折節の移りかわり/麗江(2006/08/23〜2007/01/07)

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 ■2007年1月7日、

  玉湖手前2kmから

 同左地点(午後2時)
最高の天気。

 というのは、この3日間、あまり天気はよくなかったからだ。しかし、 今日は朝から一日中、玉龍雪山はそこにあった。

 午後2時、いつもの
玉湖手前2kmの定置点へ。なぜだろう。ここは西風がつよい。MTB を撮ったとたん、倒れてしまった。

 天気の悪かった昨日まで、堪能したのは2002年製作・放映のTVドラマ 『命運的承諾』。中国で仕事をしはじめた青島で目を引いたドラマだ。

 中国でも、以前放映されたTVドラマをDVDにして販売している。 たまたま麗江市街で見つけたショップで、購入したものだ。22回のこの ドラマ、高3生に、のしかかる統一試験(中国語では「高考」)をテーマ にしている。ちなみに、中国では、6月初旬に行われるこの試験に よって、進学する大学がふりわけられている。

 以前書いた先のページ以外に痛感したのは、教師の悩みがそのまま 描かれていること、また、教師間の葛藤、矛盾が正面から描かれている ことだ。

 もう一つ付け加えるとすれば、このドラマはどう見ても、現状の統一 試験(「高考」)を問題のあるものとして捉えていること。大衆ドラマ でありながら、批判的精神が底にある。 (2007.01.07)



 ■2007年1月3日、

清蹊ダムからの玉龍雪山
風がなくて春のような日差し。

 つられて、ちょうどお昼に
清蹊ダムへ。それでも、微風のためか「逆さ雪山」にはもう 一歩。雪山も昨日と同じく、うっすら霞がかかっている感じ。

 普済村を軽く 流して、もどる途中、女性マラソン選手と思われる一団に遭遇。長い脚が 地面をはねる。

 すると、「○分○秒、○秒」と日本語の声。日本人チームだ。ミニバン の停まったあたりが一応のゴールになっているようで、男の監督の声が 対向車線を走っている僕の耳にも響く。

 少し離れて、ぼんやり見ていると、こわそうな監督はミニバンに乗って 行ったので、寄って話しかける。高地トレーニングでこの麗江をしばしば 訪れているとのこと。これまで数回、訓練中のマラソン選手と出会った けれど、それも日本人チームだったのかもしれない。

 「がんばって!」と声をかけて失礼する。「さようなら」と返事して くれた彼女たちは、みな二十歳前後。ひたすら走っているからだろう、どの 顔もひきしまっていた。 (2007.01.03)



 ■2007年1月2日、

 玉湖手前10kmから

     象山

  近くからの象山
今日は快晴。

 午後4時、
玉湖手前10km地点へ。風がありながら、もうひとつ全体的にくっきりしない 感じがする。ちょうど春霞がうっすらかかっているかのよう。

 昨日登った象山は画像の通り、言い得て妙。象さんが鼻を前にたらしてベッタリ蹲っている。

 その頭のてっぺんに亭子があり、お尻の頂にTV塔らしきものがある。 昨日は、このTV塔の向こう側から登った。若い女性の先生たちが歩き ながら歌っていた、その歌がまだ耳の奥に残っている。 (2007.01.02)



 ■2007年1月1日、

 象山から眺める麗江

    西方面

  北(雪山)方面
象山に先生たちと登った。

 象山は、
黒龍潭のすぐ東にある山。麗江のどこを走っていても見える小山で、ずっと気に なっていたのだ。

 黒龍潭から登れば入場料60元也となるのだが、これまでのルート探索の 結果、もっと南側から登っていけば無料で行ける可能性があると推測。

 結果的に、推測は当たって、めでたく頂上の亭子へ。一時間強の登山 だったが、うち20分は道無き急斜面を一気に登攀。「これはとても登れ そうにないな」と半分あきらめかけていたら、「我看路(わたしが、道 探すわ)」と一言、スタスタと先陣を切って行ったのが、チベット族の 英語の先生。シャングリラの育ちとのこと。すごい。

 亭子からは、360度の景観。南西方面(画像・左)には、遠く文筆山と文筆湖、そして手前 の左には古城が。西方面の向こうには垃市海も眺望できる。

 残念ながら、北側、玉龍雪山はごらんのように見えない。しかし、手前 に清蹊ダムが きれいに見える。

 昨年走ったMTBの足跡がなつかしく思えた。 (2007.01.01)



 ■2007年12月29日、

 玉湖手前2kmから
午後4時半、
玉湖手前2kmの定置点へ。

 だが、雲が多く、風もつよい。主峰・扇子陡も見えない。しかし、 見えないからこそ、逢えないからこそ気持は募る。

 草原もすっかり枯れ果てた。 (2006.12.29)



 ■2006年12月23日、

ベランダから(午後3時)
午後、快晴に。

 ここ麗江に来てのMTB走行距離が、2,308kmに達した。計算して みると、2002年8月、中国の地をふみしめてから、合計1万kmを突破した ことになる。

 1万km走ったら、人生考え直そう──と思っていたが、まだまだ 始まったばかり、というのが実感。

 今年から、麗江→シャングリラ→徳欽というルートでチベットへ自転車 で入れるようになったというニュースが飛び交っている。食指が動く。 脚がうづく。 (2006.12.23)



 ■2006年12月22日、

ベランダから(8時5分)

 玉湖手前2kmから
冬至。

 遅い日の出を見守り、午後3時、
玉湖手前2kmの定置点へ。

 寝ころんで、雪山と雲とのハーモニーに見とれていると、MTBが 「おいらも入れて」というので、その仲間にしてあげた。 (2006.12.22)



 ■2006年12月21日、

 ベランダから(4時半)

     日没
玉龍雪山がくっきり見える。

 いつ見ても、なんど見てもいい。一昨日の積雪が目につく。

 明日は冬至。日の出、日没時間ははっきりしない。東も西も山がある ため、正確に把握できないのだ。
普済寺付近に沈む夕日、これは午後6時20分。 (2006.12.21)



 ■2006年12月20日、

 ベランダから(3時)
午後になってやっと雪山がかいま見えた。

 昨日は、午後からどんよりとした雲におおわれ、まるで梅雨のように 雨が降り続いた。今朝までの降雨量はかなりのもの。
13日の雹と合わせれば、 12月の平均降水量3.0mmどころではない。

 雪山にはふもとの玉湖まで積雪。寒い。 (2006.12.20)



 ■2006年12月15日、

紅葉めいた木々(4時半)
快晴。

 買い物へ行くついでに、あの
紅葉めいた木々はどうなったかな、と思いつき、ぶらり寄って みる。

 二週間の間に、やはり木の葉は枯れ落ちている。スカスカになった木々、 それに空もどことなく薄っすら霞がかっていて、雪山もどことなく さびしそうだ。 (2006.12.15)



 ■2006年12月14日、

 ベランダから(8時半)

  同左・10倍ズーム
昨日の雹のおかげか、すみきった好天。

 だが、道には氷が、そして風も冷たい。しかし、その分だけ、玉龍雪山が くっきり見える。

 勇壮にして神聖さを感じるその姿。 (2006.12.14)



 ■2006年12月13日、 珍しいことに雨が降った。

 スコール風のかなり大粒の雨。しかし、雹に変った。

 麗江は、正式には低緯度高原季節風気候に属するという。亜熱帯風の 雨から雹。空模様は、どうも日本的感覚では読めない。 (2006.12.13)



 ■2006年12月12日、

 玉湖手前10kmから
今日も好天。

 午後1時、また
玉湖手前10km地点をぶらり散策。輝く太陽、青い空、広い草原、そして玉龍雪山……。

 最高のぜいたくだ。 (2006.12.12)



 ■2006年12月10日、

 玉湖手前10kmから

その右には甘海子への道が
快晴。雪山にかかる雲がいい。

 午後0時半、
甘海子への道を展望するために玉湖手前10km地点へ。

 雪山の右、つまり北方向に、甘海子はある。右画像の山が低くなっている 部分、その向こう側だ。直線距離なら20kmない。

 料金所を経由せず、山麓の玉湖から左づたいに行くと、その倍くらいありそう。 (2006.12.10)



 ■2006年12月9日、

ベランダから(午前9時)
快晴。

 朝から玉龍雪山に見とれる。一昨日の、東側から見る雪山もよかった。 が、雪山から見て南南東の、このベランダから見る姿も、けっして引け をとることはない。

 今日も、雪山はすぐそこに屹立していた。 (2006.12.09)



 ■2006年12月7日、

  甘海子からの雪山

  その北側の雪山

 『印象・麗江』の開始

『印象・麗江』会場外観
青空が目にしみる。

 空はこんなに青かったのだ、と太陽が昇りはじめた空をぼんやり 見つめていると、下から「『印象・麗江』に行かない?」と声がかかる。 えっ!張藝謀が演出している実景イベント、『印象・麗江』?しかも、 入場料無料、バス代だけでいいという。

 そんな訳で、思いがけなく、北へ行くことができた。あの
料金所を無料で通過、7km北の 甘海子にその「雪山劇場」という大型実景イベント会場がある。

 この『印象・麗江』、玉龍雪山を生に見ながら、大型会場で10の少数民族 出身の500人もの役者が、歌い踊るというもの。内容は、玉龍雪山とナシ族 の歴史を中心に、少数民族の願いを歌い上げている。

 一時間半ほどのプログラム。なによりも、そのダイナミックさに目を 奪われた。画像で冒頭部分を紹介したが、舞台のほんの一部で、とにかく 全部が入りきれない。肉眼でもダメ。真後ろから一匹の馬が駆け出し、 そしていつの間にか、何十匹もの馬が登場、本当の雪山を疾走しているか のように見える。

 このようなイベントを何と呼んだらいいのだろう。演劇、ではない。 歌劇、でもない。しかも、主人公は、そこに聳える玉龍雪山。

 終わって会場を出て見る玉龍雪山。南北約35km、東西約20km──という こともあって、この位置からはとても全部が入りきらない。ここ、甘海子 が、雪山のほぼ東側にあたるのだろう。

 しかし、料金所から距離にしてたった7km、むろんかなりきつい登り だけれども、MTBで行けない場所ではないのだ。 (2006.12.07)



 ■2006年12月6日、

万古楼と雪山(午後1時)

   古城と雪山
快晴、風があって玉龍雪山がすっきり見える。

 しかし、冷たい風ではない。で、古城へ。古城の中から雪山はなかなか 見えない。南側にまわり、雪山を背景にした獅子山・万古楼を撮影しよう とウロウロ。

 やっと見つけたのが、画像左。しかし、それにしてもハデハデの看板群。 古城内部は観光規制があるようだが、ちょっと出ると、そこはどこにでも ある中国の街になってしまう。

 そこで、画像右を探し当てる。しかし、ここは古城の中でも右のはずれ。 新しすぎる建物が古城らしくない。 (2006.12.06)



 ■2006年12月5日、

玉湖手前2kmから(午後2時)

  同左10倍ズーム

    天柱フ天

天柱フ天から見る玉湖村
ずっと快晴。

 雨はいつ降ったのか、思い出せない。
12月の平均降水量は3.0mm

 太陽が出て当然、玉龍雪山が見えて当り前、という気になってしまう ほど。何しに麗江へ来たの?MTBで走るためではなかったっけ?── などと独言。

 ……という思いはともかく、のんびり玉湖手前2kmの定置点へ。ここが主峰・扇子陡に最接近できる箇所。これ以上北へ寄ると、見えなくなってしまうのだ。

 ちょっぴり、うたたねして、9月に行った天柱フ天へ。有料なので躊躇し、それよりもと、ここから見える玉湖村を撮影。

 帰ってきて、画像を見ておどろいた。9月の、「天柱フ天から見る玉湖村」は、緑に おおわれていたのに、今日の同画像では、明らかに晩秋の姿(実際にそう) を呈しているではないか。

 冬まじか、ただ、ここでは太陽が出てさえいれば、冬を感じない。 (2006.12.5)



 ■2006年12月3日、

    文筆海

    玉龍雪山

    文峰寺

    文峰寺大殿
快晴。

 昨日も好天だったが、ボケッとしたので、今日は作戦遂行。
文筆山へ。 この山は海抜3,465mもあるという。その山腹にある文峰寺がめあて。

 「文筆山風景区」ということで、入山料30元。しかし、文筆海、そして、玉龍雪山・ 市中心部が広く眺められる。(雪山の左は、馬鞍山)

 文峰寺は、1733年に建立。チベット四宝法王の麗江来訪に伴って落成、往時には、大殿5院、僧房24院、数百人の僧侶がいたとのこと。現在は、 大殿、ならびに僧房2院。10人以上のラマ僧がいて、現在、新たな仏閣が 建造中。


    雲南桜

 山玉蘭(夜合花)

  圓柏(珍珠柏)
 驚いたのは、これだけ高地にあって(少なく見積もっても2,700m)、 大木がそそりたち、古木が多くあることだ。雲南桜、山玉蘭(夜合花)は 共に樹齢270年、圓柏(珍珠柏)は300年だという。たくさんの栂(つが・ 中国名「鉄杉」)の木も僕をみおろしていた。

 いったい、どんな人間のありようを、木々は見てきたのだろう。 (2006.12.03)



 ■2006年12月1日、

   玉峰寺山門

白沙村近郊からの玉龍雪山
快晴、白沙と玉湖の間にある玉峰寺へ向かう。

 玉峰寺は、
福国寺普済寺・文峰寺・指雲寺と並ぶ麗江五大ラマ寺の一つ、1700年に建立。三百年以上の間、歴代ラマ僧が心をこめて育ててきた椿(中国名「山茶」)で有名。

 『中国の花物語』(飯倉照平著・集英社新書)には、「玉峰寺には、 花の色のちがった二本の株を合体させた『万朶山茶』があります」とある。

 だが、「立春花開、立夏花尽」とのこと。しかも、拝観料あり──なの で、その季節になったら是非たずねることにしようと、山門の前でつぶやき、そして山を下る。

 玉峰寺から白沙村を見下ろすと、湖か池か判別がつかない湖沼が光り 輝いていた。行ってみると、湿地帯の中に雪山からの清流がたまった 小さな湖。水面に映る雪山は鮮明ではないが、ゆったりした気持にさせる ものだった。

 なお、今日、サイクルメーターは、2,000kmをこえた。 (2006.12.01)



 ■2006年11月30日、

  垃市からの雪山

  指雲寺山門

   指雲寺大殿
快晴、垃市(ラシ)へ。

 10月に訪れた
垃市海(ラシ海)の西側をめざす。

 玉龍雪山は、手前の山が邪魔しているが、主峰・扇子陡は見える。 それ以外に、これまで見ることのなかった峰が、その左に見てとれる。 おそらく西側の峰だろう。

 午後3時、ラマ寺・指雲寺にたどりつく。1727年に立相ラマによって建立 されたとのこと。山裾の静かな地に位置、庭園には二・三百年前のイチョウ・エンジュなどの古木がある。

 寺名のいわれが面白い。

 立相のもとの姓は和、麗江・束河の人で、竹製品をなりわいとしていたが、後に福国寺で剃度、僧となる。ある年、チベットの大宝法王が麗江を訪れ、すべての僧侶を呼び、修行の結果を試験した。立相の成績はすぐれ、大宝法王は彼をチベットへ伴い、仏学を勉強させた。

 のち、立相は仏法普及のため麗江にもどり、寺院建設の地を探している 時、ある仙人が、空の彩雲を指差し、「ここに寺を建つべし」と語った。

 そこで、立相は彩雲の下にこの寺を建立、指雲寺と名づけたという。


 あいにく快晴で彩雲を見ることはできなかった。 (2006.11.30)



 ■2006年11月29日、

  玉湖(1時10分)

  同左10倍ズーム

   玉湖村にて
快晴、しかも風がない。玉湖に映る「逆さ雪山」を見る絶好のチャンス!

 だが、北に位置するここは高地。古城が2400mなら、ゆうに2700mはある。 南から風が吹いている。しかも、寒いと体感するほどに。湖に映る雪山は、風に散らされてしまっている。

 玉湖・玉湖村がある「玉水寨」への道は、この1ヵ月ほど補修工事をして いたため、
一月ぶりに来たというのに、残念至極。

 とはいえ、明日がある。帰りに玉湖村を通って、そう思った。 (2006.11.29)



 ■2006年11月28日、

ベランダから(7時59分)

  同左(8時5分)

 紅葉めいた木々(4時)

   (4時半)
昨日に続いて快晴。

 朝、たった6分間、しかし玉龍雪山の美しさが大きく変る時。この 数分間は、やはり神秘の時間。

 しかし、その時間は一番寒い。ダウンジャケットを購入するために 市街へ向かう。
紅葉めいた木々は、いっそう、その度を深めている(同地点での撮影)。 人が寒さに震えているなら、広葉樹もふるえているのだろう。

 シャングリラ大道では、「豚の顔」を背負った女性をみかけた。「えっ」と思って、 たちどまったのだが、その豚の顔は笑っているように見えた。 (2006.11.28)



 ■2006年11月27日、

ベランダから(12時45分)
やっと晴れわたる。4日間、曇天。しかも強い風が続いた。

 「なぜ、麗江にいらっしゃったのですか?」「一年中、春の気候だと 聞いたから。君は?」──きのう、一年生のコンパの中での会話。

 これほど寒いとは、思っていなかった。相手の学生もそのよう。

 しかし、この玉龍雪山がくっきり見えるだけで、その寒さは帳消しにして いい。それに、生ビール、それも黒の生ビールが飲める場所を見つけられた ので、いうことなし。 (2006.11.27)



 ■2006年11月22日、

  玉湖手前2kmから

  左 の 峰 

  主峰・ 扇 子 陡

  右 の 峰  
快晴。

 昨日、雲にかくれてしまっていたので、午後1時45分、
玉湖手前2kmの定置点へ。

 左が全体。そのうち、左の高い峰、主峰・扇子陡、右の高い峰を 10倍ズームで撮影。やはり、雪の部分が増えていることが分かる。 (2006.11.22)



 ■2006年11月21日、

ベランダから(7時50分)

 同右(午前8時5分)

  玉湖手前2kmから
玉龍雪山が、いつもより白い。

 雪が多くなっている!二日間、曇天で雲におおわれ、その中で、雪山は 雪山なりの営みをしていたのだ。

 でも、目の錯覚かもしれない。午後、飛び出し、2時半、
玉湖手前2kmの定置点へ。 残念、雲が主峰・扇子陡を隠している。だが、糸のように白いもの が増え、全体的に白くなっている。

 「おお、寒!」「秋だもの」。今日、すれちがった女学生二人のやりとり。秋──というのが、ミソ。ここ麗江では、太陽が出ると夏のように暑い のだ。よって、「麗江は常春」といわれる。が、問題は、太陽が出ない 時間(特に日の出前)、あるいは、太陽のない日、つまり曇りの日。 そういえば、学生が休み時間、それとなくリップクリームをぬって いた。

 ぼくも、ハンドクリームを購入しなくては。 (2006.11.21)



 ■2006年11月18日、

    料金所

  東巴谷から続く峡谷
今日も一日、快晴。

 玉龍雪山を東側から眺望するシリーズ第3弾。つまり、昨日の、東巴谷 からそのまま2kmほど北上、そこには、
8月31日に訪れた料金所がある。(あの時、雪山は 雲に隠れ、まったく見えなかった)

 この地で仕事をしている場合、半額の60元、という情報は、その後 知ったのだが、やはりお金を出してまで通る気にはなれない。目的は、 あくまで、雪山を東側から眺望することだ。

 東巴谷から続いている峡谷は、下を見れないほど深い。

 で、雪山は、こんな風に広がっている。ズームなしでも、一画面には とても入らない。ならば、と思い、重なる形で、南方面まで、パノラマ風 に撮影。

  ←南 方 面

(パ ノ ラ マ 風 に

重 複 し て 撮 影)

   北 方 面 →
時間は、午後2時15分。扇子陡に寄る雲がなくなるのを待ったが、 結局、はなれないまま。山容は、玉湖から北側探索時に迫る。

 しかし、この料金所の位置は、玉龍雪山から見れば、真東ではなく、 まだ、東南だろう。東、そして北東、また北からは、どんなふうに雪山は 見えるのだろう。

 ……と思いつつ、振り返った一番南側には、あの尖った文筆山が眺望できた。(画像・左) (2006.11.18)



 ■2006年11月17日、

東巴王国の東側から見る雪山

 東巴谷から見る雪山

  東巴谷の白塔
玉龍雪山に雲が寄るだけ、終日、快晴。

 雪山は、近くから見るのもいいが、距離をへだてて眺めるのもいい。 昨日、しみじみそう思った。

 ──距離・角度によって、見えるものが違うのだ。

 そこで、昨日の位置から、東の山沿いに北へ1kmほど行った地点(午後 3時)、それからまた約1kmほど行った地点(3時半)から雪山を眺めて みた。(ただし、今回は、山には登っていない)

 雪山は南北に長いため、南から北へ行けば行くほど、横に長くなる。 そのため、左右に展開、さまざまの峰が見える。が、一方では、統一性 に欠ける、とも思われる。

 3時のもの(左)は、雪山西麓にある
東巴王国からそのままずっと東に精一杯行って、山 にぶつかったあたりから撮影。3時半のものは、東巴谷から。位置的には、 雪山南麓の玉湖村から、同様に東よりの山に進み、ぶつかった所。

 東巴谷からの雪山は、玉湖から北側探索時ほどではないが、雪山からみて東側に、かなり 寄っている。峰の一つ一つが独立性を主張しているのだ。だから、ズーム でなくとも、画面に入りきれない。

 なお、東巴谷は、海抜2,700mの峡谷地帯。ナシ語では、「大きな谷」と いう意味の、ロメイル。生態文化園があるが、有料のため見ていない。 ただ、蛇山のそれほど大きくないが、白塔がある。 (2006.11.17)



 ■2006年11月16日、

 東の山から見る雪山

同3倍ズーム(午後3時)
東の山から玉龍雪山を見た。

 空は薄曇り。が、雪山はすっきり見えている。玉龍雪山の麓は、北から 玉湖、
東巴王国 、白沙、束河、それから普済文筆山へと続いていく。これが、西側。その逆の東には、雪山とは別の低山 が遮っている。つまり、この麗江は、距離からして東西は、数km〜10数km、南北は約20kmの山間にある盆地であるといっていい。

 北へ行くほど、山間の距離は狭まり、ついに玉龍雪山によって、西側 から「盆地」は終わってしまう。画像は、白沙村の東の山からのもの。 雪山真下が玉湖村、左(南方向)に東巴王国が眺望される。一ヶ月前、 山岳道路から見た 白沙村のむこう(つまり東側)にある山を少し登った位置から。 ここは、採石場があるため、山を1kmほど登ったところまで道路(未舗装) がある。高度にして200mほどあるだろうか。

 これまでの玉龍雪山とは、また違った味。 (2006.11.16)



 ■2006年11月15日、

黒龍潭からの雪山(午後1時)
朝からずっと快晴。

 雲ひとつない、というと語弊がある。一番おおいときで、5つほど あった。そのまま夕方まで快晴。

 しかし、風がある。そこで、玉湖ではなく、黒龍潭へ。黒龍潭は、古城 のすぐ北。東に象山という低山をせおい、樹木におおわれているため、 風の影響をうけにくいはずだ。

 水面に照り映える玉龍雪山。だが、右側の木が邪魔して半分しか写って いない。実は、黒龍潭は有料。定番ともいえる絶好の撮影箇所も中にある。 これは、その北側の無料ポイント。

 黒龍潭には、数十箇所の泉があり、清流は毎秒2〜44立方メートル わきあがるという。その清水は、玉河を通り古城へと流れ、東河・中河 ・西河に三つに分流されて古城の情緒をかもしだしている。

 陽射しは、夏のそれだった。 (2006.11.15)



 ■2006年11月14日、

ベランダから(午後3時半)

ベランダから(午後6時)
空の変化に惑わされた一日。

 午前中の快晴と無風状態をにらんで、午後、
玉湖にでかける。風がないと、玉湖に 玉龍雪山が映るというのだ。

 だが、行ってみれば、肝心の雪山は雲におおわれてしまっている。30分 ほど待っても変らず。そこで引き返してみれば、これまた30分後には、 なんとベランダから、すっきり見えるではないか。(左画像・10倍ズーム)

 いやはや、空の変化は人間以上だ。……と思っていると、午後6時には、 なんとも素晴らしい雲のようす。あの山に太陽が沈む、その30分ほど前の 時間。そこには、あの普済寺がある。

 ちなみに、現在、夕日があの山にかかるのが6時半、夕闇につつまれる のが7時。 (2006.11.14)



 ■2006年11月13日、

 玉湖手前10kmから

   同10倍ズーム
二日間、雲が邪魔したが今日は快晴。

 早朝、朝5時には中天にオリオンとシリウスが輝き、それから2時間、 ようやく玉龍雪山が見えはじめる。朝だけがもっている神秘の時間。

 夕刻5時、よく行く
玉湖手前10km地点へ。雪山にはいくらか影がさしている。が、幾度 見ても形容しきれないものを感じる。(2006.11.13)



 ■2006年11月11日、

     白塔

 北の麗江市中心を展望
昨日追いはらわれた雲が、一日、空に復讐。早朝は小雨すら降った。

 午後3時半、MTBに身体をまかせて、南下。古城から真南へ5kmほど いった小高い山(蛇山)にある塔が気になっていたのを、MTBも察知 してくれたかのよう。

 白い塔がポツンと立ち、周囲の仏閣は建造中。どうやら、ここもチベット 仏教寺院のようだ。通りがかった土地の人にお聞きすると、「この白塔は、 以前からここにあったが、文革などで傷み、塔は再建したばかり。山水的に、北にある古城の獅子山との位置関係がいいので、いま、他の建物も建てて いるところ」とのこと。

 なるほど、北には獅子山が(そしてその向こうに晴れていれば玉龍雪山が)見える。西側には、
文筆山も見えるのだが、これは、風水と関係ないのだろうか。 (2006.11.11)



 ■2006年11月10日、

 8時(3倍ズーム)

 8時10分(10倍ズーム)
雲ひとつない朝。

 いつもの最大3倍ズーム機にだけではあきたらず、10倍ズームを 持ち出してきて撮影。どちらも、ベランダから三脚なしでの撮影。5596m の主峰・扇子陡が、いちおう満足できる形でクローズアップできた。

 一片の雲もないまま一日が終わるか、と思っていたら、夕刻、南西側の 高い位置に空をおおいはじめる。しかし、最高の夕焼けで今日は終わった。(2006.11.10)



 ■2006年11月9日、

   午前7時40分

   午前7時50分
思っていたとおり快晴。

 早朝、有明の月が輝く許での玉龍雪山、その時間から、なんども 見つめる。しかし、陽光が雪山にさしはじめ、全体がくっきりと浮き上がる、その時刻のものに心をひかれる。

 たった10分の差。しかし、この差は大きい。どちらがいいのだろう。 どちらも、ベランダからの撮影。


   白沙村にて

   東巴王国

    北岳廟
 午後2時ころ、白沙村へでかける。曇天の2日半、MTBのメンテに 励んだこともあって、快走。雪山に見とれながらの走行ほど快適なものは ない。

 雪山の下に広がる東巴(トンバ)王国、北岳廟、すべて玉龍雪山あって のものだ。 (2006.11.9)



 ■2006年11月8日、

ベランダから(午後4時半)
午後になって、やっと陽光が輝きはじめる。まる2日半も、空は雲に おおわれつくされていたのだ。

 玉龍雪山がたとえ雲を抱こうとも、なつかしい姿をそこに見ることで、 心はかぎりなくおちつく。

 「麗江には、一日に四季がある」という言葉がある。日の出までは、 冷える。しかし、いったん太陽がのぼりはじめると、暖かい、いや、屋外は 暑いほどだ。

 曇りの一日は、寒いまま。しかし、
あの電気ヒーターは一度も使っていない。9月の 異常寒波(と勝手に呼んでいるのだが)のなせる業だったのだろう。

 雲が出ても、雨は少ない。6日に降ったが、おしめり程度。9月・10月の平均降水量に つづいて11月・12月ののそれを記しておくと、それぞれ11.6mm、3.0mmとの こと。

 夜、満天の星。あしたはきっと快晴。 (2006.11.8)



 ■2006年11月5日、

 ベランダから(8時)
けさも雲と光の奏でる協奏曲のなか、玉龍雪山は、魅力たっぷり。

 だが、時間とともに、雲はどんどん増えていくばかり。

 南へ行こう、MTBがささやく。そういえば、昨日、白沙の山から、 南のほうにキラキラ輝く湖が見えた。市中心から西南10kmの文筆山を めざすことにする。
木生白なじみの地でもある。


    文筆山

文筆ダム向うに麗江中心街

文筆ダム手前はゴルフ場
 文筆山は、低山だが、その尖った姿が特徴的。白華村あたりからは 未舗装道路、文筆山を通りすごし、そのまま南へと進むと、文華村、 そして文筆ダムがひろがっている。村の人に聞くと、「文筆海」と 呼んでいた。愛着をこめての呼称だろう。

 文筆海の水面から玉龍雪山をながめたっかたが、あいにく、ダム手前

 白華村の穀物乾燥柱
は、ゴルフ場になっていて、それ以上、入れない。雪山は雲におおわれた ままでもあり、あきらめることにした。

 途中、白華村で穀物乾燥柱をみかけた。じつは、昨日、白沙でも眼に した。「束河に しかない風物詩……」と書いたのは、完全な誤り。使用中である ものは目立たず、使用していないものは目立つということだ。 (2006.11.5)



 ■2006年11月4日、

ベランダから(7時45分)
けさの玉龍雪山は、幻想的。

 白の絵の具を筆につけ、横になでつけた、そのキャンバスの上にぽっかり 浮かんでいるかのよう。

 朝の雪山は目をはなせない。東からの日ざしによって、刻々、微妙に変化 する。ぼんやり赤くそまり、そして、その雄姿をあらわしはじめる。


白沙村付近から(12時半)

     福国寺
 その
玉龍山をかけのぼったという木生白、彼を追跡することにした。

 あの山岳道路の 途中に、確か彼が仏道を修行したという福国寺があったはず。あの時 は、先をいそいで寄らなかった。

 午後、雪山も雲でおおわれはじた中、驚いたのは、一月たらずのうちに、白沙村から福国寺まで、アスファルト舗装がなされていたことだ。 すごい泥濘だったのが、嘘のよう。

 福国寺も、チベット仏教の寺院だった。しかし、数日前に偶然たずねた普済寺とは違って、 荒れはてた家屋をにわかづくりに寺のかたちにした印象。それでも、 画像左の建物の二階には本堂があり、線香3本をわざわざ供えさせて くれた。

 ラマ僧とは見えない、中年の男性。この寺を管理されている方かもしれ ない。しかも、ミツバチの巣のもてなし。これは、どうみても巣そのもの。 でも、そのまま口に入れると、とても甘くおいしい。ついつい、2口、 3口……。

 こちらの漢語はわかるようだが、どうも彼の言葉は聞き取れず、その 好意は十分わかりながらも、失礼することになってしまった。

 しかし、木生白がここで仏道を修行したということは、理解できた。 あの玉龍雪山が、すぐそこに、たくましく屹立しているのだから。 (2006.11.4)



 ■2006年11月3日、

   束河の屋根

   古城の屋根
快晴。だが、玉龍雪山は終日、姿をみせない。

 風もなくMTBで走っていると、暑いくらい。TシャツでもOK。ちなみに、玉龍雪山が北にそびえているため、北風はない。南風ばかり。

 今日、ひとつ疑問がとけた。二つの画像は、以前のもの。このナシ族の 屋根についている装飾が何なのか、わからないままだった。

 答えは「垂魚」。魚の垂れた姿を図案化したものだという。

 
先月購入した『ナシ族史』(四川民族出版社1999年刊)に、そういう説明がある。だが、 かんじんの、なぜ、については書かれていない。 (2006.11.3)



 ■2006年11月2日、

 別荘地からの玉龍雪山

   別荘地内部
丸一日曇天だった昨日の雲が朝方、残る。が、9時以降は快晴。

 たった一日だけれど、雪山の片鱗すら見られなかったため、雲に おおわれていても、雪山の姿は、なつかしい。

 画像は、
官房酒店の別荘。別荘のつくりは、ナシ族の伝統に倣っている。観光地ゆえの 商魂、とレッテルをはるのは簡単。しかし、その時、欠けてしまうのは、 漢民族の文化摂取能力への目配りだ。 (2006.11.2)



 ■2006年10月31日、

 普済村からの玉龍雪山
うろこ雲が、天空の半分をきれいにおおう朝から始まる。

 午後になり、筋雲と合体。どちらも秋の雲。ずっとずっと高い位置に 見える。ひさしぶりに午後がまるまるフリーになり、ベランダからいつも 見ている西側の、といっても南西よりの普済村をMTB散策。

 この位置では、ぎりぎりにしか、玉龍雪山は展望できない。しかも雲に おおわれてしまっている。牛二頭での耕作風景は、はじめて。見るこちら は、のんびりした気分になるが、牛をあやつる男の人の額には汗がひかって いた。

 村に入り、梨の木に見とれていると、通りかかったナシ族の女性から 「うちにもあるから食べにおいで」と誘われる。こんな機会はめったに ないので、行ってみると、住居は、
「三坊一照壁」。ここでは、「三坊」の一坊に、 とうもろこしが干されていた。

 直径10cmもある梨をいただくと、すぐ裏の山にお寺があるという。 即、決断。山をテクテク、これはベランダから見えていたあの山だろう と思いながら。


   普済寺外観

角度をかえて、普済寺外観

寺のなかにあるたくましい木
 そしてあったのは、なんとチベット仏教(ラマ教)の寺院、普済寺。 1771年に建立されたとのこと。しかし、まったくの逆光で、どうにも こうにもしっかり写せない。

 中に入ると、これはもう何世紀も経たろうと思われる樹木があり、そして 大殿には若いラマ僧が控えていて案内してくれる。どう見ても10歳代。 精悍な体躯に光る眼。残念ながら、大殿は撮影禁止。しかし、はじめて 体験する川口慧海の、チベットの雰囲気。


むこうは市中心、手前が普済村
 「お茶を飲んでいきませんか」とそのラマ僧がさそってくれる。 しかし、「時間が……。ありがとう」と断ってしまった自分。聡明そうな ラマ僧だった。なぜ、そういう時、受け入れられないのだろう。 遅くなってもかまわないのに。──と思いながら山を下る。

 向こうに市中心街が(右つまり南)、手前に普済村(といっても小さい)、そしてお墓が見える。心残りばかり。ここで入手した情報にも、普済寺 というチベット仏教寺院を見たことはなかったというのに。 (2006.10.31)



 ■2006年10月30日、

清蹊ダムからの玉龍雪山
朝から夕方まで、快晴。

 雪山には水があうのでは、と思い、仕事を終えた午後5時、清蹊ダム から撮影。このダムは、古城のすぐ北に位置する。残念ながら、この時間 には、雪山に雲がなびきはじめていた。

 空よりも青い水面にひきこまれそう。 (2006.10.30)



 ■2006年10月29日、

   雪山と玉湖

   左のズーム

   玉湖の北にて

   左のズーム
朝から快晴。

 
先週の玉湖は、雪山が見えなかった。「今しかない!」とMTBが走る。昨日の鬱屈を はらすように。

 山は不思議。左の峰のほうが高く見えるが主峰・扇子陡は右の まっ白な峰。玉龍雪山が見えるかどうかで玉湖のかがやきも違う。 木生白が玉龍山へ 駆けのぼったのは玉湖なのかも、と思えてくる。

 これまではいつも、西数百mにある玉湖村を通って、もどることになる のだが、なんとか、もっと北側へ行けないものか、と道を探索。北側探索 はこれまでにも試みた。だが、ルートを見つけることはできなかった。120元はらって玉龍雪山風景名勝区に入る以外の道が必ずあるはずだ。土地の、ナシ族の人々が通る道が。

 玉湖から北へむかう山道をたどる。雲が、雪山と協奏曲を奏でている かのような空。牛がゆったり、そして休みなく草を食む。


  ほぼ東側からの雪山

   左のズーム
 さいわい、羊を放牧している人に出会い、聞いてみると、この山道 (未舗装)をたどっていけば、北へぬけられるという。MTBはニッコリ、ぼくもニッコリ。もっと行きたかった北方面への確実なてがかりがつかめたのだ。

 そして、北へのぼりつめた時の画像が、左の二つ。雪山のイメージが、 いつも見ている南がわからとはずいぶん違う。


     海棠?
 帰途、時速30kmで突っ走っていると、一瞬、目に入るものがある。 「赤い実」、海棠ではないか。

 食べてみる。う〜ん、リンゴというより、柿の味。酸っぱ味はなく、 甘さだけ。「海棠」ではないようだ。

 ……今日は、日暮れまで一日快晴。ふとんだけでなく、シーツも枕もにっこり。 (2006.10.29)



 ■2006年10月28日、

 朝日を浴びる玉龍雪山
背に雲を負いながらも、7時半、玉龍雪山は朝日に姿をくっきり現す。

 が、今日は、薄雲が高い位置にかかり、雪山は見えても背景に高い雲。 これまでのように、たわむれるのではなく高いところから見下ろす雲に なっている。

 やはり、季節の移行時期にあるようだ。

 雲量90%。夕刻になってほぼ快晴になった。 (2006.10.28)



 ■2006年10月27日、

  玉湖手前2kmから

  ズームアップ
玉龍雪山は、朝は雲におおわれていたが、時間とともにだんだん姿を 現しはじめる。

 これは、昨日とおなじだが、以前とは逆。どうやら、天候全体が変わり つつあるようだ。いったいどう推移していくのだろう。

 午後5時、
18日の地点にて撮影。この地点は、北側に雪山、玉湖がひろがるだけで なく、西側の山を目でおえば、南へ白沙、束河、そして麗江市中心 までもが、広くみわたせる好地点。 (2006.10.27)



 ■2006年10月26日、

  束河と大学の間から

 布団のむこうに雪山が
午後になって、はりついていた雲が徐々にとれていく、という珍しい天気 だった。

 午後3時、でかけてみると、玉龍雪山の下に紅葉めいた木々が見える。 この地でも、紅葉するのだろうか。そういえば、
昨日の山におかれた牛クンのあたりにも、 ポツリポツリそんな木が見えるのだが。

 乾季突入いらい、布団は、すこぶるきげんがいい。連日、日がな一日、 玉龍雪山をながめながら、太陽をあびている。ぜいたくな布団である。 (2006.10.26)



 ■2006年10月25日、

 束河村からの玉龍雪山

 穀物を乾燥させる柱

   村を裏山から

  村を裏山から(牛)
朝から雲量50%ほどで推移。雪山はずっと雲がかくそうとしていた。

 しかし、玉龍雪山は平面的ではない。多くの峰がニョキニョキと自己 主張している。ちょっと角度のちがう束河から見て、しみじみそう 思った。だから、飽きないのだ。

 
前にも紹介した 「穀物乾燥柱」は、束河にしかない風物詩なのかもしれない。古城は もちろん、白沙でも玉湖でもみかけない。それが、穀物を干すものである、 と知らなければ、古代遺跡の雰囲気すら感じさせる。

 裏山(西側に山を背負っている)の途中までのぼってみた。石蓮寺からの束河村よりもっと 広く束河村を、その屋根を、ながめたかったからだ。古城も、束河も、 屋根が魅力の一つとなっている。ずっとつづく瓦屋根を見下ろす魅力、 それは生活を離れて生活にあこがれるから生まれてくるものなのか。

 山の中腹に、牛がつながれていた(画像・一番右)。身動きできない のは、嫌だけど、毎日こうやって世間をみおろす気分はどうなのだろう。 (2006.10.25)



 ■2006年10月24日、

ベランダから(午前8時半)

   白沙村で @

      A

      B
今日も快晴から始まる。

 気になっていることがあって、白沙村に行く。
三日前に「玉湖龍女」伝説を紹介したが、ある本 では、「白沙」のいわれをこう記しているからだ。

 「現在の白沙は、ナシ語ではボシといい、原意は、伯人が死んだ地という 意味である。」つまり、「伯」部族がナシ王に惨敗したその場所を、白沙と 名づけたというのだ。

 「白沙」という村名からイメージされるのは、もしかすると金や銀が まざっているかも知れないような、キラキラした砂だ。それが、「伯死」 からきた名前だというのは、なんとも腑に落ちない。

 だれでもいい、白沙の人をつかまえて本当はどうなのか、聞いてみよう。 そんな意気込みで乗り込んだものの、誰にたずねたらいいのか、観光案内所 があるわけもなく、白沙村をウロウロして、引き返すほかなかった。

 ドンと構えている玉龍雪山がまぶしい。 (2006.10.24)



 ■2006年10月23日、

ベランダから(午前7時45分)

麗江中心街の北2kmから
雲ひとつない晴天から一日は始まった。

 13日に乾季に入り、それからずっと好天つづきだった。ところが、この 3日間、曇ることが多かったのだ。それが、この快晴。

 玉龍雪山の下に雲が生まれ、そして徐々に山頂にのぼっていき、さまざまに戯れている様子が、おもしろい。右画像は、10時半のもの。もう、雲は 雪山を隠そうとしている。下に見える住居は、ナシ族に倣って建てられた 高級住宅地。そろって、太陽温水器を屋根に置いている。

 この後、雲は山頂にだけ笠のようにかかって、一日は終わった。 (2006.10.23)



 ■2006年10月22日、

 玉龍雪山(午前9時)

 @玉湖(午後2時)

A玉湖に植えられた樹木
朝9時、ベランダから玉龍雪山は、ながめられた。(画像・右)

 だが、その後ずっと雲におおわれてしまう。晴れ間もありながら、雲が 全天をおおってしまう時もあるという一日。天気もダイナミックだ。 「雲量○%」と形容できない。

 しかし、
昨日の玉湖、全体もそうだが、かんじんの「ルジュ(慮朱)と呼ばれる大木」の 画像がはっきりしていないので、再挑戦。左の画像@は昨日と同位置、 Aは位置も角度も変えて撮影した。

 紹介した「玉湖龍女」伝説の「ルジュ(慮朱はナシ語を音訳して漢語表記 したと思われる)」のイメージとはずいぶん違うかぼそい木が一本、石で つくった島の上に、ちょこんと植えられている。

 これは、2004年3月にナシ族のお年寄りたちによって植えられた海棠だ という。そもそも、「玉湖龍女」伝説には、さまざまの変形があって、 ナシ王の方が侵略をたくらんでいたとか、皇女自身が麗江攻撃を誘発した、 とか、メインストーリーにかかわるものもあり、また、死後に生えてきた 木は、海棠であるというものもある。

 「海棠」は、『中国の花物語』(飯倉照平・集英社新書)によれば、 「秋になって、直径1cmほどの小さな実」をつけるリンゴの仲間だという。

 そういえば、山岳道路を登った時に、ナシ族の少年が小さな赤い実がたくさんついた枝を もっていて、「それ、何?」と聞くと、「食べてみて」とくれた。酸っぱい中に、ほんのり甘さがあった。それが、海棠で、海棠なら、きっと このあたりによくある樹木なのだろう。

 ナシ族の古楽の『白沙細楽』、『公主(皇女)哭』、『阿麗麗金排』 などにこの「玉湖龍女」伝説が歌われているという。
(2006.10.22)



 ■2006年10月21日、

  玉湖(午後3時半)

  ズームアップ
玉湖をたずねたい、と思いながらも、昨日は平均雲量90%で断念。 今日は、午前中から雲量50%ほどで推移、しかし、しびれをきらして、 でかける。

 だが、雲量は増すばかり。ともかく、
「緑草」が生えているかどうか、確認。はえては いない。ということは、木生白は、まだ玉龍山から降りてこられないで いることになる。

 ところで、この玉湖にも、伝説がある。有名な「玉湖龍女」は、以下の ようなもの。伝説中の「ルジュ(慮朱)と呼ばれる大木」めいたものが、 ズームアップ画像で見ることができる。

 いつのことでしたでしょうか、ナシ王の皇女が遠くにある「伯」部族の 王子に嫁いでいた時のことでした。王子はナシ王の豊かな領地を奪い とろうとたくらんでいましたが、夫を深く愛していた皇女は、夫に したがい、その計画を父王にもらすことはしませんでした。

 しかし、「伯」部族の計画は、ナシ王が遣わした特使に察知され、 ナシ王は、玉龍雪山山麓の黒白水峡谷と白沙に伏兵をおきました。 そのため、麗江に攻めこんだ「伯」部族の兵馬はすべてこっぱみじんに されてしまいました。王子は戦死し、軍に随行した皇女も父王によって 捕らわれの身となってしまったのです。

 皇女は、玉湖のあずまやに監禁され、毎日、炒め肉とご飯だけで、水は 一滴もあたえられません。夫を助け、父に逆らった罪を「渇死」によって 償わさせられることになったのです。

 ところが、皇女は夜更けに、あずまやから長い髪を湖に垂らして湖の水を こっそり飲んでいました。ですから、いくにち経ってもそのつやつやしい 姿はかわりません。のち、その秘密は発覚し、ナシ王は彼女の髪を剃り 落とさせてしまいました。まもなく、皇女は、渇きのため死んでしまった のです。

 しばらくすると、湖には、「ルジュ(慮朱)」と呼ばれる大木が生えました。 その千も万もの枝がみな水面に垂れている様子は、まるで生前の皇女が 水をほしがっているようで悲しみを誘うものでした。空気のすみきった月 の輝く夜、あるいは、風や雪がふりしきる夜には、湖のほとりに皇女の むせび泣きがかすかに聞こえるということです。……
(2006.10.21)



 ■2006年10月19日、

キャンパスから(午前9時)

  ズームアップ
好天。すみきった空気の中、キャンパスからワンショット。

 ところで、きのう紹介した木生白、西南に文筆山があり、古城が大きな 硯にみたてられることから、古城を「大硯」と名づけたその人。雪山を 見あげると、なるほど、虎の足跡ともいえるものが見えなくもない。

 彼は、生前に一言のこして行ったという。「玉湖に緑草のはえたその時、わたしはかならず玉龍山から降りてくる」と。

 
ぼくの見た玉湖は澄み切っていて、緑草などはえていなかった気がする。

 なお、今日、サイクルメーターは、1,000kmをこえた。 (2006.10.19)



 ■2006年10月18日、

 玉湖手前2kmから

  ズームアップ
好天だが、雪山の頂上に少し雲が浮遊する一日。

 午後4時、
13日 の地点にて撮影。

 玉龍雪山が姿を現しはじめたので、関する伝説を折にふれ紹介しようと 思う。はじめは、雪山の峰のうち右の一番低い所にあるという「仙迹崖」に まつわる伝説。

 明代の万暦・天啓年間に麗江の土司だった木生白は、ナシ族の歴史で 有名な人である。36歳になると地位を息子に譲り、芝山の福国寺で仏道に 入ったという。のち、俗世間に嫌気がさして、一人、雪山にこもって しまう。長い時の間に、飛禽走獣と知己になり、その言葉もわかるように なった。

 ある日、彼らと共にこの巨大な崖で楽しみをつくしたのち、赤い虎に またがると、一気に玉龍山へと駆けのぼった。雲霧の中に消えた彼の行方 を知るものはいない。ただ、崖には、虎の足跡がはっきり残っているので、『仙迹崖』と名づけられ、ナシ族には、木生白は玉龍山の神霊になったと いいつたえられているだけである。……


 ──以上、2冊の本からまとめたもの。「赤い虎」ではなく「白い駿馬」という説も、また、「玉龍山へ駆けのぼった」のは、「仙迹崖」からでは なく、「玉湖」からだという説もある。

 仙迹崖は、玉湖村から3時間で行けるとのこと。 (2006.10.18)



 ■2006年10月17日、 好天の一日。陽射しが強い。だが、9時以降、玉龍雪山は頂上に雲を抱いた まま。

 ふと、この麗江は航空画像ではどう見えるのか、と思い、Googleマップ を開く。
画面中央に麗江中心、西に大きく湾曲して流れる金沙江、北に玉龍雪山が広く見わたせる。

 ズームアップしてみよう。麗江中心街である。中央南北に走る道路はシャングリラ大道。西の湖がラシ海、かなり大きい。東に見える貯水湖は、団山ダム

 そのままスケールを北へずらす。白沙村が見え、そのまた北には、玉湖村が、北の玉龍雪山とともに鳥瞰される。白沙村の西に あるのは、地図によると「文海」。あの山岳道路の西側には、湖があったのだ。

 玉龍雪山は、南北に長い。僕が見ているのは、南側のほんの一端でしか ないことになる。 (2006.10.17)



 ■2006年10月16日、

 シャングリラ大道より

  ズームアップ
今日も快晴。朝から雪山と対面。

 しかし、同じベランダからの画像ばかりでは芸がないと思い立ち、仕事を 終えた午後5時、シャングリラ大道(香格里垃大道)から撮影。

 といっても、この位置からは
すでに掲載済み。しかし、今後はできるだけ多様な位置からの 玉龍雪山をお送りしたいと思う。

 ところで、このシャングリラ大道、地図によっては(今年発行のもの でも)「雪山中路」となっているものもある。2002年、ここから北に 200kmの中甸が『失われた地平線』にあやかってシャングリラと改名した、 その名を借用している。観光地ゆえの、商魂か。

 画像右の大きなビルは、5つ星ホテル・官房酒店。麗江中心街で一番 ノッポで格好の目印。道路を走る車には、大型観光バス(最新のもある) や、普通の車・タクシーなど。この地独特なのは、ミニ・バンが多いこと。 大型路線バスがカバーしきれない地域への生活バスとして、また、 チャーター車として、こまわりを発揮している。 (2006.10.16)



 ■2006年10月15日、

     8時

     9時

     10時

     11時
 朝から、玉龍雪山があざやかに見える。やはり、本格的な乾季の到来か。

 ベランダから、8時から11時まで一時間おきに撮ってみた。徐々に雲が 発生していく。

 また、陽光の射す角度と強度により微妙な色彩のちがいがあって、 ずっと見ていてもあきることはない。


 玉湖手前10kmから

  左のズームアップ
 午後3時、昨日と同じ玉湖手前10km地点あたりまで出かけ、撮影。雲がおおく なったといっても、戯れ程度。むしろ雪山のほうが、「おいおい、まとう ものがなくなって、はずかしいじゃないか。それに、氷河が溶けちゃうと いけないから、おおっておくれ」とでも言っているかのよう。

 なんともすばらしい景色。しかし、牛諸君は、そんな雪山には目もくれず、ムシャムシャむしゃむしゃ。


    束河村@

     同A
 ひさしぶりに、束河村をのぞく。石畳が足に心地よい。昨日の癖か、 今日も高いところから、束河古鎮全体を鳥瞰してみたくなった。

 と、思って行ったのが、石蓮寺。寺が建立されたのは一昨年ということで、寺自体見るものはない。だが、比較的高台にあるので、一応の景観を 見通せる。

 「雲量10%未満」の一日。 (2006.10.15)



 ■2006年10月14日、

 ベランダから(7時半)

 玉湖手前10kmから

  左のズームアップ
朝、玉龍雪山が全貌をあらわす。

 玉湖手前10km地点へ行き、昨日と同じ地点から撮影(8時10分)。あの氷河・ 雪渓部分を雲がかくし、見えないことが多い。

 空の雰囲気がこれまでと違う。乾季をむかえたのだろうか。どうも、 昨日あたりから空がひときわ青くなっているように思う。


  白沙村西の山

  朝8時40分の白沙村
 すぐ北に、白沙村がある。ひさしぶりに寄ったら、できれば、 白沙の西側にある山に行ってみたら。そうMTBがつぶやく。

 村は、玉龍雪山系と思われる低山のすそに位置している。その低い 山の頂上付近を山岳道路が横切っている。(画像・左)あそから、雪山に アプローチできるのでは。あるいは、西側へ抜けて、
垃市海(ラシ海)方面へ通じるルートがあるのではないか。

 部屋のベランダからも見えるあの山岳道路、いつも気になっていたのだ。 朝の白沙村を南側から通り、山際の道をたどっていくと、運良くあの道路に 通じているようだ。

 未舗装の道を歩くこと、3時間。ようやく、たどりついた。「どこに 行くの?」すれちがったナシ族の人が親切にたずねてくれる。「玉龍雪山 を見たいと思って」「雪山に行くなら、この道ではダメ。下を通って、 あの玉湖から登るのさ」「じゃ、この道はどこに通じているの?」 「むこう側の村にさ」「垃市」とは言わなかった。どうやら、他の ナシ族の村が山の上にあるようだ。


  下にひろがる白沙村

はるか向こうに市中心が
 空腹、それにギラギラ照りつける夏のような太陽。しかし、下から見える山岳道路の北端まで登りつめ、一服。南には、獅子山・麗江の中心街が、北には玉湖村が、そして真下には白沙村が一望できる。

 玉湖村でも海抜2,700mあるという。ならば、ここは、3,000mでもおかしく ない。中天では半月になった月が微笑んでいた。 (2006.10.14)



 ■2006年10月13日、

@玉湖手前10kmから

 A左のズームアップ

 B玉湖手前2kmから

 C左のズームアップ
補講を終えた午後3時、なんと空は「雲量30%」、まばゆい太陽が輝いて いるではないか。走らないわけにはいかない。

 しかし、雲は北へ向かうにつれ増加の傾向にあるよう。こりゃまずい、 ただでさえ雲をかぶっている玉龍雪山が、姿を隠そうとしている。と、 危惧し、3kmほど走って
9月19日と同じ地点で撮ったのが@、その3倍ズームがA。 玉湖村が下に広がっている。(午後3時半)

 それから7kmほど行き、玉湖村手前2kmあたりの地点から画像がB、そしてズームがC。(午後4時) 北へもう2kmほど行って撮影した のが、昨日のもので、共に見ていただければ、感じがよくつかめると思う。

 こうして、玉龍雪山を見ながら走ると、雪山は刻々と変化し、その姿を 定義されたくないと思っているかのようだ。対象の把握、定義、あるいは 断定、そして形容、それらは全て認識する側の主体性を問われるだけに簡単ではない。

 だが、戦後最極右 の首相がうまれたという断定は、山を見る人間の主観とは違って、 客観的資料が豊富であるだけにずっと容易に下せるものだ、と思う。 (2006.10.13)



 ■2006年10月12日、

 玉湖村より北1kmから

  ズームアップ
三日間、ずっと曇りと雨がつづいた。しかし、今日は朝から青空。午後、 北へ向かう。

 玉湖村や
玉湖 よりもっと北側から玉龍雪山を撮るのが目的。

 だが、もともと雲がかかっていた雪山は、近寄るほどに姿をかくそうと する。午後3時半、玉湖村より北1kmほどの所からの画像が左。

 7月・8月の平均降水量につづいて9月・10月のそれを記しておくと、それぞれ150mm、 73mmだという。そろそろ雨季から乾季へ変わる時期。 (2006.10.12)



 ■2006年10月8日、

ベランダからの玉龍雪山
陽光がふりそそぐ一日。

 が、玉龍雪山が見えたのは午前8時からの30分だけ。刻々移りかわる 雲をみていると、あきることはない。

 雪山に関する伝説はさまざまあるようだ。中でも、金沙江と玉龍雪山 のエピソードがおもしろかった。でも、金沙江についてこのページでまだ 触れていないので、その時に紹介しようと思う。 (2006.10.8)



 ■2006年10月7日、

 ラシ海@(左・南方面)

ラシ海A(中央・西方面)

 ラシ海B(右・北方面)
垃市海(ラシ海)がこんなに近いとは思わなかった。キャンパスから たったの10km。

 それも、
西側の山から中心街を見下ろしたい気持が抜け道を見つけださせたからといえる。

 ひさしぶりの青空、向こうに垃市海(ラシ海)が広がる。 たった一山越しただけで、西にはこんな風景が待っているとは……。観音峡にならってパノラマ撮影。

 かなり広い。「海」というのは、その広さから名づけたのだろう。 玉龍雪山は、かくも美しい牧草地と湿地と湖をもたらしたのだ、と感嘆。 また、なぜにナシ族は美しい自然のある場所ばかりに住んでいるのか、と も思う。


 西湖村とラシ海遠景

  丘から見た西湖村
 湖を一周できるのだろうか、とMTBは即、北周りで走り出す。初めて 見かける水牛を尻目に、美泉村を通りぬけ、ラシ海北西にある西湖村へ。

 村の入口には、「美国楽施会援助項目」と題された石碑が立っている。 アメリカのライオンズクラブ(あるいは類する団体?)が、72戸・ 327人のこの小さな村に河川流域管理の援助をしたという内容。 「婦女学校を設立、女性の参加」も条件とのこと。

 西湖村の奥へと進むが、いきどまり。どうやらラシ海を一周できるよう にはなっていないようだ。やむなく引き返す途中、水牛を引いた10歳 ちょっとの少女と目が合う。ほんのちょっと前に追い越したのを覚えて くれていたよう。精悍な感じ、目の大きい子。


ラシ海北の山に見える村
 ラシ海を今度は右回りに戻りながら、どうにも気になるのが、北方向の 山の上にある村だ。どうみても最低でも、2700mの高地。そこを耕作しているのだ。手持ちの地図では均良、南尭といった地名を見出せる。だが、 どうやったら行けるのか?あそこから、この垃市海(ラシ海)は どう見えるだろうか?玉龍雪山は見えるのか?

 走るたびに課題が出てくる。 (2006.10.7)



 ■2006年10月6日、

 ゆっくり折れ曲がる路

 入りこんでみたい路

 眼をみはる家の作り

あっちの家はみっちゃんち?
古城を半日歩く。

 困るのは、撮影したくなる所がおおすぎること。前を見ても、後を ふりかえっても、一枚の絵になる。家の作りはもちろん、上り下りの ある路が縦横にまがりくねり、そして、路地が寄り道を誘う。それらが 複合して、残しておきたい絵として人の心をかりたてるのか。

 設計図があって作られたものではない。必要におうじて、継ぎ足し つぎたしされてきたのが、この茶馬古道。「効率」ではない大切なもの がここにはある。


   朝ごはんの後

  ここも古城の中

  前の小川は「西河」
 むろん、観光客は多い。しかし、いやなら避けて横の路に入りこめば いいだけのことだ。そうして歩くといつのまにか、生活の臭いに触れる ことになる。ここは、観光地でありながら、生活の場そのものなのだ。

 もし、生活の場でなくなってしまい、土産屋がただ並ぶだけだった としたら、その時、古城は命を失ってしまうだろう。そんなことを思って いるうちに、
前に来たとき閉まっていた方国瑜故居にたどりついた。


  方国瑜故居にて
 門をくぐると、「方国瑜自述治学経歴」という石碑がある。1980年 に口述されたもの。この地でナシ族として生まれた彼は、ナシ語から漢語を 苦労して学び、北京師範大学を経て、1933年、北京大学研究所を卒業、 劉半農所長から故郷へもどりナシ族象形文字を研究するよう励まされ、 以後、雲南の民族・歴史学研究の道に入ることになったという。 『ナシ象形文字譜』脱稿後には、章炳麟(太炎)先生に教えを乞い、 1936年からずっと雲南大学歴史系で教鞭をとってきた由。

 静かなたたずまいの故居には、画像のような彫像もあり、業績が掲げられ ていた。生涯に、400万字にも及ぶ著作を残したという。

 故居を後にして、古城そばにある新華書店へ。数冊の本を購入。その うちの一冊、『ナシ族史』(四川民族出版社1999年刊)をめくってみると、 方国瑜先生の名前は、第一人者として掲載されていた。 (2006.10.6)



 ■2006年10月5日、

  山また山が続く

  団山ダムと村落

東の山から見る麗江中心街
キムチがおいしい!

 「延辺冷麺」の文字にひかれて入った店。冷麺をたのんだだけなのに、 白菜キムチ・大根キムチ、それにピーナッツまでもり沢山。喉にカッ ときて、脳味噌がピリッ。

 思えば今日はずいぶん歩いた。朝はやく出ようとすると、前のタイヤが パンク。細い1.5cmほどの針金が悪さしたのだ。未舗装向けにやや 空気圧を低くしていたことが原因のようだ。

 昨日は南、ならば「今日は東だ」という気持はそれでも萎えずに、 ひきずりひきずり7km。これも、MTBと歩む人生、覚悟はある。

 そこまではよかった。しかし、問題はそれから。パンク修理を終え、 市街地から東へ進むと、すぐ道は二つに分かれる。摩梭人(モソ人:ナシ族の支系)の住む瀘沽湖へつながる道と、南西100kmの永勝へと向かう 道。

 走婚(通い婚)をいまなお残すという摩梭人には、
4年前、たいへん 興味をもった。しかし、今日、行くわけにはいかない。220km、 車でも8時間かかるという。なら永勝方面がいい。その途中にある龍山まで なら、地図には18kmとある。手頃ではないか。

 だが、それは甘かった。南方面のように、開けた中を道路が一直線に 南下するのではない。すぐに登りの開始だ。ギアを入れかえエッチラ・ オッチラ。汗がふきだす、足がいたむ。おまけにこの道路、地方へ の幹線道路らしく、ひっきりなしにトラックが追い抜いて行く。すごい 排ガス。

 ということで、歩き出すことになる。テクテク・テクテク。「あそこに 見える峰までは行ってみよう、そうすれば、きっと山の向こう側が 見下ろせるはずだ」と思いつつ。

 しかし、その峰をいくつ越えても、次々と前に山がたちはだかり、 まるで、たぶらかされているよう。昼ごはんの時間だという、いい口実 も頭に浮かんで、引き返すことにした。その時、見えた向こうの峰が画像 ・左。一気に下ってくる途中の画像が、中央と右。

 どうやら、瀘沽湖方面への道をとれば、谷間の村落を見ながら走れた ようだ。それにしても、今日は朝から、15kmは優に歩いたことになる。

 ……冷たく熱いキムチが脳味噌から降りてくると、冷麺が運ばれてきた。 スキッとした味。これもおいしかった。 (2006.10.5)



 ■2006年10月4日、

  観音峡展望@

     同A

     同B
観音峡へ、行って来た。

 観音峡は、麗江中心から麗江空港・大理方面へ南に20kmほど行った ところにある。麗江市街地からは、大麗1級道路を進むと、道は一番低山 の箇所をぬけることになる。料金所があり、山を登り、そして一気に下る。 すると南方面が眼下に広がる。

 すばらしい景観。パノラマ風に、少しずつ重なるようにして撮影。@の 左向こうが麗江空港へと通じ、ABはその右側、つまり東方面となる。

 整った田圃、豊かな水、ナシ族の村落と田畑が一望できる絶好の場所だ。 だが、道路はカーブし、車はそうそう停車するわけにはいかない。自転車の 特権と優越性をしばし満喫。

 ところで、画像Aの中央、Bの左に駐車場があることに気づく。どうやら、ちょっとした観光地になっているようだ。早速、下ってみる。


    観音峡
 麗江の土司・木氏は、ここを、17世紀、南からの攻撃に備える防衛 拠点としたとのこと。日本流にいえば「関所」、なるほど確かに自然の 要塞。画像・左のように立ちはだかる山を越えなければ麗江へは向かえ ない。昔、走った東北の一関を思い浮かべた。(またもや露出ミスで 鮮明ではないが画像の山を切って走る道路、その左端から画像@ABは 撮影)

 木氏の邸宅風の建物が再現されていて、有料。それよりも、ナシ族の村落 を見たいと自転車を走らすが、泥濘の細く曲がりくねった道のため断念 する。観光地まではきちんと舗装されていても、生活道路は昔のままなのだ。

 引き返す途中、小学一年くらいの少年と目が合い、「これ、甘いんで 僕は食べないけど、いらない?」とビスケットをあげようとする。が、 「要らない」ときっぱり拒絶。

 そうだ、生活の地が観光地化されても、心まで観光地化されては ならない。毅然とした少年の眼がよかった。曇天の午前、豊かなものを たくさん見た気がする。 (2006.10.4)



 ■2006年10月2日、

 雲南のリンゴとコーヒー
今日も玉龍雪山は姿を見せてくれない。

 と、「くれない族」をやっててもしようがない。「雲度90%」の 空の下、ルートチェックへ。周囲を山で囲まれているこの麗江から、どこ なら、違う風景の地に脱け出られるのか、調べるためだ。

 だが、雨。身体がずぶ濡れになろうと、心が雨でずたずたになろうと、 かまわない。しかし、自転車だけは濡らしたくない──という信条。 やむなく部屋にもどる。

 とはいえ、世の中、皮肉なものだ。帰って30分も経たないうちに、 西日がベランダ側に強力に差し込む。

 まったく、天気はあてにならない。あてになるものは、何か、というと、 ここの「リンゴ」かな、それと「コーヒー」かな、と気を取り直し、紹介 することにした。

 雲南省南部では、中国で唯一コーヒーを栽培している。缶詰スタイルの コーヒーは、200g20元。淮安では、500g80元で喫茶店から 「モカ」を分けてもらっていた。それに比べると安い。味は「モカ」より ずっと小味。大胆な主張をせず、奥深い味覚を出している。

 リンゴも、当地生まれ。MTBで走っていると、「リンゴが熟したヨ!」 などと看板を出している果樹園がある。青いリンゴは、すっぱいかな、と 思ったけれど、甘味中心でありながら、酸っぱさを失っていない。

 青島でも淮安でも、
フジ系が支配的でうんざりしてしまった けれど、ここ雲南・麗江では、コーヒーと同じように、独自の味を楽しめる。 (2006.10.2)



 ■2006年10月1日、

  玉龍雪山・山麓

     玉湖
昨日の登山道はほんものなのか。

 そういう疑問を胸に、昨日と同じところへ行ってみた。

 「あの道は、薪取りの道。登山なら、もっと左の道へ行かないと」 赤ん坊を背負った女性が教えてくれる。左の画像でもわかる。手前の 小山に右上がりの道があり画面の外へ消えている。これは、玉湖村の人々の いわば生活道路であって、玉龍雪山ルートは、どうやらもっと山寄り のようだ。

 また、昨日貯水池だと思っていたのは、実は、玉湖そのものだとのこと。 昨日とは逆に東にむかって撮ったのが、右の画像。 (2006.10.1)



 ■2006年9月30日、

  玉龍雪山・山麓
玉龍雪山の山麓は広い。束河村・白沙村・玉湖村のいずれも山麓にあると いえるし、それに、僕のいる大学のキャンパスもそういえてしまう。

 だが、ここから本格的に山が始まるという、その山麓にやっとたどり 着くことができた。

 玉湖村より北側、貯水池があり馬が放牧されていて、その向こう には登山路らしきものも見える。午後2時だというのに画像が暗めなのは、 明るい雲に露出を合わせてしまったためのミス。

 いずれ、あの道を登ってみよう。万年雪か、雪渓か、氷河か、あの白く 見えている所までたどりつけぬものか。 (2006.9.30)



 ■2006年9月29日、

とうもろこし畑のむこうに
ぶらり、北の
白沙村 へ行く。最近、よく走っている玉湖村の手前。

 とうもろこし畑のむこうに広がる玉龍雪山をワンショット。このところ、 ずっとその姿を現さない。

 夕刻、外国語学部の宴会。「三坊一照壁」のつくりで、日本でいえば ちょっとしゃれた小料理屋。まんなかには、庭園。でも、バラバラに円卓 を囲まざるをえなくて、外国人教師9人だけ固められる。

 宴会の盛り上がりがないなぁ、とワインやビールを手にあちこちの テーブルを回る。英語が主体、みんなとっても若い。それに女性が多く、 「何、このおじさん!」風のリアクションで、おどおど。それでも、やはり 社交にたけた中国人、うれしそうな微笑をすぐに浮かべてくれた。

 外国人テーブルは、とてもにぎやか。アメリカ人の若い人が多くて、 楽しむことを知っている。それに、サービス精神も旺盛。ワシントンから 来た女性が、"I know Japanese."と口にして、「とよたはにほんのくるまです」と、とてもきれいに言ったのには、びっくり。他の日本語は知らない のに。うーん、トヨタおそるべし。

 ……MTBで帰ると、南西側に三日月が笑っていた。10月6日が、 中秋節。 (2006.9.29)



 ■2006年9月28日、

 広がる草原、低い雲

 高原道路を歩く牛の群
青い空、その太陽を吸わせたい──と布団を干せば、雨にふられて、 間一髪のところで取り込むという日々だ。局地雨が多く、一刻といえども 空をないがしろにできない。

 とはいえ、MTBが走りたがるので、今日も、北上、
玉龍雪山山麓の玉湖村へと向かう。この道路は、上り2車線。10mほど離れたところに、 下り2車線道路がある。「上り・下り」は、雪山に向かってのものであり、 実際に道路の傾斜がそうであるから、よって暫定的に形容したもの。

 その上り道路を雪山を前面に見つめながら走っていけば、道路一杯に あふれる牛の群(画像右)。「ヤーッ、ヤーッ」と牛追いの声。すごい 速度で走りぬける観光バスもこれにはたじたじ。

 玉湖村のそばから、やってきた南方面を撮ったのが、画像左。手前には、 「かわいいね。 お名前は?」の花が咲き誇り、そのずっと向こうには、麗江の市中心 がはるかに眺められる。

 「おーい、雲よ」と呼びかけたくなるほど、雲はすぐそこにあり、草原は どこまでもどこまでもつづいていた。 (2006.9.28)



 ■2006年9月25日、 高山植物の本をあいにく東京においてきてしまったので、ネットで探索。

 
@は、最初「ニガナ(苦菜)」かなと思ったけれど、ニガナは花弁が 9つ。どうやら、「オトギリソウ(弟切草)」のようだ。ネットで見た 画像とそっくり。Aは、どうしてもわからなかった。Bは、どうも 「リンドウ(竜胆)」系のようだが、リンドウにしては、背が低すぎる し、花弁の幅も細すぎる。

 結局、弟切草しか分からなかった。でも、たとえば「リンドウかな?」 と考えている時、「そういえば、『男は辛いよ』シリーズで寅さんが、 リンドウ、リンドウと口にするシーンがあったなぁ」などと別のことを思う のが楽しかった。

 しかし、どうして植物をカタカナで表記するようになってしまったのか。 学名ならともかく、「サルスベリ」は「猿滑」でいいではないか。古来 持っていた伝統的な意味がカタカナ表記されることによって失われてしまう。

 それは、J.オーウェルの小説・『1984年』で、「新語法」(と 表現していたと思う)という形で述べられていたことに通ずる。 それまでに使われていた言葉の意味を失わせ、換骨奪胎してしまうのだ。 たとえば、「真理の探求」を「現実認識」に、「革命」は「変革」と いった風に。

 そういった新語法は、ミニチュア板ではありながら、この5年間、日本で 小泉首相とメディアが推進してきた。「改悪」を「改革」とし、「批判」 を「抵抗」という形で。安倍政権、そしてメディアファシズムは、同じ形 を取りつづけるのか?

 ことばの意味を、ずらす、変える、失わせる──ということは、その 言葉によって生きる人々の世界認識を失わせることになる。現在、日本語 はそういう危機に直面している。 (2006.9.25)



 ■2006年9月24日、

   高山植物@

      A

      B
玉龍雪山は、高山植物の宝庫。「雲度60%」の午後、
山麓の玉湖村方面 へ、のんびりMTB散歩。道路沿いに顔をのぞかしている高山植物を10 種類ほど撮った。

 そのうち鮮明で、印象的なものが画像@AB。撮っているうちに、 「石だらけの所でなく、もっといい環境があるのに……」と花に世話して あげたい気持になる。可憐、いや「愛くるしい」というほうが、 ぴったりする。こんなとこに、群れることもしないで、ポツンと咲いて、 そんなに小さくて、さびしくない?でも、あなたって、とってもきれい。

 そんなふうに呼びかけたくなる。つまり、高山植物が人を魅惑して やまないのは、もしかすると人生的共感を感じさせるからではないか。 名前を調べることにした。 (2006.9.24)



 ■2006年9月23日、


なにが違うのだろう?ふと、考えた。

 東京、青島・淮安となにがちがうのか。

 空が広く低いこと。空のすべてが見わたせるため、晴れと曇りの判別に まよってしまうほど。いったい、空の何%が雲でおおわれていたら、 「曇り」となるのだったか。そして、その雲も、すぐ手に届く近さ。

 四方を山におおわれていること。これも決定的なちがい。この麗江に いるかぎり、山をみれば、どこあたりにいるのか分かる。

 それに、快適なMTB向け(舗装・ダーツとも)道路がふんだんに ある。しかも、散歩する道も事欠かない。これらも大きな違いだ。よって、 空と山を見ながら動き回るのが好きな人には、格好の場所といえる。

 ならば、「とっても幸せ!」と感じていいはずなのに、心の中になにか 鬱屈があるのはなぜか。それは何も、日本で戦後最極右の首相が うまれたからでもあるまい。

 ……などと思っているうちに、空の80%が雲で蔽われていたのが、 夕方5時になって「雲度30%」となった。キャンパスを散歩する。
先月末、「かわいいね。お名前は?」と紹介した可憐な花が、蝶が舞う中、「写真をとってね」と、 みんな仲良く群生していた。 (2006.9.23)



 ■2006年9月21日、

   何だろう?

  そばによってみる
晴天はつづく。が、玉龍雪山は、朝は霞、以後は雲におおわれて、姿を見せない。だが、
4日前、行った玉湖村付近にちらりと見えた村?が気になり、午後MTBを飛ばす。

 雪山を背景に野原のなかにポツンとある建築物。古そうでありながら、 人気がない。「何だろう?」とそばに寄ってみる。「越嶲監獄」と ある。(画像右)半ば開いた門をのぞけば、馬が一頭いるばかり、門番の ようにこちらを見ている。

 安手のつくり、裏へまわってみれば、建物を支える針金やゴミが放置さ れている。映画かTVドラマのロケで使われたものにちがいない。 陳凱歌監督の映画・『無極』が、雲南省・シャングリラで撮影し、 かなりの自然破壊をしたことで中国メディアをにぎわしていたことを 思い浮かべた。そのミニチュア版、それがこのロケ跡の放置なのだろう。

 玉湖村付近には、ほかに「東巴万神国」とか、「玉水寨」という、 いわばテーマ・パークがあり、大型観光バスがひっきりなしに来ていた。 「観光立市」の麗江、それによってナシ族の人々が本当に豊かになる のだろうか。気持よい高原を走って帰りながら、そういう思いは消えない。

 ※帰ってから辞書を引くと、「越嶲」とは四川省の地名、現在は 越西と表記──とあった。 (2006.9.21)



 ■2006年9月19日、

  玉湖手前10kmから

   同・3倍ズーム
朝、玉龍雪山が、ほぼ全景をあらわした。左右ともに7時54分の画像。 右は3倍ズームにて撮影。

 玉龍雪山。ナシ語では、「銀石」の意味の「ウル」。海抜5596mの主峰・ 扇子陡は、未踏峰。7000万年前の氷河があり、それは氷河のある山 としては、北半球で最南端であるという。

 ナシ族にとっては、「民族の神」であり、多くの青年男女が、かって ここで心中することがあったという。それは、
一昨日、玉湖村を訪れて購入した本にも、 また、1970年代まで発刊されていた雑誌『中国』にも、「玉竜山下の人びと」という題名で紹介されていた。

 その山が、今、くっきりと見える。4時半に起きたかいがあった。 (2006.9.19)



 ■2006年9月17日、

 玉湖村付近の玉龍雪山

天柱フ天から見る玉湖村
文句なしの晴れ。玉龍雪山山麓を目指す。

 
8月31日に検問 所で引っかかったのは、「玉龍雪山風景名勝区」に立ち入ることに なったからだ。ならば、玉龍雪山ふもとの村をめざして行けば、入山料も 取ることはないだろう。

 ……と考え、MTBは北上、検問所のある東側ではなく、玉龍雪山側、 つまり西側へとルートを切る。半月ぶりに玉龍雪山が全容ではないに しても、ほぼ姿を現している。(画像左)

 だが、麓の一番高いところは「天柱フ天風景区」で有料。うーんと嘆息 し、下側を望むと、画像右のように村落が広がっていることに気づく。 なにも作られた「風景区」に入ることはないので、即、MTBは村を 目指して下る。


  玉湖村風景@

      A

      B

      C
 ここは、玉湖村。雪ッ村ともいい、ナシ語では、「ウルーケン」で、 「雪山第一の村」という意味とのこと。行政的には、麗江市玉龍ナシ族 自治県白沙郷に属す。古城、束河、白沙と北へ上ればのぼるほど玉龍雪山に 近くなり、のぼりつめたところが、ここ、ウルーケン、玉湖。

 他と同じ同じナシ族の村にもかかわらず、雰囲気はまったく違う。家が 石造り、しかもむき出しなのだ。(他はいずれも日干し煉瓦で作られ、 ナシ族特有の白壁できれいに塗られている)その上、山麓のため、水が 豊か。画像Bでごらんになれるように、水を楽しむかのように路上に デザインされている。

 決定的なのは、まったく観光地化されていないということ。374戸、 1346人が住むと言う。路を歩き、おじいさんと話す。「すばらしい 景色ですね」、「そうじゃ、山があるからな。知ってるか、あれは玉龍雪山 だぞ」。

 「ロック旧居陳列館」の標識を目にし、行って見た。誰もいない、 でも、すぐそばの家の女性が、「待ってて、今、開けてあげるから」と 自分の家に案内してくれ、管理人を呼ぶから、と、リンゴをふるまって くれる。その家は、ナシ族風の「三坊一照壁」。漢民族の四合院に似て いて、中に庭がある。でも、二階建てが違う。また、「三坊」の一坊が 馬小屋になっていて、旦那さんが、馬に餌をやっていた。


  ロック旧居陳列館
 リンゴが乾いた喉にスッキリと快感をあたえてくれた10分後、 「ロック旧居陳列館」に入る。アメリカ籍、オーストリア人の学者・ J.F.Rockは、玉龍山に魅せられ、麗江に27年居住、『ナシ語・英語 百科詞典』などを発刊し、「ナシ学の父」と呼ばれているという。 一対一で、管理人の女性がカギを開けながら案内してくれる。入場料を 払って入るのは、麗江に来て初めて。1930年代のセピア色になった 白黒写真(チベットのもあった)を、やたらうなずきながら見る僕を、 彼女はどう感じたか? (2006.9.17)



 ■2006年9月16日、

 古城を西側から望む

    同・南方面
ずっと小雨混じりの曇天。だが午後4時頃になって雲の切れ間から陽が さし始めた。足は古城へ向かう。

 
1日とは逆 に、西側の獅子山中腹から古城を見下ろしたのが2つの画像。延々とつづく 瓦屋根は、下に暮らす人々のたたずまいを想像させる。だが、ここ古城は 屈指の観光地、瓦屋根の下は、中国人観光ツアーでごった返している。

 ただこの瓦屋根群だけが、ひっそりと昔をしのばせる。 (2006.9.16)



 ■2006年9月15日、

   右画像の北側

 西側から望む市中心
玉龍雪山は姿を隠したまま、でも、雲の中に太陽と青空がこんにちは!

 10日ぶりの陽光、広い風景をながめたい。こんな時には、点より面。 高〜いところから、見下ろしたい。で、Tシャツ姿、MTBは西側の 山をめざす。あちら側には、麗江から400km北にあるシャングリラ(中甸) へ向かう道路がある筈だ。

 道路工事中でひどいぬかるみ、だが上りつめると、この麗江が一望。 右が、麗江中心部、そしてその北方面が左。僕のいるところは、左画像 中心に位置する。

 高台にたたずむこと20分。帰ってきてみれば、自転車は泥だらけ。 しかし、心はスッキリ。 (2006.9.15)



 ■2006年9月14日、 午後、時折のぞく懐かしい太陽、青い空。つられてMTBで外に出る。 しかし、そのたびに、雨に降られる。うらめしい思いで雨の中、引き返す こと2回。9月までは雨季なのでしかたのないことか。

 だが、午後9時、空には星の瞬きが見える。明日に期待。 (2006.9.14)



 ■2006年9月13日、

   束河村の路地@

      A

      B
雨はつづく。その間隙をぬって、束河村へ散歩に出る。

 小雨けぶるこんな時には、束河の路地に姿を消したい。人の姿は見えぬ のに、生活の臭いが漂ってくる路地に。平らではない、曲がりくねった 路地。そこに入ると、ひょっと誰かに会いそうな、何かが起こりそうな ……。

 なんとも言えぬ懐かしさを感じさせるのに、そこに溶け込めないでいる 自分を思った、3時間の散歩。 (2006.9.13)



 ■2006年9月10日、

   もう"加熱器"
寒い。空も山も見えず、冷たい雨が降り続いている。

 東京でいえば一挙に11月の気候になったかのよう。Tシャツから一挙に 長袖、いやセーターへ。淮安の蒸し暑かった9月がなつかしい。

 そんな中、今日は「教師節」ということで、受け持っているクラスの 学生がわざわざ花束を届けてくれた。花を贈られたことって、何年ぶり だろう。いや、生まれて初めてかも。

 冬でも暖かいところへと思って来た麗江。しかし、9月のこの寒さ。 ボヤいていてもはじまらない、電気ヒーター(加熱器)を購入してきた。 (2006.9.10)



 ■2006年9月7日、

目抜き通りからの玉龍雪山
1日以来というもの、玉龍雪山は姿を見せない。朝も。

 ずっと好天だったのに、4日夕刻、すごい落雷が続き、スコールめいた 大雨が襲ってきて、5日も一日雨。やっと昨日になって、雨は上がりはしたが、雲が空を大きくおおっている。

 北京からいただいた便りでは、その4日から「北京秋天」のすばらしい 青空が広がりはじめた、とのこと。大陸は一挙に秋へと変わっただろうか? しかし、何千キロも離れた北京とは気候もちがうはず。でも、言われて みれば、蠅や蚊を見かけなくなった。

 ……などと思いながら、MTBで流す麗江市街から見た玉龍雪山は左。 この目抜き通りは、シャングリラ大道(香格里垃大道)といい、 古城の西側を南北に走っていて、その正面に玉龍雪山が立ちはだかるか のように眺められる。

 ここの雨季は7・8・9月だという。いま少しで、あの雲が雪山に まとわりつかない時が来るにちがいない。 (2006.9.7)



 ■2006年9月2日、 思いつくごとに玉龍雪山が気になり、ベランダから見あげる。しかし、快晴と言ってもいい今日、ずっと雲で姿を隠している。

 7時半の日没後も、見えない。だが、空を見あげれば月が、星が輝いている。上弦の月、まもなく満月となり、朝のオリオンが見えなくなるの だろうか。(2006.9.2)



 ■2006年9月1日、

玉龍雪山・キャンパスから

   近くの草原から
今朝も玉龍雪山がよく見える。

 左が8時のキャンパスからの、右が15分 後の草原からの画像。左では雪渓がくっきり見えるのに、15分後には もう雲に覆われかかっているのが分かると思う。玉龍雪山は、恥ずかしがり屋、雲に包んでもらいたがっているかのようだ。

 「キャンパスからの」と書いたので、「えっ、これが大学?」と感じ られた方もいらっしゃるかもしれないので補足しておく。キャンパス内の、教学楼、図書館、学生・教員宿舎などすべては、ナシ族の住居にならって 建てられている。なかなかオシャレだ。

 さて、今日は南へ5kmほど下って、古城にでかけた。麗江ときたら古城、 古城なしに麗江はないとも言える。手元にある中国人向け旅行マップの説明 にはこんな風にある。

 「古城区大研鎮は、ナシ族を中心として住んできた古い街。宋代末・元代 初めにでき、800年以上の歴史がある。南宋の末、麗江の土司(元・明・清時代の西南地域少数民族の首長)である木氏の祖先が白沙から獅子山麓 へと根拠地をうつしたのが、大研古城の起こりである。当時は『大葉場』 と呼ばれ、後、明代は『大研廂』、清代は『大研里』、そして民国期 『大研鎮』に改称された。」


   麗江第一高校
 しかし、この古城エリアは2.5km×2kmほどで、結構広い。おまけに 中心の四方街は、ちょうどお昼のこの時間、観光客で一杯だろう。で、 今日は、上り坂になっている東側を訪ねることにした。エリアを東側で 区切る金安路を流していて、目についたのは左の建物。漢民族風のようで ちょっと違う。「麗江第一高校」の正門だ。ナシ族の住居様式を加味して いるようだ。覗いて校舎をみると、僕の大学と同様の作り。



  又尚という所の路地

  左が方国瑜故居

  方国瑜故居正面
 又尚という地名の路地を入り、ずっと沿って行くと、方国瑜故居がある。立派な外観。浅学のため方国瑜という人がいかなる人なのか、僕は知ら ない。しかし、「徳は孤ならず、必ず隣あり」という論語の一節が掲げられ、どんな生涯をおくったのか好奇心を惹かれた。はたして、ほんとうに 「隣」はあったのか?それとも、それは主観的な信念でしかなかったのか? 門を押してはみたが、閉ざされたままだった。叩いてみるべきだったか?


   古城の屋根々

  古城・獅子山方面
 縮小画像のため分かりにくいかもしれないが、このエリアは全て石畳。 MTBには辛いが、歩くには心地よい。気持ちよさにまかせて、この東 エリアの高台まで、長い階段をかついだりしながら、セッセッセッセと 登ってみた。

 古城を見渡し、その全景を見たかったのだ。しかし、もう一つ高さが 足りない。とはいえ、この東側からも古城の屋根々と獅子山の万古楼を 見ることができた。標高2400mで紫外線が強いせいか、たった数時間 なのにTシャツから出た腕がヒリヒリする。(2006.9.1)



 ■2006年8月31日、

   途中の東巴谷で

 放牧されている牛の群
今日も好天。北へ向かおう!

 北には、いうまでもなく、玉龍雪山がある。雪山には麓から4500m まで登るロープウエイがあるという。そこまで行かなくともいい。 キャンパスから20kmほどのところに、雲杉坪という名の草原があり、 雪山を眺望できるというから、そこまで行ってみようではないか。

 画像左のように快適な道を走る。牛の群の後に見えるはずの玉龍雪山は 残念ながら姿を見せない。といって、MTBはへこたれはしない。


南方面(麗江中心街方向)

もっと行きたかった北方面

 かわいいね。お名前は?
 15kmほど北上したところで、料金徴収所風の検問所に遭遇。「自転車 でも有料ですか?」と聞くと、人間一人に対して120元だと言う。玉龍 雪山風景名勝区に入ることになるので、入山料が必要なのだ。ちょっと 入るだけでも本格的料金をはらうのは、わりにあわない。潔く引き返すこと にした。

 といって、残念な気持はない。可憐な花がほほえんでくれているからだけ でなく、この風景を見ながら感じながら走れること自体が最高なのだ。


     B

     A

  白沙村街並み@
 帰り、白沙村に立ち寄った。飾りのない素朴な街並みが、こじんまりと 続く。汚れが目につく部分はある。だが、その分、生のナシ族の人々の 暮らしをかいま見れるような気がする。

 「おじさん、どこから来たの?」4・5歳の男の子が訊ねてくる。 「麗江市内からだよ〜」と思わず口をついてしまった。「東京から」と 言えばきっと喜んでくれたのに。(2006.8.31)



 ■2006年8月30日、

 朝8時半の玉龍雪山
今朝もオリオンに挨拶、ベランダから玉龍雪山を眺める。今日の雪山は、 ひときわ鮮明。海は、見下げるのがいい。山は、見上げるのがいい。そんな 風に思う。

 今日、インターネット接続が可能になった。月80元のブロードバンド、毎月自分で「電信大楼」に支払いに行く──という青島時代と同じシステム。 ちなみに、淮安時代は大学内LAN接続で無料だったが、その分、制限が 多かった。


    風立ちぬ
 今日も晴天。だが、チェックのためDVD『風立ちぬ』をちょっと見して いたら、のめりこんでしまった。1942年を背景に、戦争と結核に立ち 向かわざるを得なかった男と女。現在、結核はほぼ克服されたといっていい。だが、戦争は克服されることはなく、いや、むしろ声高に戦争を 望んでいるかのような人々が増えている。(日本に戻るたびにその傾向が 強くなっているように思う)

 学徒出陣、四人の大学生仲間は心情を吐露しあう。人を殺す戦争に 忌避の思いを語る杉に対して、好戦的な中山は、「ヒューマニスティック で文化的だ。しかし、それはエゴイスティックで軟弱な考えだ」と罵倒する。黙って聞いていた三浦友和演ずる達郎が、つぶやき、そして訴える。 「誰が好きこのんで戦争なんて行きたがるのか。本当の人間の戦いは そんな所にはないんだ」

 山口百恵・三浦友和コンビの映画は、発表当時ほとんど見ることが なかった。しかし、この映画には平和憲法に通ずる精神が貫かれている。 (原作:堀辰雄、監督:若杉光夫、DVDは3年前青島で購入) (2006.8.30)



 ■2006年8月29日、

   早朝の玉龍雪山
朝6時、グランドに出てみるとオリオンが南東方向に輝いていた。すがすが しい朝、部屋に戻ると、ベランダからは玉龍雪山を見ることができる。 雲がまだ出ない朝には、姿をあらわしてくれるようだ。


    青龍河
 陽射しが強い。湿気のないカラッとした空気、しかし皮膚を刺すような 陽光だ。日中を避け、夕刻、束河古鎮へ散歩にでる。

 束河はナシ族の村。九鼎河・疏河・青龍河を束ねる位置にあることから こう呼ばれ、九鼎河は飲用水に、疏河は野菜洗い、青龍河は洗濯にと使い 分けられているという。古来から、チベットの馬と雲南の茶を交易する 「馬茶古道」の中継地だったとのこと。


   なんだろう?
 それよりも、最近の映画『単騎千里を走る』(張藝某監督・高倉健主演)で、宴席がずっと続く村全体の宴会に招かれ、高倉健が感激するという、 あのシーンに使われたのがこの束河だと言ったほうが分かりやすいかも しれない。古城と並んで1997年にユネスコの世界文化遺産に登録され た。観光地化が著しく人でごったがやしている古城に比べ、古城から北西 4kmにあるここは、比較的静かな村。しかもキャンパスからは、ほんの 2kmと近い。

 ナシ族の家はすべて瓦屋根で、なつかしさを感じさせる。 「なんだろう?」と思わせるのが、画像下。四角い穴のあいた4・5mの 棒がいくつも並んで立っている。麦などの穀物を干して乾燥させるため のものだという。


  中心街を眺める
 向日葵のある畑を通って、帰途に着く。午後6時40分、匂う高原の 香りのむこうに、中心街が見える。一番のっぽのビルが、官房大酒店と いう5つ星ホテル、その左側の小高い丘が獅子山、このあたりに古城が ある。

 青い空、やわらかな雲、そして涼しい微風がさわやかに身体をなでる。 しかも、部屋には冷えた「大理ビール」が待っている。 (2006.8.29)



 ■2006年8月28日、 授業の開始。

 ここでは、「会話」「写作(作文)」「日本文学」の3科目を担当する ことになった。「日本文学」といっても文章精読、昨年は計5科目だった ので何とかなりそうな気がする。


 はじめて見る玉龍雪山
 心地よい緊張感で午後の授業を終えると、玉龍雪山がはっきり見えて いるではないか。さっそくキャンパスを出て近くの草原へ。13の峰から なるとのことだが、その一つ一つが天に突き刺さろうとしているかのよう。 上部には雪渓を抱いていて、たなびく雲の一部と見誤りそうだ。


   南側のお花畑
 逆の南側には、お花畑がひろがっている。峻厳さに対してこちら側は蝶の 楽天地。一昨日と同じ花、「菜の花」と思われる。ずっと向こうの円錐形 の山寄りには、向日葵が群生。(原画像が2M以上で縮小して掲載。その ため判別しにくいかもしれない)ひらひら舞ってあの山のほうへ飛んで いけば、5kmで麗江古城と中心街に、180kmで大理にたどり着くはずだ。 (2006.8.28)



 ■2006年8月26日、

  白沙村の家
待ちに待った晴れ。大学から北へ数キロの白沙村へ行ってきた。

 白沙には、麗江の豪族・木氏が少数民族(ナシ族・チベット族・ペー族) の画家に描かせた白沙壁画があるとのこと。


  購入したMTB
 でも、太陽の下を走る気持ちよさを感じたい今日、お預けにした。 通りかかったナシ族の家。そのまえのこの花は「菜の花」なのだろうか。 季節が違うな、とは思うけど……。そのたたずまいに心がひかれた。

 蝶が舞いトンボが飛行する田園風景、GIANT製のMTBもごきげん。 (2006.8.26)



 ■2006年8月25日、 アメリカ人外人教師のホームパーティに参加した。

 招待してくれたコロラド出身の20代の青年の部屋は、僕の隣の隣。 彼を含む英語外人教師6人と日本語外人教師2人の計8人、いや、 連れもいて総計10人。こんなに大勢なのに、彼はホストとして、 しっかりもてなしてくれた、楽しいパーティだった。

 思ったこと二つ。若いうちに自分から進んで海外で仕事をするという のが普通に思われたこと。そして、それを楽しもうという姿勢。

 6時半からのパーティは11時頃までつづき、ぼくは最後までチンタオ ビールを飲み続け、「ブッシュは好かんよ。日本の小泉はもっとダメ」 など主張しつづけたところ、僕が思うに、こうして中国に来て仕事 しようとする青年であるだけに、"No Bush"のように感じられ、仲良く肩を 組んでサヨナラした記憶がある。(2006.8.25)



 ■2006年8月24日、 今日も一日中曇天と雨。

 麗江の中心市街から北に5kmほどのところに、僕の大学はある。生活用品 を購入するために街へ行くのに、迷う。たった5km、しかも「シャングリラ 大道」という片側4車線道路だから、自転車がむしろ走りたがるのだ。

 だが、空を大きく蓋う曇天。いつ雨に降られるか分かったものではない。 自転車だけは濡らしたくないので、1元をはらってバス(公交車)で向かう。

 中心市街では、歩き回って、DVD・洗濯機・照明器具などを購入。 青島や淮安ほど品数は多くない。だが、選ぼうとしなければ一応の製品を 購入できるようだ。

 部屋へ帰ってきたら、「走ろうよう!」買ったばかりのMTBが、部屋 に監禁されて怒っている。(2006.8.24)



 ■2006年8月23日、 一昨日の21日に、ここ麗江に到着していたたものの、ずっと雨がち。 空気は澄みきっているのに、高原の夏を味わえないでいる。

 亜熱帯に位置するとはいえ、標高は2,400m。夜冷えるのも分かる。しかも 時は雨季。7月・8月の平均降水量がそれぞれ243mm、212mm、年間平均 降水量は957mmとのことだから、約半分が夏の雨季7・8月に降ることに なる。買物にちょっと出るにも、傘を手放せないのもしかたない。

 しかし、玉龍雪山(5596m)にお目にかかれぬのは、残念。僕の部屋の ベランダからすぐそこにその片鱗がうかがえるのに、決して姿を現そうとは しないでいる。(2006.8.23)


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