| 折節の移りかわり |
■2006年7月3日、
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| 宿舎への道 |
■2006年6月29日、
午前中、突風と大雨。だが、午後になって一転、太陽が顔を出した。 ■2006年6月26日、
夜、採点をしていると突然の停電。 ■2006年6月24日、
4科目の試験を提出して、ホッ。 ■2006年6月10日、
朝8時から午後3時まで、会話の試験。 ■2006年5月6日、
テレビで連続ドラマ『沙家浜』を1日からやっている。
こういう時には、郵便局に荷物を郵送しに行くのに限る。というのは、
先週からこの地も梅雨に入ったらしく、時折、雷と大雨の襲われるからだ。
郵便局通いは、25日から。今日は2回通ったので、通算6回。最初
は、つっけんどんで、愛想がなくて冷たい感じだったが、通うたびに
優しい所作が分かるようになってきた。
「中国人は」、「日本人は」と一般的にくくるのには同意しない。
確かにサービスの一点で言えば、表面的には日本のほうがいい。しかし、
日本のそれは形だけのもので、その後、何らかの発展があるわけでもない。
愛想なしに見えた女性に、会うたびに親しみを覚えていく、──という
のがこちらのようだ。担当者は、龍梅さん。若くて働き者だ。
(2006.6.29)
青島では頻繁にあったが、ここ淮安では初めてのこと。「うーん」
すぐ点くだろうと、おっとり構えていたが、5分経っても10分たっても、
梨のつぶて
しかたないので、ベッドに横になってぼんやり。すると外から、お婆さん
の声、おじいさんの声、そして子供の声。停電がどーだこーだということ
とは無関係に、のんびり夕涼みしている声だ。
そうだ、「夕涼み」の季節なのだ。月があるから外もぼんやりと明るい。
「夕涼み」という語も、いつか日本では死語になってしまうのだろうか。
(2006.6.26)
この機会に、2月以来手をつけないでいたこのページを更新しようと、
記憶の糸をたどる。
記憶の糸というものは、一本の線としてあっても、その前後が入り乱れ、
時系列で書き直すということは、むずかしい。
そう思った。
(2006.6.24)
ここでは、試験に「考査」と「考試」の二種類がある。「考査」は
授業内で評価するもの、「考試」は24日からの期末試験で試験をする
もの──というふうになっている。
30数人といっても、授業内でやるとなれば、一人3分足らず、忙しい
ばかりで評価に自信ももてない。というわけで、授業のないこの土曜日
に一人10分の枠を取ってやることにした。
発音とアクセントの矯正をしよう、と決めていたのだが、できたのは
4分の1ほど。マンツーマンの機会が、考査だけということになってし
まったのも、反省点。
(2006.6.24)
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| テレビドラマ『沙家浜』 |
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| 昔のシナリオ |
■2006年4月21日、
仕事場の北校舎まで自転車で走っているうちに、小雨にあう。 ■2006年4月8日、
路面がじっとりして、自転車にとっては走りやすい。スイスイ気分で、
もう快適至極。
しかし、すぐそこが駐輪場という所で右にハンドルを切ったら、スリップ。
そして、転倒。だが、そのダメージは大きい。サイクルメーターのライン
が内部断線してしまったのだ。
7109.3kmで動こうとしないメーター。しょうがないけど、これからは
目測でしか距離を測れないことになってしまった。
(2006.6.24)
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| 駱馬湖 |
■2006年4月6日、
「視聴説」の授業で、『千里走単騎/単騎千里を走る』を
VCDで観てもらった。中国では、DVDよりVCDが普及している。
普通のPCで簡単に画像が見られるからだ。 ■2006年3月3日、
昼食を食べた11時半、ゆったりとベランダのリクライニング
チェアに横になり新聞を見る。 ■2006年2月16日、
今日から2学期。こちらは、9月始まりの二期制で、春節が明けて
2学期。 ■2006年2月15日、
上海から淮安に戻る。 ■2006年1月14日、
『千里走単騎/単騎千里を走る』を観た。 ■2006年1月10日、
試験が始まっている。 ■2006年1月7日、
それから、「写作(作文)」の授業で、感想文を書いてもらった。
この感想文がとても面白い。それぞれ、目をつける点がまったく
違うのだ。そして、思い先行、言葉足らずの中にどちらかというと
「へぇ!」というものがあった。
書くということは、その人のこれまでの人生を表しているのだな
ぁとつくづく思った。表現されたものの言語としての的確性の前に、
何を表現しようとするのか、というその人の全人格が立ち現れてしまう。
考えてみれば当たり前のことなのだが。
(2006.6.24)
先月から、『揚子晩報』を定期購読しはじめ、昼食後のいっとき、新聞
をながめ、それから、かぶって数十分昼寝することにした。
新聞によると、この1日から、信号無視して横断する歩行者、自転車
にも罰金が科せられるようになったとのこと。歩行者は10元(大瓶ビール
4本弱)、自転車は20元。
だが、民警(ママ、交通整理の警官)が違反を見つけても、逃げてしまう
とか、捕まえても金を持っていないとか、大変だとのこと。
自転車族である僕は、赤信号でも渡ろうとする自転車・歩行者を見て
いて、「あぶないー」といつも思う。「罰金」というやり方は役人的で
解せないが、車社会になった現在、なんとかしないといけない、という
認識だけは共有できる。
(2006.6.24)
懐かしい面々を前にして、なにかちょっとしたものを……という
気持になり、100円ショップで購入してきた80膳100円の割箸
を一膳づつ配る。
「資源が問題になった10年ほど前、使い捨ての割箸はいけない
という主張があり、当時、割箸は使わないような風潮があったので
すが……。でも、すぐ、割箸に使用されているのは間伐材で、役に
立たない木を割箸にしているようです」などと言いながら。
ところが、家へ帰って来て、はっとした。"made in china"と、
しっかり記されているではないか?緑の少ないこの地から、貴重な
樹木が日本へと渡り、80膳100円という低価格の割箸として販売
されているのだ。
「市場」というものを考えさせられた。
(2006.6.24)
昨日、飛行機で見た青空と白雲が眼に焼きついているせいなのだろう
か、小雨の中にぼんやり見える景色が灰色にしか見えない。
(2006.6.24)
一言でいえば、これは張藝謀の映画ではなく高倉健の映画だ。高倉健の
イメージが画面いっぱいにあふれている。監督の作為を感じさせない。
哀愁、翳り……、後姿で思いを語れる数少ない役者であることを、張藝謀
は知り抜いている。
残念なのは、シナリオが食い足りない点。しかし、70歳代の高倉健から、
「高倉健」の魅力をここまで引き出し映像化したことで、おつりが来る。
特撮・SFX映画から足を洗い、人間の味を求めた張藝謀に拍手を送り
たい。
(2006.1.14)
学期末のせいか、掲示板には、優秀教師の表彰が、写真と説明とともに
貼ってある。以前ちょっとふれた先生とか、会うたびに好感を抱く英語の
先生のもあって、興味がひかれた。
ちょっとしか知ってはいないけど、そのお二人の表彰理由を見て、なるほど
と、うなづかされた。僕の受けた印象と重なるイメージでのべられていた
からだ。
しかし、教師の表彰というのは難しい。それは評価そのものだからだ。
その点、あの学生による教師の授業評価表なるものと共通している。違うのは、学校の評価と
もなると、学生による「人気投票」レベルではけっしてすまない点だ。
仕事には、結果として業績がすぐ形で出るものと、そうでないものとがある。
セールスマン・政治家は前者、詩人・小説家・画家・哲学者・思想家は後者。
現実的効果が求められるのが前者であり、現実よりちょっと先、あるいは
未来を展望するのは後者。(よって後者ほど不遇な現実を送ることが多い)
教師はどこに位置するか、中間か、後者寄りだろう。しかし、評価は、
現実に沿ってしか下せない。現実より先の可能性によって正しく判断できる
のは神だけなのだから。
そんなことを思った。
(2006.1.10)
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| 項羽像 |
■2006年1月5日、
クリスマス以来ずっと曇天、昨日は雪がちらり、ほらり。ここ淮安から
バスで1時間ほどの連雲港・花果山(孫悟空の出生地!)にも雪が積もった
という。 ■2006年1月1日、
明日で一学期の授業が終了(中国は二期制)、やっと3科目計6本の試験
を提出したので、ホッとした気分。
今日は久しぶりに太陽が顔をみせたのでセッセと自転車掃除。この地では、
年季10年という自転車がざらで、きれいな自転車は目立つということを言い訳
に、メンテをサボっていた。
サイクル・メーターのセンサー位置設定に手間取ったものの、ともかく、
中国一万キロ走破も大丈夫!かなという段階にいたる。で、ふと思う。
ブラックボックスばかりになってしまった現代、もしかすると自転車だけが
それを拒否しているのではないかと。
フレームをはじめとしてそれぞれのパーツの役割をきちんと自分の眼で
認識でき、そして全てのパーツは交換可能だ。つまり1台だけのオリジナル
自転車も作れる。
身近にあるもので、手入れをして磨き上げること、または創造への挑戦を
教えてくれるもの、それは自転車しかないのではあるまいか。
(2006.1.5)
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| 昇らない太陽 |
■2005年12月31日、
昨日・今日と
小雨。路線バス(公交車)で往復する。 ■2005年12月30日、
大学の
スクールバスもあるけれども、路線バスのほうが面白い。ここでは、
前乗り・後降りのワンマンカー。料金箱に1元(約15円)を投入するか、
ICカードを使う。日本とそう変わらない。シルバーシートもある。
違うのは、女性の運転手が多いこと。車内にゴミ箱が設置されていること。
そして、小学生は運賃が無料であるという点だ。
雨で込んできてムッとする車内、3mむこうのお年寄りに声をかけて、
席を譲る若者がいた。
(2005.12.31)
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| できあがった水餃子 |
■2005年12月25日、
クリスマスの昨日・今日は、寒さもずいぶん和らぐ。で、陳凱歌の
『無極』を観た。 ■2005年12月22日、
冬至。昨日の新聞天気予報に、「21日7時ー22日7時、淮安−1〜−8℃」
とあるのを尻目に愛車にまたがる。 ■2005年12月18日、
大作だ。莫大な金銭を費やしただろうというだけの意味で。あとは何も
「無」。
もしかして、陳凱歌は「中国」という地域性を乗り越えて映画を作りた
かったのかな、と思いながら見続けても、何も見えてくるものは「無」。
これならば、ジャッキー・チェン(中国名:成龍)の『神話』のほうがいい。
特撮・SFXもファンタジックな場面で抑制的に使い、全体的な構想が
しっかりしている。しかも、女優が夢のように美しい。『無極』は、確か
陳紅、それに比べて『神話』の韓国人女優は桁違い。
そういう「無」でしかない『無極』なのに、こちらの新聞はべたほめ。
「観客動員数で張藝謀、陳凱歌に負けを認める」、「『無極』を観た観客の
半数は二度みる」などと、ドッコイショ。
いやはや、ここでも
小泉報道と同質の問題がある。ダメなものはダメなのに。
(2005.12.25)
だだっぴろい視聴覚室は、冷えきっていた。もごもご身体を動かしながら、
学生たちの来るのを待つ。
一人、二人、……。ちらりほらりと来ないで、一挙に押し寄せてほしいなぁ。
人間一人が白熱電球一個分のエネルギーを放射するんだってぇ……。などと
心でつぶやいていると、なぜか、入ってくる学生はみな、ぼくのとこに、
封筒を置いていくではないか。ふつうの大きさのもあれば、特大のもある。
クリスマスカード!そして、年賀カード!青島でも学生からもらったこと
はあったけれど、こんな風に大量にもらったのは初めて。
寒さもどっかへふっとんで、授業が終わると自転車をとばして、部屋へ
戻るや、頂戴したカードを読みふけった。
(2005.12.22)
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| 映画『無極』の看板 |
■2005年12月16日、
「鳴くまで待とうホトトギス」ってなんですか、と中国人の先生に聞かれる。 ■2005年12月15日、
部屋にいると、水道工事の人がいきなり来た。 ■2005年12月14日、
信長・秀吉に並んで家康の言葉として伝わっているものです。同時代を
生きた三人の性格差がよく現れています。でも、中国のたとえば三国志の
曹操・孫権・劉備とくらべるとスケールが小さいでしょう──などと答える。
しかし、その先生は「おもしろいですね。ホトトギス一つで違いを表わす
なんて」と、いたく感動していた。それはそうなのだろうとは思う。しかし、
一点でもって比較できるということは、小ささの証ではないか。それぞれに
ついて別の物差しをもってこざるをえない、というのが曹操ら中国古代の
英雄ではないか。そもそも英雄とは、他者と比較不能だからこそ英雄とされる
のではないか……。
そう思いつつ、頭に浮かんだことがある。首相・小泉は、その小英雄・信長に擬せられることを喜んで
いるという。殺されることを含めてそうなのか、という点だ。
見くびっているのだ。小泉は、本能寺もありえない、一人の明智光秀も
生まれない、と高を括っているのだ。
(2005.12.16)
ためらったが、鋼鉄製の水道管を塩化ビニールにするために来たとのこと。
一人が、メーターのある流し台の下にガーガーと電動ドリルで穴を開け始める。
すると、もう一人が、あれこれ尋ねてくる。そして「賃金はどのくらい?」
というお決まりの質問。
防犯柵工事の時にも聞かれて、まじめに答えたら「高くないなぁ」と
言われ、ちょっぴり気を悪くしていたので「当ててみて!」と対応。すると
「中国の賃金はすっごい差があって、分からない」とのこと。
ふぅーん、と思っているうちに仕事は完了。流し台の下は、赤い粉で一杯。
外壁のレンガの粉だ。えっ、これで終り、いったい塩ビの配管はいつやるの
??と思って聞くと、「まだ決ってないんです」とのこと。
数時間後、アパートの外側を見ると、どの階も同じ位置に穴が開けられて
いた。
(2005.12.15)
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| 凍結した庭園 |
■2005年12月13日、
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| 「仲良きことは……」 |
■2005年12月11日、
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| 石灰を塗装 |
■2005年12月10日、
朝から小雨の一日。しかも冷たい雨だ。 ■2005年12月9日、
とはいえ、10月の連休以来の雨。とにかく、こちらは雨が少ない。たとえ冷たくとも、
大地の恵みとなることをただただ願う。
(2005.12.10)
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| 防犯柵 |
■2005年12月8日、
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| 火鍋 |
■2005年12月7日、
さむい。晴天がつづくが、気温があがらない。 ■2005年12月6日、
新聞によると、今週初めから日々、5℃〜−5℃、4℃〜−4℃といった
状態。この淮安は、緯度的には高知とかわらぬのに、大陸のせいか冷え込む。
寒い、というと思い起こすのは、物体X。物体というより素材といった
ほうがふさわしいかもしれない。粉末状で、いかなるものに対してもよく
溶ける。特筆すべきことは、吸温性が並外れていて、その上、吐出できる
という点である。即ち、その時の暖気(冷気)を吸収、6ヵ月後に吐出する
のである。
よってこの素材Xは、断熱材・断冷材といったものを遥かに越えた
効用を有する。この素材を使用した家屋は、寒暖をいとも簡単に乗り越え
られるのである。
残念なのは、この素材、未だアイディア段階であるが故に、特許・実用新案
等取得するに至っていないのみならず、未だ発見に至っていない点である。
しかし、想像力やアイディアが世界を変えると信ずる。ここに広くこの
アイディアを世間に公開し、開発者の登場を待つものである。
(2005.12.7)
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| 『大長今』の悪役 |
■2005年12月5日、
今朝は格段と冷え込んだ。天気は快晴。 ■2005年12月4日、
はじめてパッチ・セーターを着込むが、なかなか自転車と一体になれない。
でも、サイクルメーターは6000q台へ。この間、転倒一回、電動自転車との衝突一回、といってもどれもたいしたことなかった。
ゆっくり、そしてはやく走ること、それがコツであるように思う。
(2005.12.5)
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| GP |
■2005年12月3日、
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| 淮漣路 |
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| 古黄河 |
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| 能仁寺・妙通塔 |
■2005年12月2日、
日本語の先生方と夕食をともにする。 ■2005年12月1日、
これまでお世話になった
サイトがHP業務を閉じるということで、頭が痛かった。 ■2005年11月26日、
ハルピンから、吉林から、河南省安陽から……といった風に出身地が多様、
そして距離的に遠いという点が、なによりも中国を感じさせられる。
みんな若い20代。ぼくも精神年齢20代。ということで、話がはずまない
わけはない。学生のことから、「東男に京女」とか、京劇は魅力がないと
いった話まで、あれやこれやと。
面白かったのは、河南省出身の先生が「京劇はあんまり面白くないんです
が、豫劇にはひきつけられるんです」と言った時に、他の先生が「豫劇はいい
ですね。私もちょっと歌えます」と合いの手を入れたこと。
豫劇は河南省の伝統的な地方劇。京劇にはない何かが地方劇にはあるのだ
ろうか。
ぼく以外に男性は1人、あとはみな女性の先生。雰囲気とビールに飲まれ
てしまった。
(2005.12.2)
実は、夏休みに東京で光ケーブルの会社と契約、HP付だということで、
大丈夫だと思って戻ってきたのだった。ところが、どうにも自分のHPへの
アップロードができない。しかも、その会社のホームページには、メール
アドレスも記載されず、ただ「0120」の電話のみ。
しかし、海外のここからは0120……には電話できない。9月からずっと
このために頭が痛かった。その会社、堀江某のようにネットでのして、最近
の企業買収さわぎでも名前があがっているところ。
苦労して、なんとかメール先を探し、事情を訴えたところ、「大変申し訳
ありませんが、海外ローミングサービスは現在行っておりません」という
返事。どうやら海外からのHPアップロードはできないということなの
だろうが、「ローミング」とは何という日本語か?
やむなく、若い友人にメール。すると二つ返事でOK。で、めでたく
ここに移動することができた。いやはや、大手のネット業者は当てに
できない。
(2005.12.1)
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| 『大長今』 |
■2005年11月25日、
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| 新図書館 |
■2005年11月24日、
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| 鈴掛けの木 |
■2005年11月23日、
午前中はまた霞、午後になってやっと晴れ曇りになる。 ■2005年11月22日、
私の姓は日本語でどう読むんですか? ■2005年11月20日、
授業で「高きを望んではいけない」という文が出てきて「高き」の説明を
しなければいけなくなった。文語がチラリとのぞくのも日本語の特徴。
杜甫の七律『登高』を例にする。
「とうこう」と音読するのが普通ですけど、「高きに登る」と訓読しても
いいのです、という風に。
ついでに、最初の「風急天高猿嘯哀 渚清沙白鳥飛廻」
を板書して、日本人はこんな風に読んできたのです、と説明。
授業を終えてきて、思った。この詩は、
無辺落木蕭蕭下 不尽長江滾滾来
万里悲秋常作客 百年多病独登台
艱難苦恨繁霜鬢 潦倒新停濁酒杯
と続く。
この「万里悲秋常作客」のフレーズが、チャイコフスキーの『悲愴』
最終楽章を思い起こさせるのだ。この部分、日本語の訓読では伝わらないが、
中国語の音では、さびしさを心の底からかきたてるものになっている。この
詩を朗読するなら、ここで感情移入の程度はひときわ高くなるだろう。
この部分、『悲愴』がいったん第三楽章で終わったかのようでいて、最終
の第四楽章でバイオリンが悲しく問い返す、そのバイオリンの響きそっくり
なのだ。
秋も深まってきた。
(2005.11.23)
外一面、霞がおおっている朝、教室で学生に聞かれる。彼女の姓は、
中国語表記では「庄」。しかし、同じ中国語表記でも繁体字では「莊」で、
日本漢字の「荘」につながる。でも、日本漢字にも「庄」はある。
本来は同一の漢字。それが、歴史的変遷で表記が分かれ、なおかつ
異体字もからんだりする。これがやっかい。
日本語では、「ショウ」というのが古い音で、「ソウ」と読むのが新しい
音です、と答える。すると、「中国の古代思想家の庄子の場合は、ショウで
すか、ソウですか」と聞かれた。
「ショウ」は呉音、「ソウ」は漢音のつもりで答えたのだけれど、言われて
みれば、荘子は「ソウシ」、ショウシではない。すると、荘子が日本に入って
来たのは仏典より遅れていたことになる。
午後になり霞は消え、いくらか視界はひろがったけれど、まだまだ言葉の
世界は闇だ。
(2005.11.22)
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| 鉢池山 |
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| 時刻表@ |
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| 時刻表A |
■2005年11月19日、
女子バレーWGC杯、日・中戦を観る。 ■2005年11月18日、
ゲーム時間帯のせいか、これまで15日の対ポーランド戦、16日の韓国戦、
18日のブラジル戦と日本チームの活躍はいつもゴールデンタイムに生中継
されてきた。
画像は日本からのもののようで、どの試合も日本チーム中心に放映。
大山の姿に心を奪われた。闘う女性、その姿はニキータを思い起こさせる
ものだ。対照的なのが、木村。お嬢さんのような物腰でいて、しかし、
クロスのスパイクを上手に決める。
若い韓国チームで光るのは、17歳のKIM。細身なのに高い打点から
スパイクを打つ。その笑顔もいい。
真剣な眼。ほころぶ笑み。くやしそうな顔。どの試合も一篇の良質なドラマ
のような興奮をあたえてくれた。
しかし、あの館内放送と応援はいただけない。興ざめだ。ディスコなみの
乗りで何語ともつかぬ奇声を発し、「ニッポン」コールを煽る男の館内放送。
それに呼応する黄色の応援バット群。
まるで全体主義国家だ。
(2005.11.19)
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| 耳かき |
■2005年11月17日、
そんなばかな!豆乳1ℓが11元(160円)なんて。 ■2005年11月16日、
1元のものが、11元となっているのだ。「しようがない」「まっいいか」
とも思うが、「たたかわわなくっちゃ」という気持がムクムクとわいてきて、
またスーパーへともどる。
スーパーというと語弊がある。かなり大きいのだ。"TIMES extra"と英語
表記される正式名称「時代超級購物中心」。江蘇省だけで13のチェーン店
があり、食料品・衣料品から本・家電・自転車までほとんどのものを売って
いる。昨日から今月末まで、VIPカードやSONYのハンディカム DCR-DVD602
などが当たる特売セール中。
日本と異なるのは、中に品物を持ち込めないこと。例えば、読みかけの
本を手に持っていたとすれば、入口そばの保管所か無料ロッカーに預けなく
ては入れない。買う物を入れるものも違う。日本同様手持ちカゴもあるが、
もっと大きい(1.2×0.7×1m)の手押しワゴンがある。小さな
子を乗せられるようになっていて、お母さんにやさしい。
どちらも優れたシステムだと思う。
さて、闘う心でいざ「退貨処」へ。怒髪天を衝くいきおいでレシートを
見せると、係の小姐、「ごめんなさい、バーコードの読み取りミスでした」
と、これまたきれいなやさしい声で手際よく処理してくれた。このシステムも
なかなかのものだし、なによりこういったトラブルに習熟していることが
気持よかった。
(2005.11.17)
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| グラウンドでスケッチ |
■2005年11月15日、
今日の二年生の「聞き取り」の授業は、「日本語に見る和の精神」という
もの。内容は以下の通り。
|
聖徳太子17条憲法の第1条には「和」の大切さが強調され、「和」の理念
は日本人の生活の原則となっています。 日本人は会話をしながら、お互いに気持が一致していることを喜びます。そのために、日本人は「私」をはっきりさせて、相手と向かい合って親しく話し合っている最中に「いや、そうではありません」とか、「いや、おっしゃった意見に反対です」とか、「いいえ、それは違います。私はこう聞いています」というように、はっきりと「No」という「反対」の意思表示をすることはあまりありません。 日本人同士の会話では、最後まで言い切らない婉曲な表現が多く用いられます。例えば、「あのう、ここは禁煙なんですけど……」というふうに、自分の意見や感想などをはっきり示さず、それを相手に察してもらおうと、途中で口を閉ざしてしまいます。 また日本社会では、直接な対立をできるだけ避けようということから、はっきりと断らない傾向があります。その際によく使われる「結構です」という言葉は、もともと、十分で満足であるという意味です。一方、「もう結構です」というと、相手から十分なもてなしを受けて、「これ以上は不必要です」の意味になります。 このように「和」を求める意識が習慣として定着しているために、日本人の言葉は曖昧なものになりがちで、「……じゃないんでしょうか」「……と言えなくもないが……」「ご意見はごもっともですが……」などの表現がよく使われます。時には、日本人同士でも判断に苦しむこともありますが、その場合には、話し手の表情を見たり、話の全体的な流れから真意を推測するしかありません。 |
■2005年11月14日、
土豆がおいしい。 ■2005年11月13日、
曇天の日曜日、新聞『揚子晩報』に、「第3次単身ブームが中国を
襲う!」という記事を見つけた。 ■2005年11月12日、
今日のように朝から寒い北風が吹いている日、「土豆」のほくほくさほど
身体を芯からいやしてくれるものはない。
「土豆」、日本語ではジャガイモ、馬鈴薯。「馬鈴薯」は中国語からの
もの。でも、ふつうに呼ばれている「土豆」がいい。電子レンジで4分間
チン、そして、ほおばれる大地の恵み。
(2005.11.14)
今日、結婚しない若者が増加している。それは過去二回の単身ブームと、
決定的に異なる質をもっている。適齢期になったら結婚という伝統的考え
自体がくずれ、シングルがすでに選択肢の一つになっている──という指摘だ。
「なんで結婚するのかしら。一人でいるよりいいから結婚するんでしょ」
28歳になる曹さんは、もし気に入った男と出会わなければシングルを貫く
と断言。
女性のホワイトカラー化とともに、優秀な女性ほど相手を見つけにくく
なり、また伝統的な家観念がプレッシャーになっているという。また、
ベビーシッターなどの仕事で農村から出稼ぎに来ている女性はどうかと
いえば、都会化された意識を持ち、農村の男性や同じ出稼ぎ男性に目は向かず、
といって、都市の男性からは見向きもされない傾向にあるという。
急速に進む都市化は、個の確立を促し、ライフスタイルも変える。むろん、
広大な農村をかかえている中国、同時並行的に均質的に一挙に進むとは思え
ない。さまざまな多様性とアンバランスさの中で、人間のあり方が変わって
いくのだろう。その時、家の意識、家父長制はどうなっていくのか。
もうひとつ興味を抱いたのは、となりの解説記事「新中国、前二回の単身
危機」。こちらもまた興味深い。
「第1次」は、1950〜53年。50年5月に発布された初の『婚姻法』
にともない、全国的に離婚が増加。かなりの人が父母に決められた婚姻から
自由になり、1953年の離婚率(その一年間の離婚数と結婚数との比)は
約53%にものぼった。ちなみに、現在離婚が多いと言われるが、当時ほど
ではなく、2002年の北京市でも離婚率50.9%とのこと。
「第2次」は、1970年〜85年。「上山下郷」でたくさんの青年が
地方農村へと向かい、そして戻った。男性は、その地の女性と結ばれたケース
が多かったが、女性は土地の男性を受け入れがたく、嫁ごうとしなかった人
が多かったとのこと。また出身や政治的背景が問題にされた当時、結婚その
ものがたいへん難しかった。現在なおシングルのままの人もいるとのこと。
(2005.11.13)
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| 胯下橋 |
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| 胯下橋奥の路地 |
■2005年11月11日、
学食で「鍋貼ル」を見つけた。テイクオフにしてもらい、部屋へと急ぐ。 ■2005年11月9日、
昨日から霞が街をおおいつくしている。ビールと一緒に買ってきた新聞
『揚子晩報』をながめていると、「85歳老人、監獄めざして窃盗?」
という記事が眼についた。 ■2005年11月8日、
仕事をしながら何かVCDはないかと引き出しを探して、『猟奇的な彼女』
(中国題名『野蛮師姉』)を見つけた。 ■2005年11月7日、
くだんの新CDラジカセ、DVDは不対応だがVCDは大丈夫(TVにも
接続できる)なので、『サウンド・オブ・ミュージック』をバックグラウンド・
ミュージックとしゃれてみた。 ■2005年11月6日、
日本の焼餃子によく似たのがこの「鍋貼ル」。熱いビニール袋から
いい香りをさせている。一つ二つ食べてもいいだろうと、暗がりの中で口に
入れる。熱い皮が裂け、中の具が口の中にひろがる。その瞬間、焼けた皮の
香ばしさと油が口全体で感じられる。その三位一体、いや正確には四位一体
こそ鍋貼ルの命。
焼餃子との違いはどこか。それは熱い皮が裂けたその一瞬の緊張度が鍋貼ル
にはあって焼餃子にはない、という点だろう。そう思いつつ、熱い皮が破れる
一瞬をつかむべく、三つめ、四つめ、……。
部屋へ戻った時には、半分以上の鍋貼ルが腹の中に納まっていた。
(2005.11.11)
7月4日、広州駅で携帯電話を盗み、10月26日、窃盗罪で一年の刑に
処された老人の処遇をめぐって論議がまきおこっているという記事だ。この
お年寄りの動機がなにしろ「飯を食うため監獄に行きたくてしたこと」なの
だから、メディア的角度からいえば、ほっておけない。
湖南省株州市の出身、1947年に広州に来てからずっと廃品回収と物乞い
をし、一人身のまま定職も持たずにきたという。彼をめぐって起こっている
というその議論は面白い。
・裁判官は、「坐牢求めての盗みは少ない。全国最年長のこそ泥だろう。国が
動き、もし株州に戸籍があるなら、そこの福祉施設で救うべき」とのコメント。
・警察側は、「こういった流れ者(「老江湖」と表現)の話は信じられない。
半世紀も広州にいてなぜ広東語もわからないんだ」
・広州社会科学院研究員は「彼が新中国成立前広州に来たとしたら、戸籍は
あるまい。特例として国は認めるべきだ」……。
しかし、僕が不思議に思い、また好奇心をかりたてられるのは、こんな人
が本当にいたのだろうか、という点だ。その点、警察のコメントは鋭い。が、
「嘘」を暴きたてるに急で対策がない。一方、裁判官・社会科学院研究員
は、その過去よりも彼の年齢と現実を問題にしている。
「天網恢恢……」という言葉があるけれども、このお年寄りが彼自身の言葉
通り、天網を60年もくぐりぬけていたとしたら──と考えると、人間の
可能性は計り知れないと思った。
(2005.11.9)
これは日本でもヒットした韓国映画。型破りの女性が輝いていた。引き出し
にあったのは、その中国語版。
しかし、中国語版といっても、普通語と広東語の二ヶ国語バージョン。
おもしろいことに、新CDラジカセの左のスピーカーからは普通語が、
そして右からは広東語が流れてくる。
むろんこのCDラジカセ、本体とは別にリモコンがあって、どちらかに固定
できるのだけど、そのまま聞いていると同じ音量なのに、広東語のほうが
耳につく。まったく分からぬ広東語のほうが、ちょっとは分かる普通語より
耳に訴えかけてくるのが面白かった。
(2005.11.8)
何を隠そう『サウンド・オブ・ミュージック』は、中学1年生で観て以来、
映画館で通算7回みたもの。だからなぜか、この淮安の部屋にもVCDが
2つあった。
画像ぬきの
『サウンド・オブ・ミュージック』も十分に楽しめる。そして、
画像がないことによって、広がる世界もまた別にある。
彼らは、ファシズムに対してどうしたのか、という点だ。1938年、
オーストリアに侵攻したナチ・ドイツ。9人の家族はスイス(だと思う)
へと逃れる。これが、物語の外枠。
「逃亡者」なのか。そう見るのは、今なお残る日本人的な島国意識。
そういえば、かつて野坂昭如氏が(外国がもし侵略してきたらどうしますか、
という問に)「おれは逃げるな」といったふうに答えたことがあった。
「卑怯者!非国民!」といったくだらぬレッテルなぞ気にしない彼らしさだった。
国境よりも、尊い人間の価値。
(2005.11.7)
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| 新CDラジカセ |
■2005年11月5日、
小雨の一日。CDラジカセを買う。最近、中国でも出版される音声教材は
カセットからCDに移行しつつあるからだ。 ■2005年11月3日、
購入したのは250元(約3500円)。中国・雷登というメーカー製。
同機種では、PHILIPS が最も高額の800元、日本のSANYO は300元くらい
の低額路線で勝負を挑んでいる。全般に「安い!」と思うむきもあるだろうが、
所得と物価の壁がある。以前から主張しているように、ビール大瓶何本に相当
するか、という庶民生活の実態に即した「ビール本位制」で判断する
といいだろう。大瓶ビール1本、2.4元、250元のCDラジカセは実に
ビール104本相当。
……ということで、テレサテンのはずむ声が、その高価格にふさわしく
響いている。実は購入した真の目的は、こちらかも。
(2005.11.5)
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| この木の名は? |
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| クローズアップ |
■2005年11月2日、
「瑪麗蓮・夢露」という語を新聞で見かけた。う〜ん、マリリン
・モンロー。「夢裸」としないところがいい、と思う。漢語(中国語)の
造語能力には、いつも敬服する。 ■2005年11月1日、
「なぜ?どうして?」
自転車通勤となり二ヶ月が経過、朝いつもハラハラしつつ、「???」
という気持で通う。
その昔、コカコーラを「可口可楽(口にすると楽しいよ、といった意)」
というと知って、にっこり。最近は、ミニスカートとEメールが、それぞれ
「迷你裙(あなたを迷わせるスカート、といった意)」、「伊妹ル
(彼・彼女の妹、といった意」と知ってますますニッコリ。
中国では、外来語は基本的に音に合わせて中国語で表現する。その時、
中国語での意味を付与できるところに遊び心をくすぐるミソがある。
この点、日本語では外来語は音そのままのカタカナ表記、中国語のように
「思わずニッコリ!」という楽しさには欠けている。とはいえ、外国語を
ふんだんに取り入れ、「ナウい」など自在な表現が可能であるという点で、
日本語には柔軟であるという別の特徴がある。
だが、最近、この日本語の特質を悪用する人間がどんどん増えている。
「敗戦」を「終戦」と言い換えたのは60年前。今は「改悪」を「改革」
と言い換え、今や「憲法改悪」を、「憲法改定」ないし「憲法改正」
と言い換えそうな気配だ。(マスメディアはどれを使うのか?)
日本語の柔軟さは、平仮名を発明した紫式部など平安時代の女性の慧眼
がもたらしたものだ。それをどこまで壊そうとして止まないのか。
(2005.11.2)
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| 淮海北路の今日 |
■2005年10月31日、
なんで、あんなに残してしまうのだろう。学食で昼食をとり、気になる。 ■2005年10月28日、
しかも、ごはんだけではない。かなりの料理が残ったままではないか。
美食家ではない粗食家の僕は、たまたまレストランへ行っても、いつも
食べ残しに眼が行く。
もしかして、「一人っ子政策」の中で甘やかされて育った若者だけに
限ったものではなく、食についておおらかな中国人気質がそうさせるのだ
ろうか。
昨年7月までいた青島では、年輩の先生から「1960年、61年
の大災害の時は何でも食べました。木の幹も」と伺ったことがある。
もったいない、食べられるだけを頼めばいいのに。そう思って学生食堂を
後にした。
(2005.10.31)
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| 名典珈琲 |
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| 上島コーヒー |
■2005年10月27日、
"COFFEE LOVE"
ではなく、"COFFEE FOLK"(中国名:珈琲人)がそれのようだ。 ■2005年10月26日、
なぜ間違いを消してしまうのだろう。 ■2005年10月25日、
「先生! ひさしぶり。会いたかったのよ」 ■2005年10月23日、
ひき終わるの待ちながら、傍らの雑誌をめくる。すると、『日本人が
戦争責任を直視できない理由』という題名の記事が目につく。
ドイツとの比較で論評し、核心は二つ。一つ、ドイツほどに自由・民主の
思想が普及していないこと。一つ、島国のため内向きの発想であること。
たいした雑誌ではない。『どうダイエットするか』といった記事もある、
いたって通俗的なものだ。しかし、ケチをつけがたい。的確としかいえない。
ひき終ったコーヒーは、マンダリン。500グラム、80元(約1100円)。
輸入物とあって高い。部屋へ帰って飲むと、モカとは違ってとても苦かった。
(2005.10.27)
宿題チェックをしていてそう思った。中文日訳の問題で、その学生は、
熱心に予習し自分で解答を作っていたようだ。たまたま授業で余裕があった
ので、モデル的にその問題の訳を紹介した。今、彼女の宿題ノートには、
僕の解答だけがきちんと書かれている。しかし、彼女の予習の軌跡は、
消された跡のみ残り、完全に消去されている。
こちらの学生は、基本的に万年筆かボールペンを使用し、鉛筆・シャープ
ペンは使用しない。ホワイト修正液もあるが、セロハンテープを使って、
とっても上手に修復する。その器用さには青島時代から脱帽していた。
しかし、なぜ間違いを消してしまうのだろう。そういえば、こんなことも
あった。日本語訳で間違いやすい点を紹介するため、わざと黒板に誤訳を
書いた時のことだ。みんなは、せっせと写す。そして「これは間違いです」
と言ったら、すごいブーイング! かわいいみんなの顔が一瞬にしてこわばった。
あたりまえのことだが、解答は一例でしかない。大切なのは、自分の営み、
なぜ間違ったかを知ること。
文革記念館を主張した巴金の意図はここにあったのではないだろうか。
そして思い出す。文革時代の中国メディアは、劉少奇の画像を消していた
ことを。たとえば、1949年10月1日、毛沢東が天安門で高らかに新中国
成立を宣言した時に傍らにいた彼の姿は消されて、『北京週報』『人民中国』
『中国画報』に掲載されていた。
むろん「実事求是(事実にそって真実を求める)」の今日、こんなことは
ない。たとえば、テレビドラマで林彪は姿を現すことはないが、解放戦争時代
の人物として名前は何度も登場する。
「間違い」については、しかし、「間違いだらけが人生さ」と思う僕は、
もう一つ述べざるをえない。「間違い」とされているものを検証せずして
「間違い」と決めつけることこそ間違いではないか、という点だ。もしかする
と、「間違い」とされているものの中にだけ眠っている大いなる可能性が
あるかもしれない、と思うからだ。
(2005.10.26)
教育実習に行っていた4年生がキャンパスにもどってきた。昨年度、
第二外国語で担当した英語専攻の学生にやっと再会できたのだ。
「わたし、先生やったんですよ、先生!」うれしさいっぱいの顔を眼に
する、こんな楽しいことはない。しかし、「なのに先生、もう私たちを
担当してくれないんですね」
ごめんね、僕にはどこを担当するかという権限はなくて、大学の決定に
そってしかできないの──と言い訳するしかない。でも、慰めてくれる
彼女たち。
「さよならだけが人生だ」という言葉は、ある意味では名言だ。しかし、
そんな人生はクズだ!と思った。
(2005.10.25)
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| 10/20のCCTV-NEWSチャンネル |
■2005年10月22日、
「やられた側は忘れ
ない、忘れられない」と9月5日に書いたけれども、それは正確ではない。 ■2005年10月21日、
不思議なことに休みが近くなると天気がくずれる。 ■2005年10月20日、
韓国連続TVドラマ
『頑張れ!クムスン』が終わった。 ■2005年10月18日、
一人悶々としているのは柄ではない。天気につられて教科書のことで担当主任に話をしにいく。 ■2005年10月17日、
日本の首相が靖国参拝をしたというニュースをラジオで聞く。 ■2005年10月15日、
昨日の方言に
ついて、さっそくメールをいただいた。
薄曇りの一日、日本のサイトワッチをしていて、「日本の化学兵器の
中国遺棄問題」を見つけた。その問題提起に敬服。
かつてアメリカがイラクのフセイン退治に赴いた大義名分の一つが、
「化学兵器を使用し、なおかつ保有している」という理由だった。「日本国」
はそれに賛同し、協力した。その時、過去に化学兵器を使用したことがある
アメリカと日本国が、自分たちの血に汚れた手を直視せず、侵略を正当化
する理由に掲げていることの破廉恥さを思った。
「やられた側は忘れない、忘れられない」というのは、正確さを欠いている。
なぜならそれは過去ではなく、いまなお今日的問題なのだから。
(2005.10.22)
そこで、せっせと準備。今は5科目担当なので、やってもやっても準備は
追いつかない。でその一つ、来週から入るくだんの
教科書、最初がなにしろ山崎正和の『劇的なる日本人』からの一節なのだ。
30年以上前に書かれた評論。しかし、鋭い。これほどに鋭角な論理を
展開できながら、なぜアメリカのイラク侵略を彼は支持したのか?──と
思いつつ精読すれば、教科書の語彙脱落や誤字が目につき、がっかり。
さっそく、友人に確認のメールをした。
(2005.10.21)
夜の10時から50分のドラマを土日も欠かさず毎日3本づつ放映、
いつも次回への思いをかりたてて幕切れとなるため、いやはや、睡眠時間
をずらしてまで観る毎日だった。
若く、どこまでも純粋に、人のことを考えて生きようとする女性が
主人公。そのひたむきさに打たれ、いつのまにか、題名の「頑張れ!」
を叫びたくなる。彼女の前に立ちはだかるものは何か。女性の嫉妬、
そして、家、あの封建的な家秩序。
『冬のソナタ』を初めとして、かなりの韓国TVドラマを見てきたが、
生きることを励ますドラマとして屈指のもの。また、「封建的家秩序」
への切り込みも他作品にはあまり見受けられなかった点だ。
この地で購読者が多い新聞『揚子晩報』では、ヒットランクの1位に
入っていた。いったい、中国の人はどんな点に引きつけられているのだろう?
(2005.10.20)
主任の部屋をさがしてウロウロ。すると顔なじみの英語の先生が声を
かけてくれる。しかも、なんと彼がその主任!気のいい人で、すれ違う毎に
きまって声をかけてくれる人だ。
率直に質問した。「どんな経過だったんですか」僕の意見を受けて
早速、学生を招集、ていねいに2つの教科書を見比べ、僕が推薦したのは
やさしすぎるという意見が大半だったとのこと。
「その点なんです、問題は。あれは北京大学・清華大学の日本語専攻で
使ってるもので、やさしいなんてどうして言うのかな。語句や句型・文法
説明、それに練習問題もとてもていねいに作られているし。学生にそれほど
の判断能力があるとは思えません。日本語の先生が決めたのなら納得できる
んですが」
すると、「お話、よく分かります。ただ、使用教科書によって大学が評価
されるという事情があり、先生推薦のは、あまり知られていないんです。
それに対して最終決定したものは、南開大学出版のもので著名なんですよ」
よくある定番志向。そこで、「外見で決めるなんて!人間なら、何を着、
どこに住むかなんてことより、大切なのは何を考え何をするかですよね。
教科書で大切なのは、学生にとっていいものを選ぶことじゃありません?」
と切り返すと、苦しそう……。
日本語専攻ができてまだ3年目という事情もあり、これからは中国人の
日本語の先生の意見を尊重するようにお願いします──と言って席を立った。
「貴重な意見ありがとうございます。気をつけて」とわざわざ部屋の外まで
送ってくれた。誠実な紳士的な対応だった。
(2005.10.18)
1945年まで日本軍国主義の支柱であり、今なお「大東亜戦争」肯定
論をとなえ、A級戦犯を祀っている一宗教法人を参拝することの意味は、
明確。しかも、参拝は「不戦の気持をこめて」行ったと言う。
こういった非論理的行動には、論理的に対応できない。しかも、彼は説明
すらしない。ただ情緒的な賛同者ばかりが感激し、陶酔する。これは、
ファシズムではないか。
この参拝で貶められたのは、日本人とその思考法だ。日本人とは、今に
なってもこのように非論理的であり、よって彼らの言葉・日本語も非論理性
の体系(いや断片の集合)と思われても当然だ。
言葉を軽視し思考を回避し、そして理性を失っていった、それが1930
年代、ファシズムの時代。
(2005.10.17)
| 「上海や江蘇や浙江など呉方言地域では,古漢語の発音が残っているので日本語の数字の音読みに近い発音があります。音読みはそもそも中国語発音の日本語なまりなので当然ですよね。ただし文化伝来の歴史が長く時代によって伝わってきた音が違うので,現在の中国語発音とずれてしまっています。ちなみに呉方言辞典で6は Lo,2は Ni です。たぶん正確に書くと6はLokなんでしょうね。(一部修正) |
■2005年10月14日、
ビールで、当たり!が出た。 ■2005年10月13日、
どんよりと曇り、昨日まで続いた秋晴れも今日はおあづけ。曇天と呼応する
わけでもないが、落ち込んだ気持になった。それは教科書が理由だ。 ■2005年10月12日、
5日前の何という鳥?
という疑問に、早速メールをいただいた。 ■2005年10月10日、
皮肉なことに国慶節連休明けの8日からずっと快晴の日々。空気もカラッ
として、湿気が多かった日々を一掃。とはいえ、今日は、
イベントの付けがあって、朝一番から夜遅くまで授業で、フーッ。
3往復もしなければいけないのだ。 ■2005年10月7日、
額はたいしたものではない。5角、つまり1元の半分だから、日本円で
7円。しかし、王冠にしっかり、「伍角」と記してあるのを見ると、
やった〜!と心はうきうき。なにかいいことが起きそうな予感がする。
前にも記したように
さまざまのビールがここでは手に入る。しかし、それはスーパーでの話。
今は、もっぱら歩いて30秒の雑貨屋で購入する画像右の江蘇サントリー製
プリンスビール。スーパーより1角安い値段で、しかも空き瓶のデポジット
をやっていて、2.5角で引き取ってくれる。だから結果的に、1本2.15
元と割安なのだ。
しかも、この雑貨屋のおばあさん、方言がすごくて、「6」と
いう数字を日本語とよく似た「loku」と発音する。日本語の「6」は
もしかして、この辺りから届いた贈り物なのでは?と思って、おばあさんが
「6」を言うたびに抱きしめたくなる。
(2005.10.14)
ことのいきさつは、こうだ。これから入る予定になっている3年生の精読用
教科書が難しすぎる。日本で言えば、高3レベルかそれ以上。しかも注釈は
ほとんどなく、練習問題も少ない。意を決して、学生のレベルに対応した別の
精読用教科書を提案した。
結果として提案は却下された。それはそれでいい。問題は、どんなプロセス
で却下されたかだ。日本語教師が検討したわけではない。なんと、教科書採択
担当主任(非日本語教師)が学生たちの意見を聞いて、前から予定され
ている教科書に決ったというのだ。学生たちの主な意見は、僕が提案した
ものは「やさしすぎる」だったとのこと。
プロの眼を信じずエセ民主の手法に頼るやり方は、かつて述べた
授業評価表なるもの
と同じだ。「やさしすぎる」と評価した学生たちは、エセ民主の最大の
被害者になることを分かっていたのだろうか。
そして、もう一つ分かった深刻な問題がある。中国人の日本語教師に、
教科書決定の権限がないということだ。そもそもの難解だと僕が思った
教科書を決める過程で、意見の聴取すらないままに、日本語教育と無縁の
教科書採択担当主任が決定したとのこと。
プロである現場教師の意見をなぜ尊重しないのか?思えば、これは日本の
公立学校の教科書採択の手法と同様だ。しかも、彼の地ではエセ民主さえない。
(2005.10.13)
「リヤカーに乗っていたのはたぶん鵜飼の鵜ですよ。江南でも鵜飼
は結構見られます」
なるほど、鷲や鷹だったらあんなふうにおとなしく坐っていないだろうし。
でも鵜だとすると、魚を捕まえさせるのかな、どんな魚を……などと新たな
疑問が。
簡単なことだ。直接、きいてみればよかったじゃないか。──そういう声が
聞こえてくる。外にいるだけで、中に入ろうとしない。もったいないことだ。
ベランダ・サンルーム
で、秋の日差しにうっとりしながら、そう思った。メールありがとう。
(2005.10.12)
でも夜の3往復目は、スクールバス。バスから見る街路は昼の自転車から
見るそれとは、まったくの別物。街路灯が照らすセピア色の路。
道行く人々、垣間見られる店や家々。すべては、神秘性をおびているではないか。
このセピア色の光景は、……そう、1978年の上海・南京東路で見たもの
と同じだ。そして、往年のアメリカTVドラマ『アンタッチャブル』の世界だ。
美男子ではない精悍なロバート・スタックが演ずるエリオット・ネス。
そして、なんとも憎らしげな敵役のフランク・ニティ……。
セピア色の風景はいつか消えていくものだ。しかし、記憶の世界ではそう
ではない。
(2005.10.10)
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| 総督漕運部院 |
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| 漢韓侯祠 |
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| 鳥の名は? |
■2005年10月6日、
出かけたいのに、この連休はずっと雨と曇天。項羽も劉邦も飛んでしまった。 ■2005年9月30日、
床屋に行く。 ■2005年9月27日、
「上官」という方に出会った。 ■2005年9月26日、
日本のマスメディアはおかしい、批判力がどんどん後退している。 ■2005年9月25日、
曇り。ぐっと冷え込んだ。もうTシャツ・短パンでは寒い。 ■2005年9月24日、
しかし、うれしいことがあった。昨日、教員食堂でいっしょしたニューヨーク
育ちの先生がコーヒーをプレゼントしてくれたのだ。
片言の英語で、「先生、インスタントコーヒーじゃなく、ひいたコーヒーが
買えるところ知ってませんか」と聞くと、箸をやすめて一所懸命に教えてくれた。
なかなか分からなかったけれど、どうやらこの淮安の「コーヒーラブ」に行けば
買えるという情報だけは聞き取った。
さっそく、アクションを起こしたのだが、どうにもこうにもその「コーヒー
ラブ」は見つけられず、がっかりしたのが昨日。しかし、わざわざ僕が好きだ
と言った「モカコーヒー」を届けてくれたのだ。
「人有鄰」、ひさしぶりにドリップで味わう「モカ」の香りとこくは、
当然のことだがネスカフェとは全く違っていた。
(2005.10.6)
明日から10月7日まで国慶節の連休、その前にさっぱりしておこう
というわけだ。連休には、項羽の宿遷、劉邦の沛県にでも行こうと思って
いる。両方行っても、2泊3日で十分。
「好きにやって。それでブーブーやってね」と電動バリカンを指差して
もうルンルン。連休の上に、今日は若い可憐な床屋さん!
10分後、目を開けると、しかし鏡に待ち受けていたのは竹中直人顔だった。
(2005.9.30)
雨のため、スクールバスで宿舎から北校区までを往復。隣になった人に、
「どこの学科?名前は?」と聞かれ、「外文系で○×って言います。でも
○が姓で×が名ということでなく、○×の両方が姓なんです。日本では漢字
二字姓が多いんです」と答えると、彼も二字の姓だという。
中国人の姓で漢字二字は珍しい。複姓といって、司馬遷の司馬とか、諸葛亮
の諸葛などがあるというのは聞いたことがある。でも、直接会ったのは皇甫
という学生につづいて二人目。
化学の上官先生、なんかとってもすてきな人に会えた気がした。自転車通学
ではありえない。雨の日のバス通学もいいものだ。
(2005.9.27)
夏休みに東京で、衆院解散から総選挙前までの報道を見ていてそう思った。
メディアの偏向は当然のこと。だが、報道しないことが多すぎる。報道しない
ことによって、現体制を肯定している。
森田実氏のページを見ていて、ますますその気持を強くした。
(2005.9.26)
しかし、そんな日曜日の今日も、「軍訓」はつづいている。
一昨日書いたもの
とはまた別の側面もあるかもしれない。
日本企業のどこだったか、新入社員オリエンテーションで海岸ダッシュなど
の特訓を課す会社があった。ばかげたことだ。佐高信いうところの「社畜」
養成以外の何ものでもない。
では、こちらの大学でのオリエンテーションはどうなのか。事は、理に
かなったものなのか、どうか、だろう。もう少しきちんと見てみよう。
(2005.9.25)
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| 『頑張れ!クムスン』 |
■2005年9月23日、
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| 「軍訓」 |
■2005年9月21日、
宿題チェック。そのうちの「〜だけに」という言い回しを使っての短文
づくり。 ■2005年9月20日、
本来は授業の日、しかし、イベントに参加して──と連絡があり、
朝から夜までまる1日参加、くたくたになった。 ■2005年9月17日、
市主催の「賞月晩会」に参加してきた。この地にいる30人ほどの外国人教師
を招待してくれたのだ。 ■2005年9月15日、
サイクルメーターが5000qを突破! ■2005年9月12日、
新学期になり初めて宿題を提出してもらう。この週一回の宿題チェックが実は
難題。短文作成、中文和訳、文章読解とふんだんにあり、毎回、思いがけない
答に頭をひねくりまわさざるをえないのだ。 ■2005年9月10日、
「父がひとつ農村の百姓だだけに、私はさらに彼に心から敬服します」
と書いてきた学生がいた。間違いだらけだけれど、その気持にゆさぶられた。
(2005.9.21)
午前中は江蘇省第4回園芸博覧会開幕式から始まる。昨年からよく自転車
で通りかかった野原というか窪地というか、そこが鉢池山公園という
立派な名前がついて、面目一新、樹木や花々がきれいに植えられていた。
外国人なので「嘉賓」として参加。一昔前の中国でよく見られた歓迎をうけて、
ちょっとまいった。
ドンドーンという花火で開幕式が終わって、ここもよく自転車で走る経済
開発区を見学。見学自体はたいしたことはなかったが、その後、経済開発区
管理委員会ビルで説明会・質疑応答があり、おもしろかった。この場には、
アルゼンチンの領事や、海外企業家も来ていた。
「この経済開発区の特徴は、賃金は平均月給700元(約1万円)で、
出稼ぎ労働者でなく、当地の労働力に頼っている点です。そのための教育は、
4つの大学やいくつかの訓練センターなどで、毎年3万人の若い新しい労働
力を生み出しています」
学生を「労働力」と見なす考え方は、ぼくの中にはなかった。企業という
観点から見れば、当たり前のことなのだろうか。
昼食を市内で最高級の「迎賓館」でいただくと、午後は市の指導者たち
との会見。座席序列が中国側、外国人側ともにしっかり決っているのが、
滑稽。トップは「市長」ではなく、「市委書記」。
夕方からは、屋外体育館で園芸博・美食節記念イブニングパーティ。
ざっと見渡して、2万人の観客。羽前といった若い人気歌手の歌がつづく
のだが、グランドにある座席から見る舞台はとっても小さく、といって大液晶
パネルを見続ける元気もなく、若者向けの歌にも興奮できず、切符に書かれ
たチケットの値段、1800元(約2万5千円)分を楽しむことなどとても
できなかった。
やっと終り、花火と爆竹の中、屋外体育館のすぐ裏にある部屋に戻った
のは、11時前。そういえば、去年の
ドカン・ドカンはこれだったのだ。
(2005.9.20)
明日は、中秋節、こちらではお正月(春節)に匹敵するような大きな季節
行事。会場は、市内屈指の有力デパート、いや、その前の小広場。招待側の
市長を含む中国人と我々外国人は、あらかじめ設定された赤じゅうたんの
敷かれた座席にゆったりと着席。それを、通りがかりのこの地の人々が囲んで
いた。間にいるのは、警備員。
「賞月晩会(月見の宴)」は、まず祝辞から始まった。市長、市外事主任、
協賛デパート社長……。僕はこの晩会の前の宴会でしっかりビールをいただ
いたためもあり手洗いにたち細部はわからぬが、英語の通訳もつき、延々
20分は続いた模様。そして、淮安TV局アナウンサーの流暢な司会のもと、
プロの歌手や、外国人教師の歌や演奏がつづいたのだが……。
いたたまれなかった。「外国朋友(外国人の友人)」をもてなそうと
いう趣旨はありがたいと思いながらも、ゆったりと坐ってプログラムを見て
いる僕らと、立って見ることを余儀なくされている当地の人々。子供たちは
こちら側に入って坐りたがる、それを規制する警備員。
こちら側とあちら側、それがいやだ。たとえ唾を吐きかけられようと、
肩と肩がぶつかろうと、そちらのほうがましだ。そのためにこそ、ここに
いる。日本ではちょっと手に入りにくいデラックス版月餅と協賛デパートの
VIPカードをもらって帰ってきたけれど、この思いにかわりはない。
(2005.9.17)
青島からここ淮安へ来て1200q余りを走ったことになる。だが、一年で
この距離はあまりに少ない。自転車人間としては恥ずかしいほどだ。
9月からは「足で走る感覚」を忘れてはならない、と思い起こし、短くとも
毎日ジョギングをすることにした。足で大地をふみしめ、蹴ること。そして、
大地・地球を腕で支えることも……ということで、逆立ちもすることにした。
なぜ?といえば、直接的目標はともかく、究極的にはおいしくビールを
飲みたいということにつきる。
(2005.9.15)
ところが、集めた宿題ノートをちらりと見てみると、なんとノートの間に
手紙がはさんであるではないか。それも一人二人ではない。えっ、これは何!
もしかして?──と突き上げてくる思い。
だから、久しぶりの大雨でベチョベチョになろうとも、強風で傘が裏返し
になろうとも、そしてバスがぎゅう詰めであろうとも、
部屋へ急いだ。「走れメロス!」内なる声が叫ぶ。はるか昔の高校時代、
そっと下駄箱に手紙を差し入れる彼女の姿をかいまみたことがあった。
あの時、感じたえもいわれぬ嫉妬の思いが、今、この僕に全く逆の形で訪れ
ようとしている!
いや、しかし、そうではなかった。やっぱり!9月10日はこちらの「教師節」。
学生諸君が教師に感謝の意を表する日。その思いをこめて書かれた手紙だった。
(2005.9.12)
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| 『文明言行提示』の看板 |
■2005年9月7日、
大学そばの二軒のレストランがつぶれた。 ■2005年9月5日、
「わーい、日本鬼子!」 ■2005年9月4日、
日曜なので、テレビをつけると「抗日戦勝利60周年記念番組」をやって
いて、昼間ずっと観てしまった。 ■2005年9月2日、
授業からの帰り、タクシーのデモを見た。 ■2005年9月1日、
新学期。二か月ぶりに見る顔、顔。教師をやっていてよかった、といつも
思う嬉しい一瞬。 ■2005年8月30日、
淮安にもどるべく、成田から上海行きのノースウエストに乗る。 ■2005年7月8日、
一軒は卓数が8つほどで、中級の中華料理店、もう一軒はかなり高級な
大規模ブラジルレストラン。どちらも、6月末頃閉店し、改築工事にかかって
いた。
いったい何に生まれ変わるのだろう?と興味津々。で、ぶらりと行って
みると、どちらも中国移動通信(CHINA MOBILE)になり、中は若い人で
いっぱい。これは、ケータイ専門の会社だ。
なんとなく「郵政民営化」後の郵便局を思い浮かべてしまったが、それも
弱肉強食の市場経済たるゆえんなのか。しかし、ケータイは食べられえない。
この調子でケータイ会社ばかりに席巻されてはたまらない。
盛者必滅、って言葉もあるんだゾ!とつぶやきながらもどってきた。
(2005.9.7)
教職員居住区にもどると、小学生、それも1・2年生ぐらいの子ども達が
戯れに言い合い、はやしたてていた。子供の遊びにも、テレビの抗日ドラマ
は影響しているかのようだ。
だがそれはテレビのため、とだけはいえない。お祖父さんお祖母さんから
直接「日本鬼子」というものを伝えられ刻み込まれた民族的傷痕は、簡単に
消えるものではあるまい。時の政権やメディアなどとは無関係に脈々と続く
ものではないか。
やられた側は忘れない、忘れられない。やった側は、やったとも思わない。
(2005.9.5)
1931年の「満州事変」から1945年9月のミズリー号での調印まで、
多くのニュースフィルムをはさんで、体験者のインタビュー、そして解説者
の話まで、なんともこくのある番組だった。
その中には、広島・長崎も含まれていて、録画だったが原爆ドーム・平和
公園を背景に原爆の事実を淡々と紹介していた。
(2005.9.4)
健康西路にある市政府(市役所)前は人の波。「何かな」くらいの思いで
通り抜けてしまったが、目抜き通りの淮海北路に折れると、片車線にタクシー
がずらっと並んで止まったまま。
タクシーの数は合計数十台、百台にものぼる数。いずれも車体は茶色。
その色が、整理に当たる警官の制服の薄青色と、かわいた舗装道路の上で
不思議な色のコントラストをなしていた。
(2005.9.2)
それにしても涼しい。この涼しさは、この季節、蒸し暑いのが普通のここ
(大陸)には珍しいものだ。それは、自転車で走って教室に来たからなのか。
そう、この新学期から外国語学部は移転した。これまで職住一体の同じ
キャンパスから、「北校区」と呼ばれる所へ外国語学部は移転したのだ。
しかし、外国人教師の居住区は前のまま。よって、市中心から農村に近い
北へと授業のたびに通うことになった。それが涼しさを感じさせたのか。
僕にとっては嬉しい移転。片道6.3キロの道を、毎日、自転車と
話しながら行ける! 毎日風を感じながら走れる!
(2005.9.1)
上海・成田間で一番安い飛行機がノースウエスト。で、7月に往復
チケットを購入したきた。しかし、「E−チケット」という新システム
を導入していて、航空券自体が配布されない。成田へ来る時も不安でたまら
なかった。
その不安は、しかし無事にチェックインできたので消えた。とはいえ、
その後の荷物チェックの厳しさはひどいもの。ライターは機内持ち込み不可、
手荷物は全てを開けさせられ、一つ一つ品物をチェック。この携帯PCは
電源まで入れさせられた。そのどれ一つとっても生まれてはじめての体験。
「テロ対策」との説明があった。一点の理をもって全てを敷衍化する、
それはファシズム。売り物にしている「人権」はどうなったのか。「人権」
抑圧を根拠に侵略戦争と呼ばれようとも果敢に他国に軍隊を出す国では
なかったのか。なのに、飛行機搭乗者の人権はないのか。今やアメリカこそが、
「ならず者国家」ではないのか。
うんざりして飛行機に乗り、そして食べた機内食も、あんな荷物チェック
が初体験だったように、生まれて初めて食べるまずいものだった。かつて
何度も乗ったノースウエストとは全く別物だった。
(2005.8.30)
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| 洪澤湖 |
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| 汴河 |
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| sui河 |
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| 雪楓陵園記念塔 |
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| 雪楓陵園の梧桐 |
■2005年7月4日、
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| 『東アジア三国の近現代史』 |
■2005年7月1日、
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| 『人魚お嬢さん』 |
■2005年6月30日、
試験の帰りに次学期の教材をもらいに行く。 ■2005年6月29日、
NHKの海外放送をかけていたが、あまりのつまらなさに、北京放送の
日本語番組を聴いてみた。 ■2005年6月28日、
劉連仁さんの高裁判決が出たことを知った。 ■2005年6月27日、
学期末試験の問題を提出。先学期、試験問題作成
でかなり苦労したので、今回はそんなことにならないようにしよう、と心構え
していたものの、やはり苦労してしまった。 ■2005年6月25日、
親しくなった中国人の先生と二人で飲む。一年間仕事を休んで修士論文
に臨むとのことで、もしかしたら会えなくなると思ったからだ。(僕は、
もう一年だけここで仕事することにした) ■2005年6月23日、
ゴザが支給された。ベッドに敷くものと、枕カバー用と二つ。 ■2005年6月20日、
次学期というのは、9月から2006年1月まで。まだ具体的にどの
教科を担当するのか知らないのに、「図書館の教材コーナーに行けば分かる
から」と教務処(日本の教務部と同じ)の教師が言うので、行ってみた次第。
しかし、案の定、教材コーナーのスタッフも分からなくて、まったくの
お手上げ。一昨昨日の官僚主義とまたまた遭遇か、
と一瞬気色ばんだ。
しかし、この教材コーナーの女性スタッフ、「あぁそうですかぁ」と即座に
電話して手配。こういう膠着状況はお手の物のようだ。そして、「ちょっと
待ってね。今、届けてくれるから」と言って、それから、あれやこれやと
四方山話。
あげくの果てに「先生、今おいくつ?」と来た。来たな、と察したこちら、
「さあいくつでしょ、当ててみて」とさわやかにかわしたところ、「ん、20
台、ではないですよね。30台かな?」とこの女性、自身と同じ年齢を僕に
見てくれたようだ。
「ありがとう」と思わず心からの感謝の気持が口をついて、そんなこんな
しているうちに、担当教科と必要教材のリストが届き、どっしりと重い教材
を抱えながらも、はずむ心で部屋へと向かった。
非能率性が官僚主義の弊害であることはもちろんだ。しかし、能率主義が
人と人とのコミュニケーションを奪うこともある、と痛感。
(2005.6.30)
これが、なかなか面白い。アナウンサーの日本語がとてもきれいで、もし
かするとNHKも顔負け!そして秀逸は「お便りコーナー」。意外な質問、
硬い質問にも、淡々と答える若い女性アナが素敵。どんな人かな?と顔まで
想像してしまった。
実は、北京放送の日本語放送をはじめて聴いたのは、今から40年以上も
前。「日本の同志のみなさん、友人のみなさん」という呼びかけが所々に
入って、とってもまじめな内容で、おもわず正座してしまった僕がいたっけ。
しかし、今では寝ころがって聞ける北京放送。とってもいいことだ。
(2005.6.29)
劉連仁さんは北海道に強制連行・強制労働をさせられていて、1945年
逃亡。日本敗戦を知らないまま、1958年に発見されるまで実に14年間
にわたってたった一人、北海道の山野を徘徊していたという。
『穴にかくれて十四年』という本を1970年ごろに読んでショックを
受けた記憶がある。
一審地裁勝訴、二審高裁敗訴。日本の裁判所は上へいくほどおかしい。
判決理由をサイトであれこれ見てみたが、これが法理論にそったものなのか。
とても納得できるものではない。理論としてハチャメチャだと思う。
また朝日は社説で、2000万円という賠償請求額をとりあげて、裁判で
はなく民間で賠償できないか、といった主張を展開している。これも、
筋違い。
(2005.6.28)
そのわけは、試験問題を2本提出しなければいけないこと、提出に当たって
いくつかのめんどうな手続きが必要なことだ。試験問題を2本提出するという
のは、不合格者の追試のためのもの。これは、わからないでもない。しかし、
問題は、提出に当たってのめんどうさ。
ぼくは思わず、「これが官僚主義というものですね」と怒鳴ってしまった。
しかし、言われた相手は、そういわれても困る、いわば同僚。
もちろん、その後、その同僚には「すみません」と謝ったけれど、少なく
とも官僚主義的であることにまちがいない、と思った。
(2005.6.27)
驚いたのは、ソーローの『森の生活』を知っていたこと。彼は、もともと
中国文学専攻でありながら、英語は堪能。元中国文学専攻?のたよりない僕に
最初、英語で話してきたので困ったほど。
まだ若いのに結婚していて、結構大きな子どもがいながら、41歳になった
ら、中国の奥地で自然にもどる生活をするのが彼の望みであるという。
で、ソーローの話になったしだい。そして、彼は熟知していた。「中国の
老荘を彼は体現していたともいえるのでは?」と聞くと、「そう言えますが、
決定的に違うのは、中国の場合、例えば陶潜がそうであるように仕官して、
意にそぐわない時、自然の世界にもどろうとするのが常でした。しかし、
ソーローはまったく違います」
こういう人がこの地にもいるということが驚きだった。改革開放の時代、
つまり金儲け至上主義の時代になっても、人間にとっての本質を求めようと
する人が、ここにいる。
(2005.6.25)
い草の匂いがプーンとして、ひんやりとした身体感覚だけでなく、
嗅覚からも体感温度を下げるようだ。これだけで、5℃は違う気がする。
青島では見かけなかったが、ここは、い草の文化が生きている。
(2005.6.23)
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| 今日の「ねむの木」 |
■2005年6月19日、
風邪を引いてしまった。 ■2005年6月16日、
たまたま、立花隆の『メディアソシオ・ポリティクス』というHPを知った。
これは、明らかにエアコンのせい。ここのエアコンは暖房は弱いのに、
冷房は強力。除湿(中国語では抽湿)にしても、かなり強いので、元来
繊細なせいか?、やられてしまった。
暑い外を鼻水をグズグズたらしながら歩く自分がいる。
(2005.6.19)
靖国神社について、書かないといけないかなと真面目に考えていた矢先、
立花氏は、「反日デモ」当時から論陣をはっていたのだ。そして、そもそも
の首相の靖国参拝についても、分かりやすく問題を指摘している。
首相・小泉に対して、若干甘いかな、という印象をもったけれど基本的な
点では同意できる。
(2005.6.16)
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| なじみのビール諸君 |
■2005年6月12日、
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| 何という木? |
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| 花の部分をクローズアップ |
■2005年6月10日、
新聞『現代快報』の一面に、「権威ある本が日本右翼に反撃する」
という見出しがおどっているので、早速買ってきて読んでみた。新華社
によって配信されたもの。 ■2005年6月8日、
全国統一試験が昨日からはじまった。「高考」と呼ばれ、その得点によって
入学できる大学が決定する。大学二年生の学生の話では、自分たちが受験し
た一昨年は、710点満点で590点を取らないと、江蘇省の名門・南京
大学には入れなかったという。 ■2005年5月30日、
続けて「韓国ドラマ」の『ガラスの靴』を見終える。昨年12月にテレビ放映
されながら、冬休みで終りまで見きれないでいた。 ■2005年5月20日、
「韓国ドラマ」にすっかりのめり込んでしまった。 ■2005年5月18日、
中日韓三カ国の学者が共同編集した『東アジア三国の近現代史』
の中国語版がいよいよ9日に出版の運びになったという報道記事と解説記事
で、タブロイド版、合計1ページ半を使っている。この本は先月、日本で
『未来をひらく歴史──東アジア3国の近現代史』(高文研)という形
で出版されているものだ。
報道記事には、「歴史読本は三国の共通した歴史観をおしすすめる」
「南京大虐殺について各国の学者に意見の相違はない」「日韓両国での
売れ行き良好」といった見出しがついている。
解説記事の見出しは、「正しく歴史を知り、東アジアの平和を構築しよう」
というもので、編纂者の一人・朱成山という学者にインタビューして書か
れたもの。
2001年から作業は始まり、3カ国・40人の学者の手によって完成した
とのこと。一国史観にこりかたまりやすい近現代史、こういった本がどんどん
出版され、「国家」を越えて生きる人々が多くなることを望む。
(2005.6.10)
全国で今回800万人が受験するこの試験、すべてコンピュータ処理されるの
かな、と思っていたが、国語では800字以内の作文が課せられているという。
科挙の伝統はなお健在だ。
この作文、全国共通が基本、しかし14の省では独自問題とのこと。
北京は「『安』が題名。ただし、安全・安定・安寧などと解釈
していい」、
広州は「記念」、浙江省は「一枝一葉一世界」、天津市
は「明日に残す」……
いったいどんな基準で採点するのだろう。
(2005.6.8)
全50回という長編。中国の章回小説でいえば、いいところで「下回分解」
となる。連続ドラマとしての作りがうまい。こちらとしては、DVDという
こともあり、一気に見てしまった。
だが、良質の長編小説、たとえば『モンテクリスト伯』などと比べて、
鑑賞後に心に残るものが少ないのはなぜか。それは、なにも目がショボショボ
になってしまったためだけではあるまい。
ストーリー展開のうまさはあっても、ストーリー全体を通して訴えかける
ものがない。主張あっての技巧なのだ。
(2005.5.30)
ユン・ソクホ監督の『秋の童話』『冬のソナタ』『夏の香り』の三部作を
とっくりと中国語吹き替え・字幕で堪能。
三作では、やはり『冬のソナタ』がよくできている。音楽もいいし、しかも
映像とよくマッチしている。この点、『秋の童話』は、『禁じられた遊び』の
主題曲を使用するという間違いを犯してしまっている。ストーリー的には、
『夏の香り』は意外性もあって面白かった。しかし、結末をまとめきれて
いない。
いずれの作品も、ヒロインがすばらしい。男優はヨン様を含めて全て落ちる、
というのは僕の趣味か。三作共通のテーマ、「失われた過去を求めて」
は、第4作目『春の○○』でも踏襲されるのだろうか。
(2005.5.20)
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| 淮安のプラタナス |
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| 南京のプラタナス |
■2005年5月15日、
このまま夏が来るのかと思ったが、そうではない。この4日、ずっと天気は
曇り、外へあまり出る気にならない。 ■2005年5月10日、
昼食時に、学生と話す。 ■2005年5月2日、
……ということで、DVDレコーダーを買ってきた。
『記憶の証明』などのDVDも一緒に購入。
(2005.5.15)
「先生、ゴールデンウイークはどこへ行きましたか?」、「うん、僕は友達
が東京から来たので、南京と上海にね」
「南京は5月1日に、上海は4日にデモがあるって聞いたんで、参加したい
と思ったんだけど……」「えっ、日本人なのに、日本に対するデモに参加する
って?それにそのデモ、違法です」
国というものを、そして時の政府というものをかたくなに信じている学生が
ここにいた。
(2005.5.10)
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| 南京長江大橋から見る長江 |
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| 下から見た南京長江大橋 |
■2005年4月27日、
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| 梧桐 |
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| クローズアップした梧桐 |
■2005年4月25日、
寝る前に、思った。 ■2005年4月23日、
せっせと仕事。授業で使っている2冊の教科書と取っ組み合い。 ■2005年4月22日、
小泉首相がバンドンで「平和の誓い」演説を行ったその日、日本では
80人もの国会議員が靖国参拝をしたという。
その参拝光景が何度もなんどもTVで報道される。すると、日本という国は、
首相がああいう演説をしながら、実はかつてのファシズムを何ら反省しない国
であるというイメージが、くりかえしばら撒かれる。
一方、中国の「反日デモ」の暴走シーンが繰り返し報道される。すると、
当然、「警官が暴走をくいとめないひどい国」というイメージがばら撒かれる。
報道されたものは、ある事実であることは確かだ。しかし、その一点
の事実は、どちらもその国のすべてではない。
「ある事実」の蔭にある数百万の事実をないがしろにして、「一点の事実」
だけをクローズアップして報道した時、生まれるものは虚像だ。そう思った。
※「国会議員80人の靖国参拝」は、この国で何も報道されてはいないようだ。
(2005.4.25)
その日本語教科書から、ふと、友人が日本から送ってくれた生徒用国語
教科書・便覧に目が向く。どっしりとした風格ある冊子、ふんだんにある
カラーページ、そして詳細にみれば、つやつやした用紙が使用され、その紙
一枚一枚がこちらの数倍の厚さもあるではないか。
愛用の水性ボールペンで書き込むと、にじんでしまいがちなこちらの本。
うっかりするとページを破きかねないキャシャなこちらの本。でも、同じ
ページ数なら数倍も軽いという良さもある。
形ではない、どう使うかだ、そう思う。
(2005.4.23)
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| 蘇皖辺区政府旧址記念館 |
■2005年4月21日、
暑くなってきて、ボサボサ頭がうざったい。そこで、久しぶりに床屋へ
行ってきた。 ■2005年4月20日、
床屋はもともと大の苦手。
じっとしていなければいけないのがまず苦痛
だし、その上、自分の顔と長い間にらめっこ、もうたまらない。
だがこちらの床屋は、それほど苦にならない。ハサミを入れやすいように
頭をグッと下へ押さえるので、鏡があっても自分の顔を拝む必要はない。
頼まなければ髪も洗わないし、ともかく速い、安い。たった15分で終了、
3元(40日本円)。
「15分のとこやでさっぱり美男子くん」などと口にしつつ帰る道には、
柳絮がふわりふわりと舞っていた。
(2005.4.21)
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| 惟珍 |
■2005年4月17日、
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| 呉承恩故居 |
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| 楚州へ向かう里運河土手 |
■2005年4月15日、
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| 桜並木 |
■2005年4月11日、
そのまま夏になるのかなと思ったのだが、そうではなかった。9日は珍しく
一日中雨が降りつづき、9・10・11日と天気は逆戻り。かたづけたはず
の電気ストーブがまた仕事をしている。 ■2005年4月8日、
この間、ここ中国で大規模な「反日」デモが起こっているという
報道を耳に(目に)した。NHKの海外放送とasahi.com、その他……。
「愛国教育に問題がある」「直接政権批判をできないため、不満を日本に
向けている」「中国政府自体が学生をそうさせている」……といった論調と
共に伝えられている。
それぞれに一点の正しさがあるかもしれない。(その「一点の正しさ」にも
疑問はある。それはここでは触れない)しかし、そんな風に他国にすべての
問題を還元する考え方は、間違っている。
なぜ、隣国の韓国・中国と日本は仲良くできないのか。答は明確だ。
1945年までの数十年の侵略の歴史を正視して、わかりやすいメッセージ
を発信してこなかったからだ。それ以外の答はない。
いざ、韓国で中国で「反日」デモが起こると、きまって語られるのが、
日本は「村山談話」のままです──というメッセージ。しかし、「村山談話」
は談話であって国会決議といったものではない。しかも、時の日本の代表者
である総理大臣が律儀に靖国神社参拝をくりかえしていれば、御都合主義的
なメッセージとしか、受け取れない。
日本がすべきことは何か。これも明らかなことだ。現実的には、アジアの
侵略したそれぞれの国に日本の代表者が出向いて、日本の侵略のために
亡くなった人々の慰霊碑に心からの哀悼の意を表することだった。そして
理念的には、国連憲章よりも未来志向である日本国憲法にそって、行動
すべきだった。
それ以外にこの国を救うてだてはない。もしそうしていたなら、いや、
今からでもそうすれば、まだ道は切り開かれる可能性はあるかもしれない。
「領土問題」は二の次だ。国家というものにそれぞれの国がこだわれば、
いつだって出る問題だから。
(2005.4.11)
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| 桃の花 |
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| 桜の花 |
■2005年4月3日、
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| サッカー少年たち |
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| 古黄河を鴨がスイスイ |
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古黄河べりの家 |
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| 古黄河べりの新築住宅 |
■2005年3月31日、
授業で、「〜といっても」という句型(言い回し)が出てきた。 ■2005年3月29日、
学食で昼食をとっていたら、顔なじみの学生が一人でやってきた。 ■2005年3月20日、
日本人が外国語を学ぶ時そうするように、外国人が日本語を学ぶ場合も、
句型という形でマスターしたほうが手っ取り早い。そういう観点から教科書
が作られているようだ。
で、これはそもそも、孟子の「〜人といへども吾往かん」の「いへども」
から日本語になったもの。ならば、彼の地の、いや此の地の人々にきちんと
お返しすべきだ。
と、思ったのはいいのだが、肝心の「〜人」が何人なのか、記憶が定か
でない。う〜ん、「食客三千人」、「白髪三千丈」、邪馬台国の位置が
魏志倭人伝で「三千」の数字を使っていたように、三千ではないか。
そう思って、電子辞書・漢和辞典を引いてみたら驚いた。なんと「百万人」
ではないか。孟子はただものではない。
で、「〜といっても」の時に、嬉しい気持を隠さず、「雖百万人吾往矣」
と大きく黒板に書いてみた。だが、残念、知っている学生は一人もいなか
った。きっと、『孟子』でも、違った部分を勉強しているのだろう。
スケールの大きいものへの憧れが日本人にはある。しかし、中国人にとって
大きいのは普通なのかも知れない。
(2005.3.31)
「一人」というのは、めったに見かけない。特に、女子学生の場合は、
腕を組んで仲良くいっしょにやって来て食事するのが常なのだ。
けげんに思って、「どうしたの。一人で」と聞くと、どうやら図書館で勉強
していて遅くなったらしい。「何の勉強」と、なかば「日本語の勉強で〜す」
という答を期待して迫ってみると、意外な答が返ってきた。「党員に
なる勉強です」
エッ、と言う思いをこらえて尋ねてみると、やはり入党の勉強をしていた
とのこと。「人民のため犠牲になることを恐れず」といったものではなく、
真面目な学生なら入党を考えるのが普通のようだ。
じゃ、質問するよ。と、僕は鶏丁蓋澆麺、彼女はダイエットのため粥を
食べながらの質疑応答の開始。1、「三つの代表とは、どういうものですか、
誰が唱えましたか」 2、「ケ小平が果たした歴史的役割は何ですか」
3、「毛沢東思想の核心はなんですか」等々10の質問。
むろん、1・2は流暢に答えた。しかし、3には頭をひねっていた。
「何と答えたらいいのですか」という彼女の眼差しに、申し訳ないとしか
言いようがなかった。自分で考えるしかない、僕も考えなくては、そう思った。
(2005.3.29)
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| 浦東実験学校 |
■2005年3月13日、
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| 農家・送電線・アパート |
■2005年3月5日、
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| 尾長鳥?? |
■2005年3月4日、
大学から「学生によるネット上での授業評価表」なるものを頂戴する。 ■2005年2月26日、
そういえば昨年末、掲示で見かけたことがあった。授業担当の教師に対し、
ネットを使って評価するというものだ。外国人教師の僕には関係ないだろう
と思っていたのだが、ちゃんともらえたというわけだ。その結果は以下の
通り。
日本語専攻クラスは、学生32人で、
非常に満足:14、比較的満足:15、基本的に満足:2、不満足:1
──というもの。
第二外国語として担当している英語専攻の2クラスは、学生62人で、
非常に満足:25、比較的満足:26、基本的に満足:5、不満足:5、そして
「非常に不満足」が1人いた。
この結果がどういうものであるかは、わからない。というのは、ネット上
でどのように行われたのか不明だからだ。匿名なのか、実名によって評価
したものなのか。それに、全体結果がどういう傾向にあるのかもわからない。
そもそも、こういった学生による授業評価のねらいはどこにあるのだろうか。
教務部捺印のある「評価表」には、「教学改革をすすめ、教育内容向上を
めざすため、前学期末全ての教科課程について学生によるネット上での評価
活動を行った。今ここにその結果を提供するので、教学上の参考にされたい」
とあるだけだ。
目標はよしとしよう。しかし、学生による授業評価が、どのように目標に
結びつくのか、何一つ述べられていない。肝心なのはその点なのに、形だけ
に走るのなら、それはエセ「民主」としか言いようがない。
「教学上の参考に」と言われても、こちらは気を悪くしただけだ。教師と
学生間に亀裂を生むだけではないか。で、今にも泣きそうな顔をして、
「ぼく、どうしたらいいの」と女学生にたずねると、「ほおっておきな」と
いうカラッとした返事がかえって来た。
(2005.3.4)
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| 「文化住宅」と高層ビル |
■2005年2月21日、
夜は冷え込むといっても、昼の日差しは春を感じさせる。 ■2005年1月14日、
春節の休みが終り、今日から2学期。学生諸君の顔を久しぶりに見ると、
思わず顔がほころんでしまう。「先生、ひさしぶり!」と言って、胸に飛び
込んできそうな学生が青島ではいたが、ここではしかし、いたってクール。
地方性によるのだろうか。
「先生、子供さんは?」昼食を共にしていた女学生が尋ねる。来た来た
来た!「子供、そんなのいないよ。忘れちゃった」そしておもむろに学生の
顔を見つめ、「お父さん、お母さんだって、君のこと忘れてるんじゃない?」と迫る。
プーンとふくれた顔がまぶしい。一人っ子政策の下、家族に守られ小さな
世界に安住している青年よ、荒野をめざせ!……とも思ったものの、まぁ、
そんなことしきっていない自分もいて、話題は即、日本食へと移っていった。
ところで、その女学生、ダイエット中ということで、湯圓を食べていた。
これは、あんにもち米をまぶして茹でた汁と一緒に食べるもので、陰暦の1月
15日(陽暦で今年は2月23日)の元宵節に食する習慣がある。一つ頂戴すると、
口の中にほんのりとした甘さが広がった。
(2005.2.21)
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| 赤、赤、あかの匯通市場 |
■2005年1月7日、
今学期最後の授業が終了。ほっと一息。 ■2005年1月1日、
とはいえ、この学期の最後はかなりしんどかった。こちらでは陰暦の正月、
つまり春節で祝われ、1日の元旦はカレンダーだけのもの、ただ3日がその
代休となって3連休であっただけ。
町の雰囲気も変わらないその3連休は、しかし、試験問題作成で費やした。
勝手の分からない場での試験作成ほど辛いものはない、としみじみ感じさせ
られた。もしかすると、この一回の試験で学生の一生が決ってしまうかもし
れない……と思うと、いくども修正せざるをえないのだ。
でも、一応満足できるものができ、あれこれ世話になった日本語の先生
と今日はのんびり夕食。楽しいひとときだった。
ところで、「日本語の先生」といっても、ここでは僕も含めて5人しかい
ない。4人の若い中国人の先生方が主力だ。その中のカップルである二人
と今日は夕食を共にしたのだが、僕にとっては驚くべきことを耳にした。
一人の先生のご両親は元々天津の人で、あの文革の最中、1960年代末期の
上山下郷運動の中で、天津から両親共々、この淮安に来たというのだ。10年
前もそうだったが、その頃は、とても貧しいところであったという。
現代史がこの地でも息衝いている。あたりまえのことだが、そのことに
あらためて圧倒された。
※「上山下郷運動」とは、毛沢東の「知識青年は農村に入れ」というアピー
ルに沿って数百万人に及ぶ学生たちが辺境・地方へ赴いたもの。多くの問題
があったようだが、この世代のエネルギーが今もこの国の底辺にあるように、
僕は思う。
(2005.1.7)
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| 7時半の太陽 |
■2004年12月30日、
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| 雪の学院風景 |
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| 元気な学生諸君 |
■2004年12月23日、
昨日は一番の寒さ、今日も朝は零下だったようだ。 ■2004年12月21日、
冬至の今日は朝から曇り空、昼頃から小雨がポツリポツリ。天気予報では、
1℃〜6℃ということだったが、この冬一番の冷え込みとなった。無理は
しないし、できないので、こんな日は部屋でのんびり。 ■2004年12月16日、
クリスマスということで、夕食に招宴された。アメリカ人、イギリス人、
オーストラリア人という中で、今日も英語に攻められるかなぁ、と覚悟して
いたのだが、ロシア人の若い女性留学生がいたことで救われた。
ナターシャという通名の彼女は、留学生。だから当然のこと話すのは
中国語。わずか勉強して2ヶ月余というのに、随分話せる。同じ20歳代の
イギリス人外教(外国人教師のこと。中国ではこう言う)が懸命に中国語で
話しかけているのがおもしろかった。彼は、中国語歴半年なのだ。
ナターシャといえば、トルストイの『戦争と平和』ということで、早速
もちだしてみたが、今ひとつ反応がない。ただ一つ、しっかり教わった
のは、「トースト」。「乾杯」を、ロシア語ではこういうのだそうだ。
ちょっとさみしかった。
(2004.12.23)
ところで、昨日、『記憶の証明』という連続テレビドラマが終
わった。ふだんほとんど観ることのないTVだが、これだけはきちんと
みつづけた。29回もので12月5日から毎日2回ずつ45分づつ放映、こういった
放映スタイルは見習いたいものだ。
画像とあらすじを紹介したこのサイトでいくらか雰囲気は分かると思う。60年前、日本の
倉津島というところに強制連行され捕虜として秘密軍事基地建設の苦役を
強いられた中国・朝鮮人兵士の物語である。
「反日ドラマ」といったレッテルを貼り無視するのはたやすい。だが、
それはドラマの一面、現在を生きる二世代下の日中青年男女が、倉津島の
真実を探求するという舞台装置を無視してはならない。ドラマの中で、二人は
国家や民族という壁をのりこえようとしている。ここに制作者のねらいが
ある。
王偉光(土匪出身の捕虜役)、段奕宏(元国民党軍将校で中国・朝鮮人側
捕虜大隊長役)の演技が光っていた。音楽(担当:三宝)もいい。そして
何よりもいいのは、29回総計20時間にも及びながら、ドラマ構成力により
息をもつかせず見せるものになっている点だ。
なお、このテレビドラマは制作に4年、検閲に1年半要したという。
国家の枠内で国家意思とは異なる(かも知れない)ものを織り込むためには、
それだけの時間がかかるということなのだろう。
(2004.12.21)
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| 猫ちゃんたち |
■2004年12月14日、
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| 仕事三点セット |
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| 拖把 |
■2004年12月9日、
今日も、授業でおもいっきり決めた! あの英語
専攻クラスでのこと、今日は「……は……が好きです」を扱い、一通り
説明してから、では練習しましょうと「私は先生が好きです」を口頭伝授。
学生はとにかく練習のため、そのまま「私は先生が好きです」と繰り返す。
シメシメ。1回、そして2回目になって、その意味に大半の学生が気づき、
「エーッ」と場内騒然。 ■2004年12月5日、
やったーっ!と、こちらは満面の笑み。
といって、仇敵関係にあるわけではない。今日はちょっと冷えたので
マフラーをしていくと、「好帥!(イカス)」などと言われたり、休み時間に
は、「先生って、中国の厳順開にそっくり!」などとおだてられたりした。
厳順開ってどんな人か知らないので聞くと、「とってもとっても有名で中国
人で知らない人はいないの。とてもすてきな芸能人なのよ」という。年齢に
ついて尋ねると、「先生と同じくらい。先生28歳だって言ってたでしょ」と
これまたなかなかいい答が返ってくるではないか。
いい学生たちだ、純にして人の心が分かっている……、と心が洗われたよう
な気持になって帰ってきた。そこで、さきほどその青年俳優・厳順開の顔を
一目見ようとgoogle検索してみた。いったいどんな二枚目なのだろう?する
と、こんな
厳順開
が出てくるではないか。喜劇役者で相声小品(一人漫才)を自作自演、
年齢はなんと68!
いやはや、これには負けた。また作戦を練りなおせねばならない。
(2004.12.09)
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| メーターは4444.4km |
■2004年12月2日、
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| 午後1時半の淮海西路 |
■2004年11月27日、
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| 古黄河広場の凧 |
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| 綿花庄鎮農村風景 |
■2004年11月26日、
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| 匯通市場 |
■2004年11月21日、
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| 大きな周恩来記念館 |
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| 周恩来像の前で記念撮影 |
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| 周恩来像は7.8m |
■2004年11月19日、秋晴れの好天がつづいて
いるが、あいにく今日は午後も授業。ということで、ここでのメディア状況
について触れる。 ■2004年11月16日、
最近、よく読む新聞は、
揚子晩報。名前から分かるように南京発行の夕刊紙。タブロイド版で、
今日は60面あった(日によってちょっと異なる)。値段は、5角(日本円7円弱)
と安い。
今日の揚子晩報で、目を引いた記事は、
・日本が、下地島に潜水艦対策基地設置を考慮中。(18日の日本報道による)
・人民元が空前の切り上げ圧力に遭遇。
・早朝、ネットカフェで高1学生が血を流して昏倒。
・犬肉売買市場を記者直撃。不明死体犬肉が一晩で数百匹も売買。
・エリザベステーラー、長期の病床生活へ。
・張芸謀『千里走単騎』撮影開始。高倉健、姿を現わさず。
……といったもので、夕食を食べながら、流し読み。
広告も豊富。「解毒通淋丸」「男性器官再生素」と踊る漢字の世界、
人民解放軍経営の八二医院(僕のとこから徒歩5分)が、「冬の衣装は肥満を
隠してはくれない」と題する整形美容外科の広告をセミヌードの女性写真と
ともに掲載していたりする。
う〜ん、70年代の人民日報で中国語を勉強した世代としては、その違いに
驚嘆しなければならないのだが、しかし、ここは人間くささに一票。
ちなみに、一昨日の同誌では、
・裴勇俊がガールフレンドと別離。(裴勇俊とは、例の『冬のソナタ』の
ヨン様、中国でも大ヒット)
・河南省で黒社会の親玉が裁判に。
……といった記事が載っていて、ベッドまで持っていって読んでしまった。
こういうと、『日刊げんだい』とかスポーツ紙に近いようだが、日本の
新聞とはっきり違うのは、
@全て署名記事。責任が明確だ。
A「事件を知らせて!」と読者に呼びかけている。しかも、呼びかけに
答えて取材した記事には、教えてくれた人に対する報奨金の額まで記されて
いるまめまめしさ。
テレビをあまり観ないので、ほかにNHKの日本語海外向けラジオ放送、
asahi.com、それから天木直人・マスメディアの裏を読むが、今の僕のだいたい
の情報源。だいたい、後ろにいくほど頷くことが多い内容だ。
(2004.11.19)
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■2004年11月14日、
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| VCDポスター |
■2004年11月9日、
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| 古黄河(東側) |
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| 古黄河(西側) |
■2004年11月8日、
今日はやった〜!
というのは、授業の中でのこと。英語専攻の学生向けの初級日本語
も担当しているのだが、このクラスがもう大変。お茶目でおしゃべりで、うる
さくて、そのくせ変な団結力が強くて、授業ボイコットもどきで挑発してくる
ありさま。
男子学生ばかり相手にしていたおじさんとしては、もういたたまれなくて、
ある時などは寝ながら涙を流したほど(嘘!)。ということで、英語専攻である
ことに目をつけ、「へ」は"to"、「と」は"with/and"などと好奇心を引こう
という戦術に出たこともあったのだが、格助詞がきちんと前置詞に対応して
いる訳でもなく、壁にぶつかりつつあった。
そこで次は、たった2人の男子学生に着眼、女性30人に圧倒され鬱屈した
日々だろうと推測、共同戦線をはろうと試みたのだ。だがこの2人、女性へ
の心の傾斜があるのか、こちらの誘いになかなか乗ってこない。(裏切者め!)
そこで今日は作戦変更。これまでの失敗原因は、すべて学生の気を引こう
とした所にあったと反省、大胆に攻撃に出ることにしたのだ。
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| 学院風景 |
■2004年11月6日、
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| 京杭大運河(南側) |
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| 京杭大運河(北側) |
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| 大運河と並行する里運河 |
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| 寧連公路 |
■2004年11月2日、
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| 周恩来童年讀書舊址 |
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| 里運河 |
■2004年10月31日、
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| 「呉承恩故里」入口 |
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| 「呉承恩故里」の街並み |
■2004年10月21日、
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| ベランダ・サンルーム |
■2004年10月17日、今日は曇り。そんな
こともありネット検索をしていると、この淮安に関する情報が
日本語で見られることに気づいた。そのいくつかを挙げると…… ■2004年10月16日、
「大運河の真珠――淮安」 (北京週報)
「
安作璋著『中国運河文化史』を検証する」 (チャイナネット)
「
千年の唐代の古井が発見さる」 (チャイナネット)
中国語簡体字では、こんなページもあった。
「淮安市」 (中国行政区画網)
「江蘇・淮安」 (新華網江蘇頻道)
「
淮安概述」 (江蘇統計信息網)
「中国淮安」 (中国淮安政府網站)
(2004.10.17)
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| 二河(新閘渡口で) |
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| 二河(渡口より西で) |
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| 城南郷農村風景 |
■2004年10月15日、
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| 自転車タクシー |
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| 電動自転車 |
■2004年10月13日、昨日の新聞が気になって
読み返してみた。その新聞とは『現代快報』、南京発行のもの。快報記者・
宮靖と記された署名記事だ。江蘇省の省都は南京、よってこの淮安もメディア
は南京のものが多い。 ■2004年10月12日、
記事の題名は、「南京大虐殺という歴史的事実の埋没を救おうと
奔走する教授・費さんの定年生活」。内容は、南京近郊の湯山地区に住む既に
定年退職した費仲興教授が、同地区の南京事件被害者90名にインタビューし、
記録としてまとめた、というもの。
南京師範大学南京大虐殺研究センターの張連紅副主任が、「解放後、政府と
学者がこの地区の日本軍暴行について幾度も調査し、虐殺が行われたことにつ
いて了解していた。しかし、日本軍が具体的にどのように暴行をしたのか、
研究の余地はあり、費仲興の仕事はたいへん有意義だ」と評価しているとも
述べられている。
南京事件については、中国側で細部にわたって調査しつくしたのだろう、
と思っていたのだが、そうではないようだ。全体として、過去の事実を事実
として掘り下げなければいけないという記者の気持が、伝わってくる記事
だった。
タブロイド版一面の記事の終りの方には、こんな内容が書かれていた。
「日本でも普通の市民が南京大虐殺にたいへん関心を抱き、多くの人々が自費で
南京を訪ね調べている。大阪の教師・孫岡環氏は十数回にわたり日本市民と共
に真相を求めて南京を訪問、湯山地区一体までも訪れた」
最後に記事は、南京師範大学南京大虐殺研究センター・張連紅副主任の次の
ような言葉でしめくくられていた。「南京大虐殺を詳しく調べるのは、けっして
日本の右翼に反撃するためではなく、歴史を明らかにして、後の人々が平和と命
と良き生活を営むためなのです」
国家や民族といったもろもろの垣根が、人間の邪魔になっている──と思う
僕には、公平でよく分かる記事だった。
(2004.10.13)
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| 清浦橋の里運河 |
■2004年10月10日、
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| 京杭大運河 |
■2004年10月4日、
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| 淮安火車站 |
■2004年10月3日、
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| クリーンアップされた時計 |
■2004年10月2日、
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| 廃黄河 |
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| 黄河に臨む韓信像 |
■2004年9月30日、
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| 里運河 |
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| 南船北馬碑 |
■2004年9月28日、今日は中秋節。
中国にいると人間にとってふさわしいのは陰暦だと感じられる。青島では写真に
までとってしまった。そしてそれから2年。 ■2004年9月26日、寝ていたら、ドカン・
ドカンという音がしてびっくり。しかも閃光まで部屋に突撃! ■2004年9月20日、
「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」
夜、ひとり散歩してしみじみ満月を仰いだ。
(2004.9.30)
打ち上げ花火なのだ。夜、10時半にいきなり打ち上げ花火の開始!
今日26日から、淮安美食節が始まり、その祝いなのだ。キッチンに出て
(僕の部屋のキッチンは外を見渡せる)見ると、花火はすぐそこに落下
しているかのよう。火事にならないかしら、と思うほど。
学校は、この淮安の中心にある。よって、いろいろな催し物が行われる
淮安体育館は、直線距離にして100mちょっと。すぐTVを点けてみると、
案の定、淮安TVで、「淮安美食節・呉承恩生誕500年記念歌番組」を生中継
していた。その中継場所の体育館前で花火をやっているようだ。
ところで僕の仕事は、朝7時半に開始。だから毎日6時には起床ということで、
10時前には寝るようにしている。なのにこの騒ぎ。もう、心も身体もしっかり
睡眠を忘れてしまった。
(2004.9.30)
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| 周恩来故居 |
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| すぐ前の運河 |
■2004年9月18日、地図などを見てみると、ここ
淮安はなんと人口500万の都市。自転車で走ってみると、郊外まで東西南北
いずれも約10qはある。 ■2004年9月13日、
徒歩10分のショッピングセンターでは、手押しワゴンでまとめ買いしている人々
が目につき、あきらかに青島開発区より購買意欲が高い。ただ、外国企業は少ない
ようだ。先日、中国銀行へ行ったら、日本人はほとんどいないとのこと。
(2004.9.30)
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| 2003年級同学們 |
■2004年9月4日、ここ淮安は、周恩来の故郷。今日は土曜日、周恩来記念館へ行ってみた。 ■2004年9月3日、袋の中にしまって青島
から持ってきた自転車が「走りたい」というので、乗って街に出る。 ■2004年9月2日、はじめてのここでの授業。
昨日、さいわいなことに授業がなくなり、一応の準備ができたのは良かった。
と言っても、初めての地で、初めての学生。皆が注目しているその目が、
まぶしい。 ■2004年8月31日、昨日、上海経由で中国
にもどり、南京に一泊して、この江蘇省・淮安(わいあん)に、昼、無事到着。
周恩来自身は、記念館を建てられることを願っていなかった。よって
完成したのは1992年、江沢民の時代だ。
公園のように広い記念館を歩きながら思ったことは一つ。
「人民総理周恩来」と中国では言われているけれども、周恩来ほど外国人
に分かりやすい政治家は現代中国の中で稀ではないかということだ。
あの冷戦の中で、文革の中で、彼の外交手腕は卓越していただけでなく、
外国人の心をとらえた。ガンにおかされながらも、仕事への情熱を失わず、
そして、死後の北京市民の嘆き、それらは外国人にとって、人間としての共感を
感じさせるものだった。
(2004.9.4)
そういえば、この地・淮安に来ることになったそもそもの理由は、自転車
で別の地を走りたいというということだったのだ。青島の二年間で、周辺は
走りあきた。で、きまぐれにこの地へ来たというわけだ。
ともかく、違ったことをしたい、という動機ばかりがあった。
ならば……ということで、街を思う存分走りまくってみた。「地方小都市」
と思っていたのだけれど、かなり大きい。前にいた青島開発区より、ずっと
大きい都市、それがここ淮安(わいあん)だ。
(2004.9.3)
好奇心と期待、それだけは裏切りたくない。
(2004.9.2)
荷物の整理、明日からの仕事の打ち合わせと、てんやわんやの夕刻には、
外国人教師歓迎の宴。英語圏の方が4人、あとは僕1人。
英語ばかりが飛び交う中で、ちょびっと中国語が分かる、っていうのは
厳しい。しかし、宴席で出た青島ビールはしっかり頂戴した。
(2004.8.31)