」アモイで仕事をしている卒業生から メールが入った。僕が日本にいて災害に遭っているかもしれないと、 心配してくれたメール。うれしい。

  一方、「天罰」「津波をうまく利用して『我欲』を洗い落とす 必要がある」と語った政治家がいるという。2001年に、 (中国人を指して)「民族的DNA」と述べた方である。

  どちらが、すぐれて人間的かは言うまでもない。あきれた―― と言うより、悲しいことだ。とりわけ東京都民は、災害県の人々に 対して、心からわびなければならない。具体的行動の機会が、来月 ある。(政治家発言は東京新聞ネットで知った。CCTVは、下品 発言と見なしたのか、放送していない) (2011.03.15)



■2011年3月13日、 いたましい。

  今日もほぼCCTVは通常番組枠を破り、「日本大地震」関係特別 番組を放送していた。画面に眼をうばわれ、眼がしらが熱くなる。

  なんと、1万人を越える人々が行方不明だという。

  CCTVでは、多くNHK画面を転用、時には同時通訳で内容を 紹介。報道の立脚点は、一言でいえば、「惻隠の情」。

  それにしても、気になるのは福島原発。「原発は無害」とその 開発を推進してきた人々、特に世論馴らしをすすめた評論家、 コマーシャルでさんざん煽った芸能人は、今、どう説明できるのか。

  あの襲い来る津波のなか、号泣のおたけびすら出せず、津波に さらわれていった人々を思うと、悲しい。だが、原発を推し進めて 来た人々を思うと、怒りを感ずる。 (2011.03.13)



■2011年3月12日、 高空からの撮影画像は残酷すぎる。

  終日、CCTVで、「日本大地震」の特集報道番組を見つづけた。 ゆっくり、津波にのみ込まれていく家々、車。それは、SF映画で 見たことがあるような画像。

  対して、気仙沼市内に津波が押し寄せる画像も見た。これは、 その中にいて、カメラを回している画像。前者が全体を鳥瞰できる 良さをもちながら、そこにいる人々の声は聞こえてこない。が、こちら は、声は報道されずとも、多くの人の、魂の叫びが聞こえてきた。

  そして、昨日、思いも至らないでいた自分が、情けない。

  一瞬にして、失われた、千人を超える命。千の生活が、千の青春 が世の中から消されてしまったのだ。 (2011.03.12)



■2011年3月11日、 こんなことを思った。

  音楽は耳の外から聞こえるはず。あたりまえだ。それが、MP3プレイヤー では、イヤホーンを使わざるをえず、まるで頭の中で響いている感じ。 それではダメだ。第一、耳によくない。なんとかしなくては。

  ――そこで、プレイヤーからの出力を受け入れられる物を探して みた。なんとかなりそうだが、なんともめんどうだ。コネクター が必要となる。

  ……と迷っているうちに、はっと気付いた。DVDプレイヤー にUSB端子があるはず。あった! OK。だが待てよ、昨年入手 した液晶テレビにも、USBコネクタはあったのではないか?  そう。やはりあった。

  これで、TVにMP3プレイヤーをUSBでつなぎ(「つなぐ」と いうより「たらす」イメージ)、バッハもマーラーも聞けるようになった。 TVのスピーカーなので、音はヘッドホンほど良くはないが、 バックグランド音楽としては、十分。

  そうしているうちに、またまた、ひらめきが。USB端子なら、 なにもMP3プレイヤーでなくとも、ただのUSBメモリーでいい のでは? ズバリ、その通りだった。

  便利になったものだ。独立していた電子機器が、USBによって つながり合えるようになった。いわば、「連帯」である。

  ならば、時代に取り残され気味のラジオにも、連帯性を持たせて ほしいものだ。USBで、パソコンとのコミュニケーションという線も 考えられるが、といって、USB端子では、大きすぎる。現在、 記憶メディアとして最も安価なSDカード、あるいは、マイクロSDカード 挿入端子を付け、MP3再生はもちろん、ワンタッチ録音可能にする。 要は簡単であること。そんなラジオ、短波もついていたら、即、 入手したいのだが……。


  *これを書いている途中、大学の外事担当者から「日本で 大地震が起きたというニュース、大丈夫ですか」という電話が入った。 すぐネットへ。おおまかに東京は大丈夫だということだけ確認。

  しかし、「君が代訴訟 教員ら167人処分取り消し」という記事 と同時に、「石原氏『国家の命運支えぬく』4選出馬を表明」という 報道を見た(いずれも「東京新聞」のネット)。

  最近、石原慎太郎都政に好意的な記事が多かった。働きながらも 大学に通えた都立大学をそうではない「首都大学東京」へと変え、 都立の学校に「君が代・日の丸」イデオロギーを強制した張本人は誰か?

  時代錯誤の国家主義者を、今、このきびしい状況下の日本は 必要としていない。それにしても、「出ない」と言っていたのに、 「出る」とは? 主義主張は全く異にする僕だが、「引き際の矜持」 くらいは持っていると思っていた。その矜持すらないとは。 (2011.03.11)



■2011年3月3日、 菜の花が満開。連日の好天に、菜の花も、蜂くんもニッコリ。


  市・南方を走ってきたが、気分は爽快。ただ、一斉に道路工事と街路樹 の植樹が始まっているのが不思議。(画像は、
昨年3月6日より ずっと南の文筆海の北にて、14:22、14mmワイドレンズで) (2011.03.03)



■2011年2月28日、 A地点 付近をMTBで流して帰ってみると、停電。

  現在、辺りが真っ暗になった午後8時。ここ麗江での停電には、 三種類ある。僕のアパートだけ、大学だけ、そして、周辺地域。 今回は、どうやら最後のもののようで、一面の暗黒の中、車の ヘッドライトが異様に動く。

  停電――というと、昔はよくあった。僕は横浜育ちだが、すぐ そばに変電所があって、夏は落雷、他の季節でもいきなり電気が 来なくなったものだ。電力事情がよくなかったのだろう。

  でも、停電は、ひそかに秘密の世界が開かれるような思い出も ある。西の山影だけがほんのり見える8時10分、寝床でなつかしい 扉をひらくことにしよう。(この記事は明日アップします) (2011.02.28)



■2011年2月27日、 食事改善計画を開始。

  とにかく東京の野菜価格の高さにドギモを抜かれてもどって 来たので、野菜、特に青物を食べることにした。食べられなかった トマト、そして青物を探したところ、「芥蘭菜」というものを入手。

  芥蘭菜って、ほうれん草に似ていながら別物。茎も葉もなかなか おいしい。どうやら中華ではよくある野菜で、食べたことがある 気がする。 (2011.02.27)



■2011年2月26日、 朝の雲に目を引かれる。


  09:45

      11:25
  こういった雲は、季節の変わり目に見られるもの。空から、 眼を離せない。(画像はどれも14mmワイドでキャンパスから)

  授業は、来週から始まる。今学期は、文学作品の講読、作文、 そして、「視聴説」。「視聴説」は、ここでは初めて。 (2011.02.26)



■2011年2月25日、 昨日おそく麗江にもどる。


  こちらは、すっかり春の陽気。眼に刺すような日射しがまぶしい。 また、静か。東京には、ビール一杯99円などという店もあり、 のんびりしたようで、精神的には圧迫されていたようだ。帰京した時、 それなりにホッとしたのだが、こちらに戻ってきても、ホッとする。 空が山が、空気が、おいしいからか。

  羽田からもどったのだが、立派な国際空港になった。規模は 小さくとも、トイレは多分世界最高の品質。小国日本が誇るべき ものは、その技術力――という点を惜しみなく発揮していたすばらしい トイレである。

  だが、その免税店のタバコの値段は異常。1カートンで2600円。 以前は1500円だったはず。もし、北京空港へ来るのなら、国際線 到着のところにも免税店があり、そこでは、マイルドセブンなどが、 半分以下の87元で買える。(ただしパッケージ表記は中国語)

  今回、長い待ち時間と搭乗時間で役に立ったのは、MP3プレーヤー。 TranscendのMP330・4GB(2,999円)で、CDが40枚以上入る。 搭乗中は、飛行機のエンジンのため、チャイコフスキーの『悲愴』など 静かな部分のある曲は味わえなかったが、ビートルズナンバーは堪能できた。 (画像は14mmワイドで16:30に
B地点で撮影) (2011.02.25)




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